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本屋の時間

2021.10.01 公開 ツイート

第119回

時計の話 辻山良雄

〔写真:齋藤陽道〕

長年使っているからだろうか、店に掛けている大きな時計は、何日かすると時間が少しずつずれてくる。最初はあまり気にならない程度、しかしある日ふと見上げると、仕事に支障をきたすほどの遅れになっているときもあって、そうした際には壁から外し、時間を少しだけ早めておく。

 

いまTitleにある時計は、かつて勤めていた職場の店長室に掛かっていたものだ。その書店は大きな店だったが、残念ながら数年前に閉店した。片付けの際ことわりをいれ、他のこまごましたものと一緒に、この時計も持って帰ってきた。だから時計にしてみれば、いわば〈第二の人生〉を、この場所で過ごしていることになる。

時計は店長室にあったとき、近寄りがたい厳格さを感じさせた。店長室にはスーツを着た取引先の会社員が毎日のように訪れ、何か問題を起こしたスタッフは、そこで上司から詰められることもあった。そのような場所での時間には、間違いがあってはならないのだ。

だから同じ時計をこの店の壁にかけたとき、最初それは場違いで、何か硬い感じがして見えたのだ。

「まあ時間は正確でなければならないから、時計はこのくらいしっかりとしたもののほうがよいのだろう」

そのように自分を納得させ、時計を使いはじめたが、それはいつのまにかTitleという店に馴染んだようで、そうすると次第に、少しずつ時間がずれてくる。

なんだお前。しっかりしていると思ったら、そんなところもあったのか。

それはどこか会社員の生活から自営業に慣れていくうち、人間が根底から変わってしまったわたし自身を見ているようでもあった。

 

しかしいくら硬い感じだったとはいえ、店にはじめて時計が掛けられる瞬間は、何といってもうれしいものである。それは開店まであと数日という頃で、それまで何となく、ただしまりなく広がっていた空間は、時計が掛けられることにより固有の時間を刻みはじめた。

「やっぱり店には時計がないとね」

その何か月か前からこの場所で工事をしていた中村敦夫さんも、そういいながらあかるく笑った。

店を準備していた数カ月のあいだ、時計はダンボール箱に入れられ、自宅の片隅に忘れられたように放置されていた。やはり時計は、それがあるべき場所に掛けられてこそなのだ。

退社してはじめてわかったことだが、会社員の時間には、どこか緊張を強いられる息苦しさがあった。仕事自体は楽しかったが、やむことのないクレームや万引きの対応、毎日検証される売上の前年比など、そう意識しなくとも、いつも自分を切り売りしながら過ごしていたのだと思う。

いまは仕事と余暇に明確な区別はない代わり、家にいるときと同じ〈わたし〉で店に立っている。仕事も生きることもすべて同じだと腹を括ったら、時間はいつか、自分を計るものさしではなくなった。

 

これもまた時計の話だが、開店当初していた腕時計も、何か月かするうちにつけることをやめてしまった。ここでの仕事には、必要ないものだとわかったから。

「会社を辞めても、仕事はちゃんとやっていますよ」

だれに向かってそういいたかったのだろうか。わたしにしては高価なブランド品の腕時計には、そのような意味が込められていたのかもしれない。

腕時計を外すと、自分がしがみついていたちっぽけなプライドまでもが消えてしまったようで、気持ちが楽になった。

 

 

今回のおすすめ本

『コーヒーと短編』庄野雄治・編 millebooks

コーヒーと本という最強の組み合わせ。どちらのこともよく知る、焙煎人の庄野さんが編んだアンソロジー。組み合わされることでそれぞれの文章が響き合う妙は、アンソロジーならではです。

 

◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます

連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBSHOPでもどうぞ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

辻山良雄さんの著書『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』のために、写真家・齋藤陽道さんが三日間にわたり撮り下ろした“荻窪写真”。本書に掲載しきれなかった未収録作品510枚が今回、待望の写真集になりました。

 

◯2024年5月10日(金)~ 2024年5月28日(火)Title2階ギャラリー

キッチンミノル出版記念写真展「ひこうきがとぶまえに」
~航空整備士の仕事~

しゃしん絵本作家のキッチンミノルが出版社を立ち上げました。第一作目は、飛行機が格納庫に帰ってきてから、再び空に飛びたつまでの航空整備士さんの仕事を、JAL全面協力の元、キッチンミノルが温度感ある写真と文章追いかけたしゃしん絵本『ひこうきがとぶまえに』です。紙面では航空整備士の仕事や見たことない機器、機械類がページいっぱいに広がります。
今回は絵本の中の写真や惜しくも絵本には収めることができなかった写真を展示します。写真だからこそ伝わる迫力! 緻密さ!! 臨場感!!! 子どもだけでなく、大人も一緒に楽しめます。
 

◯【店主・辻山による<日本の「地の塩」を巡る旅>書籍化のお知らせ】

スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」がとうとう書籍化! 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。

『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』

著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Title予約サイト
 

 

【書評】

『涙にも国籍はあるのでしょうか―津波で亡くなった外国人をたどって―』(新潮社)[評]辻山良雄
ーー震災で3人の子供を失い、絶望した男性の心を救った米国人女性の遺志 津波で亡くなった外国人と日本人の絆を取材した一冊
 

【お知らせ】

「読むことと〈わたし〉」マイスキュー 

店主・辻山の新連載が新たにスタート!! 本、そして読書という行為を通して自分を問い直す──いくつになっても自分をアップデートしていける手段としての「読書」を掘り下げる企画です。三ヶ月に1回更新。
 

NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて毎月本を紹介します。

毎月第三日曜日、23時8分頃から約1時間、店主・辻山が毎月3冊、紹介します。コーナータイトルは「本の国から」。4月16日(日)から待望のスタート。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
 

黒鳥社の本屋探訪シリーズ <第7回>
柴崎友香さんと荻窪の本屋Titleへ
おしゃべり編  / お買いもの編
 

関連書籍

辻山良雄『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』

まともに思えることだけやればいい。 荻窪の書店店主が考えた、よく働き、よく生きること。 「一冊ずつ手がかけられた書棚には光が宿る。 それは本に託した、われわれ自身の小さな声だ――」 本を媒介とし、私たちがよりよい世界に向かうには、その可能性とは。 効率、拡大、利便性……いまだ高速回転し続ける世界へ響く抵抗宣言エッセイ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

新刊書店Titleのある東京荻窪。「ある日のTitleまわりをイメージしながら撮影していただくといいかもしれません」。店主辻山のひと言から『小さな声、光る棚』のために撮影された510枚。齋藤陽道が見た街の息づかい、光、時間のすべてが体感できる電子写真集。

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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。

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辻山良雄

Title店主。神戸生まれ。書店勤務ののち独立し、2016年1月荻窪に本屋とカフェとギャラリーの店 「Title」を開く。書評やブックセレクションの仕事も行う。著作に『本屋、はじめました』(苦楽堂・ちくま文庫)、『365日のほん』(河出書房新社)、『小さな声、光る棚』(幻冬舎)、画家のnakabanとの共著に『ことばの生まれる景色』(ナナロク社)がある。

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