連日、胸の痛むニュースがウクライナから届いている。先日ロシアの軍隊が、キーウ周辺のウクライナ北部から撤退をはじめたとの報道があったが、彼らが去ったあとの瓦礫の街には、放置され鉄くずと化した戦車(誰がこれを片付けるのだろうか)、多くの民間人の死体、そしてそれを悼み、泣き叫ぶ人々の姿があった。
そうしたショッキングな映像を見るたびに、これまで折にふれ読んできたチェーホフや、ロシア文学のことが頭をよぎる。
この目の前にある凄惨な映像と、同じ国が生み出した偉大な文学や芸術とのあいだには、何か関連するものがあるのだろうか?
ともに同じ土地から生まれてきたからには、そこには何かつながる根っこがあるのかもしれない。しかしその本性を見据えることを、わたしは心のどこかで無意識に避けているようにも思う。その考えはどこまで剥いても芯には辿りつかず、現実を見ることばを失ったものは、ただ茫然とその場に立ちつくすしかない……。
いまわたしの手元には、絵本作家である荒井良二さんの、署名の入った本が二冊ある。それぞれ「26,Oct,2003」「4,Feb,2012」と日付が打たれており、2003年のサインは広島で、2012年は池袋で書いてもらった時のものだ。2003年のトークイベントの最中、荒井さんが絵本を朗読しながらぼそっと口に出した言葉を、わたしはいまも覚えている。
「なぜかわからないけど、街にある家は崩れていて、遠くには戦車が描かれています」
その時朗読された『はっぴぃさん』は、主人公の男の子と女の子が、困ったことや願いごとを聞いてくれる「はっぴぃさん」に、山の上まで会いにいくという話。絵本の全体は、タイトル通り幸福感に包まれたものであったが、深くは語られることのなかった瓦礫の街の戦車だけが、いま見ると不穏なものとしてページの上に存在している。
荒井さんは山形県の出身。東日本大震災後は東北でも精力的に活動され、その頃出版された『あさになったのでまどをあけますよ』は、震災で傷ついた人たちの心を癒す絵本となった(2012年のサインはこの本に書いてもらったものだ。朝に差し込む光がすばらしく、この絵をぜひ飾りたいと、その時は原画展とサイン会を行った)。
山の麓にあるまち、海が見えるまち……。地球上の様々な土地には、同じように朝がやってきて、人はどこにいてもそれを迎えるために窓をあける。戦争や天災、親しい人との別れなど、どんなにつらい現実があったとしても、朝はまいにち、絶え間なく訪れるのである。
先日「NHKラジオ深夜便」で放送された、最新刊『はっぴーなっつ』に関するインタビューで、荒井さんはこのようなことを語っている。
「自然は“すすむ”という感覚をあたえてくれるような気がします」
人の事情には関りなく、朝も、そして春という季節もまた、義理堅くもやってくる。それはこれまでもずっと行われてきた自然の「義務」だ。人間が引き起こしてしまった、目の前の出来事に言いたいことはあれども、自然が行うその絶え間ない仕事の方を、荒井さんは信じているのだと思う。
たとえそうであっても毎日は“すすむ”。だからこそ荒井さんは、物事の影の部分ではなく、そこに差し込む光を描き続けるのだろう。それは荒れはててしまった土地に、もう一度種を蒔くような仕事なのかもしれない。
ことばを失ってしまった時でも、毎日を懸命に生きることが、厳しい現実に抗う一本の杖となる。青と黄色で塗りこめられたあまりにもまぶしい絵を見ながら、そのように思った。
今回のおすすめ本
『エーリッヒ・ケストナー こわれた時代』クラウス・コルドン ガンツェンミューラー文子訳 偕成社
『エーミールと探偵たち』『飛ぶ教室』などで知られるエーリッヒ・ケストナーは、ナチス政権下のドイツで、反体制作家であるとみなされながらも、祖国を離れることなく生き抜いた。おおらかな優しさで子どもたちを楽しませた作家は、内なる強さを秘めた作家でもあったのだ。
◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます
連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBS
◯2024年5月10日(金)~ 2024年5月28日(火)Title2階ギャラリー
キッチンミノル出版記念写真展「ひこうきがとぶまえに」
~航空整備士の仕事~
しゃしん絵本作家のキッチンミノルが出版社を立ち上げました。第一作目は、飛行機が格納庫に帰ってきてから、再び空に飛びたつまでの航空整備士さんの仕事を、JAL全面協力の元、キッチンミノルが温度感ある写真と文章追いかけたしゃしん絵本『ひこうきがとぶまえに』です。紙面では航空整備士の仕事や見たことない機器、機械類がページいっぱいに広がります。
今回は絵本の中の写真や惜しくも絵本には収めることができなかった写真を展示します。写真だからこそ伝わる迫力! 緻密さ!! 臨場感!!! 子どもだけでなく、大人も一緒に楽しめます。
◯NEW!!【店主・辻山による<日本の「地の塩」を巡る旅>書籍化&発売日決定のお知らせ】
お待たせいたしました。スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」がとうとう書籍化、発売日も決定!Title店主・辻山が日本各地の愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。迷える方、必読。
『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』
著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Title予約サイト
◯【書評】
『涙にも国籍はあるのでしょうか―津波で亡くなった外国人をたどって―』(新潮社)[評]辻山良雄
ーー震災で3人の子供を失い、絶望した男性の心を救った米国人女性の遺志 津波で亡くなった外国人と日本人の絆を取材した一冊
◯【お知らせ】
店主・辻山の新連載が新たにスタート!! 本、そして読書という行為を通して自分を問い直す──いくつになっても自分をアップデートしていける手段としての「読書」を掘り下げる企画です。三ヶ月に1回更新。
NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて毎月本を紹介します。
毎月第三日曜日、23時8分頃から約1時間、店主・辻山が毎月3冊、紹介します。コーナータイトルは「本の国から」。4月16日(日)から待望のスタート。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
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本屋の時間
東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。