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本屋の時間

2020.02.01 公開 ツイート

第77回

わたしたち後ろめたきもの 辻山良雄

先日、歳が二回りほど上で、いまは出版社を経営している男性と酒を飲んだ。幾つかの業種を渡り歩き、バブルの狂騒もその後に続く退却戦も経験している彼の話は金に関することが多く、確かな月日と少なくはない傷を感じさせるものだった。自分の人生を充分に生きていないかもしれないという後ろめたさは、若いころからわたしにつきまとっている一種の脅迫観念のようなものである。へぇ、そうですかと相槌をうちながらも、そうした危うさやある種の欲とは無縁でいた自分が意気地のない人間のようにも感じられ、聞いているあいだはどこか引け目もあった。

 

ここまでなかよくなったから言いますけど、最初あんたの顔を見たときは、なんて苦労のない、つるんとした顔かと思いましたわ。年長者には物事の本質がよく見えている。そういわれるのは実はそれがはじめてではなく、ある葬儀のあと、遠縁のはじめて会った親戚からも、あんたはなんや幸せそうな顔しとるなと会うなり言われたことがあった。

いや、これでも毎日苦労してるんですけどと、そのときは苦笑いを交えながら抗議したが、彼の言わんとする苦労とは、たとえば明日の金にも困る日々を、歯を食いしばりながら生きてきたということだろう。そのような人生において、人はポーズをとる必要はなく、自らの顔ひとつで自分の生きた証を証明することができる。

店には、自分で作った本を置いてほしいという人もやってくる。その女性が持ってきたイラスト集も、ああ、あの作家の作風だなと一見してわかるものだったが、その作家には確かに存在する毒が、彼女の作品ではそこだけが抜け落ちてしまっているように思えた。自主製作とはいえ、本屋の店頭に置かれることは、商業出版の本と同様に見られることでもある。あなたのことを知らない誰かが手に取ってみたとき、この本には何かを感じさせる強さが足りないと思う。彼女にはそう率直に伝えた。

わたしにはなにもないから……。何が起こったかわからないという間が二秒ほど続いたあと、女性はそのように言ったと思う。それはわたしに話したというよりは、勝手に口をついて出てきたことばのように聞こえたので、より胸にこたえた。見ていただいてありがとうございました。彼女は店を出ていったが、しばらく作業をするあいだ起こったことは覚えていても、彼女がどんな顔をしていたのかいつのまにか忘れてしまった。

 

自分には何もないと思う人生は、リアルな苦労を抱える人生よりも軽いのだろうか。わかっているのはその人の持つ顔も人生の時間も、みなに等しく与えられているということだけだ。わたしも彼女と同じ側に立つ人間なので、その容易には説明しがたい不安や苦しさは、ある程度まで理解はできる。

なにもない自分を見続けた先には、何か待っているのかもしれない。それが何かはわからなくても、わたしたち後ろめたきものは、それをずっと見続けるしかない。
 

今回のおすすめ本

『ブードゥーラウンジ』鹿子裕文 ナナロク社

鹿子さんはわたしが知っている人のなかでも、もっとも饒舌な一人である。その饒舌はときに怒りや叫びをはらむものだが、もっとも怒れるものこそ、もっとも愛することができるものであることを、同時に思い出させる。

 

◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます

連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBSHOPでもどうぞ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

辻山良雄さんの著書『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』のために、写真家・齋藤陽道さんが三日間にわたり撮り下ろした“荻窪写真”。本書に掲載しきれなかった未収録作品510枚が今回、待望の写真集になりました。

 

◯2024年5月10日(金)~ 2024年5月28日(火)Title2階ギャラリー

キッチンミノル出版記念写真展「ひこうきがとぶまえに」
~航空整備士の仕事~

しゃしん絵本作家のキッチンミノルが出版社を立ち上げました。第一作目は、飛行機が格納庫に帰ってきてから、再び空に飛びたつまでの航空整備士さんの仕事を、JAL全面協力の元、キッチンミノルが温度感ある写真と文章追いかけたしゃしん絵本『ひこうきがとぶまえに』です。紙面では航空整備士の仕事や見たことない機器、機械類がページいっぱいに広がります。
今回は絵本の中の写真や惜しくも絵本には収めることができなかった写真を展示します。写真だからこそ伝わる迫力! 緻密さ!! 臨場感!!! 子どもだけでなく、大人も一緒に楽しめます。
 

◯【店主・辻山による<日本の「地の塩」を巡る旅>書籍化のお知らせ】

スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」がとうとう書籍化! 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。

『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』

著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Title予約サイト
 

 

【書評】

『涙にも国籍はあるのでしょうか―津波で亡くなった外国人をたどって―』(新潮社)[評]辻山良雄
ーー震災で3人の子供を失い、絶望した男性の心を救った米国人女性の遺志 津波で亡くなった外国人と日本人の絆を取材した一冊
 

【お知らせ】

「読むことと〈わたし〉」マイスキュー 

店主・辻山の新連載が新たにスタート!! 本、そして読書という行為を通して自分を問い直す──いくつになっても自分をアップデートしていける手段としての「読書」を掘り下げる企画です。三ヶ月に1回更新。
 

NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて毎月本を紹介します。

毎月第三日曜日、23時8分頃から約1時間、店主・辻山が毎月3冊、紹介します。コーナータイトルは「本の国から」。4月16日(日)から待望のスタート。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
 

黒鳥社の本屋探訪シリーズ <第7回>
柴崎友香さんと荻窪の本屋Titleへ
おしゃべり編  / お買いもの編
 

関連書籍

辻山良雄『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』

まともに思えることだけやればいい。 荻窪の書店店主が考えた、よく働き、よく生きること。 「一冊ずつ手がかけられた書棚には光が宿る。 それは本に託した、われわれ自身の小さな声だ――」 本を媒介とし、私たちがよりよい世界に向かうには、その可能性とは。 効率、拡大、利便性……いまだ高速回転し続ける世界へ響く抵抗宣言エッセイ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

新刊書店Titleのある東京荻窪。「ある日のTitleまわりをイメージしながら撮影していただくといいかもしれません」。店主辻山のひと言から『小さな声、光る棚』のために撮影された510枚。齋藤陽道が見た街の息づかい、光、時間のすべてが体感できる電子写真集。

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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。

バックナンバー

辻山良雄

Title店主。神戸生まれ。書店勤務ののち独立し、2016年1月荻窪に本屋とカフェとギャラリーの店 「Title」を開く。書評やブックセレクションの仕事も行う。著作に『本屋、はじめました』(苦楽堂・ちくま文庫)、『365日のほん』(河出書房新社)、『小さな声、光る棚』(幻冬舎)、画家のnakabanとの共著に『ことばの生まれる景色』(ナナロク社)がある。

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