麻生幾『クリスマスツリー 捜査1課最強の敵』

プロローグ

 謹啓

 私が申し上げるまでもなく、昨今の捜査環境は厳しさを増しているが、添付したこの資料が、諸君の卒業配置後の第一線の捜査において、一助になるとすれば私にとってこれほど幸せなことはない。

 わずかに残念なことはある。私が、諸君たちに直接語る時間がなかったことだ。それほど本件事件の捜査にかけた私の情熱が、最後まで凄まじかったことをご理解頂きたい。

 この資料が、諸君に読まれる時、被疑者の検挙に至っているか否か、正直言ってそれはわからない。しかし、たとえ捜査の終末に至っていないとしても、どうか、この愚かな老兵の姿があったことを思い出し、諸君たちの戒めとして頂きたい、それだけを切に願いたい。

 そもそも私の刑事としての哲学は、完全犯罪を完遂させる本質的な犯罪者など存在し得ない、そのひと言に尽きた。たとえ衝動殺人であっても、犯罪事実を加工しようとすればすぐに判断ができる。私の刑事人生において、それは明確に言うことができた。たとえ継続捜査に移行し、つなぎ資料として残された未解決事件においても、本質的な犯罪者による完全犯罪とは言えず、ほとんどは粗暴犯であって、偶然が重なって逃亡を続けているに過ぎない。

 しかし私は、その認識が間違っていたことを本件事件捜査において思い知らされることとなった。

「本質的な犯罪者による完全犯罪」は存在していたのだ。

 私は「本質的な犯罪者による完全犯罪」の存在にそもそもずっと否定的だった。鼻で笑ってさえいた。長い刑事人生において、恐れ戦くこともなく、不気味な感じを覚えたこともまったくなかった。

 しかし、結論から言ってしまえば「本質的な犯罪者による完全犯罪」は存在し、私はそれを知った時、文字通り身を震わせた。

 ゆえに、私が、今、最後まで行おうとしている捜査は生半可なものでは収まらないはずだ、と覚悟している。その結果、私の身に何が起きるかは二の次の話だ。

 私が、添付した百ページに及ぶ資料で諸君に遺したいのは、「本質的な犯罪者による完全犯罪」の存在を諸君に知らしめ、第一線の捜査における教訓として頂きたい、ただその一念である。

敬具

警視庁警視 星正一

 警視庁警察学校 御中