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本屋の時間

2019.12.01 公開 ツイート

第73回

それはいえない 辻山良雄

撮影:齋藤陽道

それが誰であれ、店に定期的に来ていたお客さんの顔がみえなくなると、何か気分を損ねることでもあっただろうかと不安になる。しかしその人がご年配のかたともなると、不安の内容もまた変わってくる。

ある雑誌を毎月定期購読していたご婦人がいたのだが、入荷したらこちらから連絡しなくてもすぐに取りにきていたのに、そのときはひと月以上もそのままで、早くも次の号が出てしまった。念のためと思い携帯電話に連絡したところ、思いがけず男性の声が出たので、ギョッとした。

 

ああ……。声を聞いた瞬間にすべてわかってしまったが、電話口の人と話してみると、妻は先日亡くなったんですよ、これまでご丁寧にありがとうございましたとお礼をいわれた。

うそでしょ、まだそんな歳でもないし(見た目からいえばまだ六〇くらいだ)、このまえあんなに元気だったのに。彼女のことをよく知っていたわけではないが、そのときはしばらく、気持ちの持っていきようがなかった。

 

Oさんはいつも新聞の切り抜きや図書館で書いてきたというメモを片手に、本を注文していた。退職後のボランティアで行っていたという教育関係の本や、若いころに好きだった近代文学の本など一回につき四~五冊。近所にこんな場所ができてうれしいよと、最初きたころに話してくれた。

 

一度、三カ月くらいOさんの姿が見えない時期があったので心配はしていたのだが、ある日の午後、店にやってきた。

久しぶりに見たOさんの姿は別人かと思うほど痩せており、頭にはつばのある帽子を目深くかぶっていた。一瞬ひるみことばが出なかったが、本を注文していいですかといつものようにこちらを見て、毅然と話された。差し出されたメモの字は震えており読みづらかったが、自分を落ち着かせながら何くわぬ顔でその書名を書き写した。
 

(写真:iStock.com/Banannaanna

それからもOさんからは二~三回注文があった。注文した本を受け取りにくる人は、奥さんやまったく見たことのない家族らしき人に変わったが、必ず誰かがやってきた。最後の注文は八千円くらいする社会主義に関する本で、この分厚い本をOさんは読むのだろうかと思いながら、出版社に注文した。

そうした注文も途絶えてしまい、半年以上過ぎたころ、店に奥さんがやってきた。Oは亡くなりました。あの人は最後までここで本を買うのが好きだったのですよと笑って、奥さんはOさんなら読まないであろう種類の本を買って帰った。

ええ、わかってましたよとはもちろんいえない。奥さんはいまもときどき店にきてくれる。

 

今回のおすすめ本

『惑星』片山令子 港の人

その人をそれまで知らなくても、会ったことがなくても、なつかしく思える文章がある。
身の回りのこと、好きな音楽や本のことを誠実に綴ったエッセイ集。

 

◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます

連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBSHOPでもどうぞ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

辻山良雄さんの著書『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』のために、写真家・齋藤陽道さんが三日間にわたり撮り下ろした“荻窪写真”。本書に掲載しきれなかった未収録作品510枚が今回、待望の写真集になりました。

 

◯2024年5月10日(金)~ 2024年5月28日(火)Title2階ギャラリー

キッチンミノル出版記念写真展「ひこうきがとぶまえに」
~航空整備士の仕事~

しゃしん絵本作家のキッチンミノルが出版社を立ち上げました。第一作目は、飛行機が格納庫に帰ってきてから、再び空に飛びたつまでの航空整備士さんの仕事を、JAL全面協力の元、キッチンミノルが温度感ある写真と文章追いかけたしゃしん絵本『ひこうきがとぶまえに』です。紙面では航空整備士の仕事や見たことない機器、機械類がページいっぱいに広がります。
今回は絵本の中の写真や惜しくも絵本には収めることができなかった写真を展示します。写真だからこそ伝わる迫力! 緻密さ!! 臨場感!!! 子どもだけでなく、大人も一緒に楽しめます。
 

◯【店主・辻山による<日本の「地の塩」を巡る旅>書籍化のお知らせ】

スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」がとうとう書籍化! 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。

『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』

著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Title予約サイト
 

 

【書評】

『涙にも国籍はあるのでしょうか―津波で亡くなった外国人をたどって―』(新潮社)[評]辻山良雄
ーー震災で3人の子供を失い、絶望した男性の心を救った米国人女性の遺志 津波で亡くなった外国人と日本人の絆を取材した一冊
 

【お知らせ】

「読むことと〈わたし〉」マイスキュー 

店主・辻山の新連載が新たにスタート!! 本、そして読書という行為を通して自分を問い直す──いくつになっても自分をアップデートしていける手段としての「読書」を掘り下げる企画です。三ヶ月に1回更新。
 

NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて毎月本を紹介します。

毎月第三日曜日、23時8分頃から約1時間、店主・辻山が毎月3冊、紹介します。コーナータイトルは「本の国から」。4月16日(日)から待望のスタート。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
 

黒鳥社の本屋探訪シリーズ <第7回>
柴崎友香さんと荻窪の本屋Titleへ
おしゃべり編  / お買いもの編
 

関連書籍

辻山良雄『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』

まともに思えることだけやればいい。 荻窪の書店店主が考えた、よく働き、よく生きること。 「一冊ずつ手がかけられた書棚には光が宿る。 それは本に託した、われわれ自身の小さな声だ――」 本を媒介とし、私たちがよりよい世界に向かうには、その可能性とは。 効率、拡大、利便性……いまだ高速回転し続ける世界へ響く抵抗宣言エッセイ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

新刊書店Titleのある東京荻窪。「ある日のTitleまわりをイメージしながら撮影していただくといいかもしれません」。店主辻山のひと言から『小さな声、光る棚』のために撮影された510枚。齋藤陽道が見た街の息づかい、光、時間のすべてが体感できる電子写真集。

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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。

バックナンバー

辻山良雄

Title店主。神戸生まれ。書店勤務ののち独立し、2016年1月荻窪に本屋とカフェとギャラリーの店 「Title」を開く。書評やブックセレクションの仕事も行う。著作に『本屋、はじめました』(苦楽堂・ちくま文庫)、『365日のほん』(河出書房新社)、『小さな声、光る棚』(幻冬舎)、画家のnakabanとの共著に『ことばの生まれる景色』(ナナロク社)がある。

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