脚本家、演出家として活動中の私オム(わたしおむ)。昨年末に行われた「演劇ドラフトグランプリ2023」では、脚本・演出を担当した「こいの壕」が優勝し、いま注目を集めている演劇人の一人である。
21歳で大阪から上京し、ふとしたきっかけで足を踏み入れた演劇の世界にどっぷりハマってしまった私オムが、執筆と舞台稽古漬けの日々を綴る新連載スタート!
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「あっちいけどっかいけ。そんな言葉をたくさん言われてここまで来た」
とある男性ミュージシャンが、インタビューで言っていた。
彼は50歳になった今もロックバンドのフロントマンとして、ギターをかき鳴らし続けている。
私は14歳でそのミュージシャンの曲と出会ってから20年間、彼に憧れ続けている。
彼が自身の人生を見返して語った言葉に深く共鳴し、私の人生の格言にしている。
「Like a Rolling Stone」というタイトルの曲がある。
英語を話せない私は、石は様々な障害物にぶつかって、形を変えながら転がり続ける…的なことを歌っているんじゃないかと、勝手に妄想して石が転がっている風景を想い浮かべる。
妄想で作り出した石は、自分が大切にしている格言の思想を持ち、「あっちいけどっかいけ。そんな言葉をたくさん言われてここまで来た」と歌っているように聞こえる。
私は34年前に大阪で産まれ落ちてから転がり続け、あっちいけどっかいけと言われながら、様々な事にぶつかり弾かれ、今、東京で脚本家という形になった。
まだまだ坂道の途中。削られてデコボコな形をした石が弾かれた先で、一旦この場所でこの形になっている。
最後は何に弾かれて、どんな砂になるのだろうかと楽しみだ。
その最後の時まで思う存分転がろうと思っている。
私はこの場で、自分の意思とは違うものにぶつかり弾かれた出来事や、自分とは違う形をした石に出会った事を書いていこうと思う。
私の形を面白がって、こんなおかしな形の奴でもコロコロ転がってなんとか生きてやがるんだなと、読んで頂いた方の娯楽になればいいなと考えている。
自己紹介がてらに脚本家という仕事を説明しようと思う。
私は舞台の脚本家で、所謂、演劇の脚本を書いている。
2.5次元と呼ばれる原作がある作品の舞台脚本であったり、ミュージカルの脚本、そして、ゼロから物語を考えるオリジナル作品の脚本も書く。
原作物でもオリジナル物でもミュージカルでも、脚本の作り方は基本的には変わらない。登場人物が会話をして物語は進むのだ。
各々の悩みや不満を役が喋ったことに、相手役が反発したり同調したりして、事件や事故が生まれ、人間がどう動くのかを想像して書く。
たまに聞かれるのが、「原作がある作品とオリジナル作品、どっちを書いている時の方が楽しい?」という質問。
正直、どちらも書いている時は楽しくない。
「書いている時」というのは、まさにパソコンに文字を打っていることを指す。
首は痛ぇし、台詞や展開が思いつかない自分の無力さに幻滅するし、ひとりで書いているのは寂しいし。
書いている瞬間に幸せを感じることは、ほぼない。
それをなぜ続けるのかというと、観客に楽しんでもらった時の喜びが半端ないからだ。
とても分かりやすく例えるなら、いっぱい勉強してテストで100点を取ったらお母さんが喜んで褒めてくれたあの感じ。いや、ちょっと違うかな。
まぁ、私はこの脚本家という仕事にDNAレベルで多幸感を感じているということだ。
そして、私は脚本家以外の仕事もしている。
それは舞台の演出家だ。
演出家は脚本家と違い、ひとりでなく出演者やスタッフと共に一丸となって作品を作っていく。作品がよりよくなる為に構築し、整え、観客に提供をする。
観劇をするお客様の為というゴールは脚本家と同じだが、過程が全く違う。自分が体現することは何もなく、自分が求めることを表現してくれる部署に伝えていく。
演出家は人と感動を作る仕事だと私は思う。共に作るというのは、観劇していただくお客様も含まれる。笑い声であったり、緊張であったり苛立ちを同じ空間で共有する。
私はそれが演劇の素晴らしさだと思っている。
私は演劇の素晴らしさをより感じられる演出家という仕事にも多幸感と興奮を感じている。
脚本だけでなく演出の仕事もしている理由は他にもある。
それは、演出家として生きている時には健康的な生活が出来るからだ。
舞台稽古が始まると、正午すぎからだいたい20時ぐらいまで連日稽古場にいる。
午前中に起床し、太陽の光を浴びながら稽古場に移動し、たくさん喋って、お酒を飲んで帰宅する。演出家として稼働している時はとてもぐっすり眠れる。
何が健康的?普通じゃない?と思われた方も多いと思う。
しかし、脚本家としてパソコンに向かっている時と比べるととても健康的なのだ。
脚本を書いている期間はとにかく不規則な生活になる。
数十日後の締め切りまでどんな生活リズムでも構わないからだ。
いつ寝ようが書こうが構わない。アイディアがどんどん思いつけばご飯も食べずに10時間ぐらい書き続けているし、何も思いつかなくて、頭をスッキリさせる為に夕方ぐらいに寝たりもする。寝すぎて夜中に起きて、そこから昼までボーッとパソコンの前にいる時もある。
家に篭り、タバコとコーヒーとラムネだけを摂取し、太陽の光を浴びることはほぼない。
脚本家だけの仕事をしていたら、私は2~3年で死ぬと思う。
演出家という仕事は私を生かす意味でもとても大切な仕事なのだ。
今となっては寿命を縮めてでも没頭したいと思える演劇だが、上京したての私は全く興味がなかった。興味というか関わりがなかった。
中学の頃に文化祭の出し物で行った、クラスメイトがゾンビになっていくという物語の劇が唯一の演劇との関わりだった。なぜか私は最後までゾンビにならずに「どうなってんねん、このクラスは」と嘆き続ける役だった。物語がどう収拾したのかは覚えていない。
私が演劇と再び関わりを持ったのは21歳の時。私はとある会に参加した。
その会とは、ミュージシャンやカメラマン、モデルや役者など様々な業種が繋がり、互いに交流を広めようと企画された会であった。
実は、私はミュージシャンになる事を志し上京をした。この連載の書き出しにミュージシャンの言葉や、好きな曲のタイトルを用いたとは、その名残だ。
バンドメンバーを探す為に参加した、交流を深める会。その会は想像していた会とは違っていた。
参加すれば様々な人と言葉を交わせて、感性の合う知り合いができて、「明日一緒にスタジオ入る?」などという展開があると思っていた。
しかし現実は、すでに知り合い同士が固まって座り、いくつものグループに分かれ、それぞれで楽しそうに談笑していた。
誰も知り合いのいない私は、どこのグループの会話にも入れず、隅っこでひとりでいた。
その私の隣に座っていたのが、私と同じようにどこの会話にも属さずに、華々しい東京人と自分とは違う生き物だと卑下した目をしている演劇をやっている役者だった。その人は私に「この会つまらないですよね。抜けてラーメン食べに行きませんか?」と、自分のコミュニケーション能力のなさを会のせいにした口振りで声を掛けて来た。
そこからの展開をすごく端折って書くが、会をつまらないと共鳴した日から1ヶ月後。
その演劇人に「劇団入れば?」と言われた。
21歳の時に上京をしてきた私は、誰にも相手にされず、「あっちいけ」と弾かれ、ひょんな事から演劇に出会い、こうして脚本・演出家という形になったのは、「ここにいたら?」という人たちがいてくれたからだ。
私は冒頭の言葉に一文を加えたい。
「あっちいけどっかいけ。ここにいたいなら、いてみれば?
そんな言葉をたくさん言われてここまで来た」
私はこれからも楽しく転がり続けて生きていく。
「あっちいけ」と弾かれるまで、ここで思うがままにこんな形の人間がいますよ、と書いていく。できるだけ弾かないでいただきたい。弾かれるとやはり凹む。
よろしくお願いいたします。
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脚本家、演出家として活動中の私オム(わたしおむ)。昨年末に行われた「演劇ドラフトグランプリ2023」では、脚本・演出を担当した「こいの壕」が優勝し、いま注目を集めている演劇人の一人である。
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