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「はじめまして」を3000回

2018.07.11 公開 ポスト

最近、胸キュンしてますか?――やっぱり、胸キュンの王者は初恋に限りますね!リケイ男子が、ついに告白されちゃった!?喜多喜久

モテないリケイ男子の恭介が、ついに、クラスの美少女から告白されてしまいます!
な、な、な!! どうなる!? 恭介!!
ここから先、ぐいぐい物語が進みます。
続きは、ぜひ『「はじめまして」を3000回』を手にとってください。

イラスト:かとうれい

2887──【2017・5・15(月)】

 その日は朝から、少し教室の空気が変だった。誰もがどことなくそわそわしているように見えた。

 小さな異変の理由は分かっていた。連休明けに行われた模試の結果が返ってくるのでは、と緊張しているのだ。

 生徒たちの落ち着きのなさを見かねたわけではないだろうが、その日の授業が終わったあとで、テストの結果が返ってきた。

 今回の点数は、まずまずだ。校内では一位、受験者全体では二万八千人中の三位だった。大丈夫だろうと思っていた問題はほぼ正解していたし、解答に迷いがあった問題の正答率は七割ほどだった。

 テスト返却のあと、クラスメイトたちは互いに結果を見せ合ったり、見ていられないほどずーんと落ち込んだり、あるいはこの世の春とばかりに笑みを浮かべていたが、三十分もすると教室に残っているのは俺だけになった。

 さて、そろそろ集中して問題集に取り掛かるか。そう思った時、「お、いたいた」と教室に入ってきた男がいた。高谷だった。

 高谷はいそいそと俺のところに駆け寄ると、「今回のテスト、何点だ?」といきなり質問をぶつけてきた。もちろん、訊いているのは化学の点数だ。

「百点だけど」

「マジか! ちくしょう! また負けた……」

 高谷が俺の机に拳を打ち付ける。かなり痛そうな音がした。俺なら涙目になること請け合いだ。

「残念だったな。早く帰って勉強したら」

 冷たく言って、シャープペンシルを手に取る。すると、「勝手に数学を始めんな!」と高谷に問題集を取られてしまった。

「なんだよ、返せよ」

「俺は九十八点だった。記述式の問題で減点されたんだよ。お前の解答を見せろ。何か、えこひいき的な力が働いた可能性がある」

「……好きにしろよ。ほら」

 化学の答案用紙を渡すと、高谷は顔を近づけてじっくり俺の解答を読み始めた。

「相変わらず字が汚いな。めちゃくちゃ読みにくい。これは減点されるべきだろう」

「いいよ、別に一点や二点引かれたって。答えは合ってるし」

 字が汚いのは昔からだ。綺麗に書く時間があれば、その分を思考に回したい。要は読めればいいのだ、読めれば。

 高谷は俺の答案を睨みつけていたが、やがて顔を上げ、「直すところがない……」と心底悔しそうに言った。

「納得したか? じゃ、さっさと出て行ってくれないか」

「なんだよ、冷たいぞ」

「冷たくない。いつも通りだ。ほれ、早く」

 俺は椅子から腰を浮かせ、高谷の体をぐいっと押した。すると高谷が「暴力反対だ」とかなんとか言いながら押し返してくる。そうして押したり引いたりを繰り返していたので、俺は教室に牧野が入ってきたことに気づかなかった。

「あの、いいかな」

 声を掛けられ、俺と高谷は動きを止めた。牧野は教壇のそばに立っていた。表情がいつもと違って硬い。俺たちの無益で幼稚な諍いに呆れている……わけではなさそうだ。どうやら緊張しているらしい。

「何か用?」と俺は尋ねた。

「ちょっと話があるんだ。こっち、来てくれる?」

 二回だけ手招きして、牧野は教室を出て行った。

 いきなりどうしたのだろうと首をかしげていると、「おい、なにフリーズしてんだ」と高谷にツッコまれた。

「いや、訳が分からないから」

「女子が呼んでるんだから、さっさと行って来いよ」

「なんだよ、お前、フェミニストかよ」

「ジェントルマンと言ってくれ。ほれ、行け行け」

 高谷に背中を押されながら、俺は教室を出た。

 牧野は廊下の中ほどで待っていた。また小さく手招きをして、歩き出す。

 振り返ると、高谷がこちらを見ていた。興味津々の眼差しだ。「ついてくんなよ。っていうか帰れ」と釘を刺し、牧野のあとを追う。

 牧野は階段を上がっていた。三階を通り越し、さらに上へと向かっている。四階には家庭科室や放送室、視聴覚室などがある。特別授業がある時にしか立ち入らないフロアだ。その階で話をするつもりらしい。

 四階にたどり着くと、牧野は左右を見回し、さらに廊下を奥へと進んでいく。俺はすでに彼女に追いついていたが、横に並ぶのはなんとなくためらわれたので、二メートルほど後ろを歩くようにした。

 辺りにひと気はなく、しんと静まり返っている。聞こえるのは、上履きのゴム底とリノリウムの廊下がこすれて立てる足音と、グラウンドで野球部がボールを打つ音だけだった。

 牧野が足を止めたのは、廊下の奥にある和室の前だった。茶道部が使っている八畳の部屋だが、今日は部活が休みなのか、部屋の明かりは消えていた。

 牧野がゆっくりと振り返る。それに釣られ、俺も後方に目をやった。まっすぐに伸びた廊下に午後の陽光が落ち、玄関先の飛び石のような模様を描き出していた。

「大丈夫、誰もいないよ」

 牧野が囁くように言う。その声は小さかったのに、どきん、と俺の心臓が弾かれたように大きく跳ねた。

 顔を正面に戻すと、牧野は俺をじっと見ていた。そうすることが自分の使命だとでもいうように、まっすぐに俺の目を見つめている。

 遠慮なく向けられるその瞳の圧力に耐えきれず、俺は目を逸らした。

「……話って、何」

 喉から出てきた俺の声は、寝起き直後のようにかすれていた。

「うん。誰か来るといけないから、早く済ませるね」牧野はそう言って、一歩分、俺との距離を詰めた。「私と付き合ってください」

「はっ?」

 耳にした言葉の意味がとっさには理解できず、俺は思わず顔をしかめてしまった。

「なに、その反応」と牧野も眉をひそめる。

「……ごめん、なんて?」

「ちょ、二回も言わせるの?」

「いや、よく聞こえなかったから」

 牧野は右手で髪を撫で、大きなため息をついた。

「付き合って、って言ったの。あ、誤解を防ぐために言うけど、今からどこかに行こうって意味じゃないよ。男女交際の方」

 牧野はいつもより早口で喋っていた。嘘くさいくらいに焦っているように見える。

 俺は五秒ほど考えを巡らせ、「意味は分かった」と頷いてみせた。要するに俺は、交際を申し込まれたのだ。

 そこで、俺たちの間に沈黙が生まれる。先に口を開いたのは牧野だった。

「……えっと、あの、返事は?」

 俺は天井を見上げ、それから足元に目を落として、「ごめん」と言った。

「ごめんって……え? 断るってこと?」

「あーっと、断る断らない以前のことで」俺は自分のつま先を見ながら説明する。「たぶんこれ、ドッキリなんだよな。『学年一位のガリ勉野郎がカースト上位の女子から告白されたら、どんな反応をするか?』みたいなさ。もしかして、動画とか撮ってるのかな。それか録音? あとでネットにアップしたりすんのかな」

「えっ……」と牧野が絶句する。

 俺は彼女の方は見ずに、ぐるりと周囲を見渡した。目に見える範囲に、こちらに向けられたレンズは見当たらなかった。

「どこにあるのか分かんないや。かなり手間を掛けて準備したんだろうな。でも、俺、そういう悪ふざけに付き合うほどノリがよくないから。悪いな、期待通りのリアクションができなくて。つまり、さっきのはそういう意味の『ごめん』だよ。じゃ、そういうことで」

 俺は一気にそこまで伝えきり、牧野に背中を向けて歩き出した。

 廊下の角を曲がり、階段を降り始めても、牧野の足音は聞こえてこなかった。それで、俺は自分の推測が正しかったことを知った。

 はっきり言えば、俺は失望していた。

 牧野が自分を好きじゃなかったことに、ではない。そんなのは当たり前だ。そうではなく、牧野がこういう、誰かを傷つけて喜ぶような悪ふざけに手を出したことに、俺はがっかりしていた。

 牧野は明るくて、社交的で、誰とでも仲良くなれる「そつのなさ」を持っている。両手足の指を使っても数えきれないくらい友人がいて、充実した高校生活を送っている。

 牧野はその状態に満足していると思っていた。だが、俺は牧野を過大評価していたようだ。牧野は退屈な日常に飽きを感じ、俺をターゲットにしたイタズラを仕掛けてきた。しかも、かなりたちの悪いやつを。

 自分がイジられる側に回ったことは、仕方ないと思う。周りから疎まれる生き方をしているという自覚はある。牧野がやらなくても、いずれ何らかの攻撃を受けていた可能性はあるし、そうなった時の対処もシミュレートしてある。牧野の告白が偽物だと即座に看破できたのも、その準備のおかげだった。

 恥をかかずに済んだことはよかった。だが、できればこの緊急回避術を、牧野相手には使いたくなかった。それが俺の率直な気持ちだった。

 二年四組の教室に戻ると、鬱陶しいことに高谷はまだいた。太い眉を撫でながら、俺の席で自分の答案を眺めている。

「なんだよ、帰れって言っただろ」

「いや、帰れるかよ。牧野と何の話をしてたんだよ」

「それの話だよ」と俺は答案用紙を指差した。「模試の点数を知りたいんだってさ」

「……それだけか?」

「残念ながら、と言えばいいのかな」と俺は肩をすくめてみせた。「お前が何を期待してたか知らんが、極めて事務的なやり取りのみだった」

「ふーん。そんなの、ここでサクッと訊けばいいのに」

「お前がいるから気を遣ったんだろ」

「ああ、なるほど、そういうことか」

 高谷は俺の嘘に簡単に騙されてくれた。「牧野って、意外と俗物なんだな」などと言いながら、教室を出て行こうとする。

「ちょっと待った」俺は高谷を呼び止め、自分のリュックサックを手に取った。「俺ももう帰るわ。駅まで一緒に行こうぜ」

「別にいいけど、珍しいな。俺から化学の知識を盗むつもりか?」

「あいにくだけど、盗むようなものは何もないね」と返し、俺は教室を出た。

 俺の挑発に乗り、高谷が「おい、侮辱だぞ!」と文句を言いながら追い掛けてくる。俺は高谷に追われながら、小走りに階段を駆け下りた。

 このあと、ひょっとすると牧野が教室に現れるかもしれない。その可能性を考えると、とてもじゃないが居残って勉強する気にはなれなかった。

 その夜。俺は自室のベッドで時間を持て余していた。趣味のプログラミングに取り組む気にはなれず、さりとてすんなりと眠れるわけでもない。放課後のあの一件は、未だに尾を引いていた。

 牧野からの突然の告白──ごっこ。

 俺はあれを悪ふざけの一種だと即断した。その対応が間違っていたとは思わない。しかし、こうして時間が経つと、どうしても「ひょっとしたら」という気持ちが浮かんできてしまう。つまり、あれがイタズラではなかった、という可能性だ。

 牧野が、本気で俺と付き合いたいと望む。そんなことが果たしてありうるだろうか。

 春休みに近所の歯科医院で知り合ってから今日まで、何度か牧野とは言葉を交わした。どの会話も短く、当たり障りのない内容だった。勉強の仕方がどうとか、成績がどうとか、そんな話だ。そこに、色恋の気配はなかった……と思う。

 去年のうちから牧野が俺を気にしていた、というパターンも考えられる。自分の容姿が異性を惹きつけるものだとは思わないが、その辺のセンスは千差万別で、個々人の資質に拠るところが大きい。何が起きてもおかしくない。

 牧野は人知れず、俺に片思いをしていた。しかし、晴れてクラスメイトになったものの、すぐには想いを伝えられず、また、恥ずかしさからろくに話し掛けることもできず、ひと月が経過した。そして、今日、とうとう一大決心をして、牧野は俺に告白することを決意した──。

「……いや、ないな」

 そう呟き、俺は寝返りを打った。こんなの、推測じゃなくて妄想だ。全然現実味がない。あれはやっぱりイタズラだと考えるのが妥当だろう。

 悶々と余計なことを考えていると、本格的に眠れなくなりそうだった。とにかく布団に潜り込めば、そのうち朝がやってくるだろう。俺は部屋の明かりを消すために、いったんベッドを降りた。

 壁のスイッチを押す前に、時計に目をやる。午後十一時半を過ぎていた。

 異音を耳にしたのは、その時だった。

 かちん、と、何かが窓にぶつかる音がした。

 気のせいかと思ったが、十秒ほどして、また同じ音がした。

 ──まさか……?

 俺は唾を飲み込み、カーテンを開けた。

(『「はじめまして」を3000回』/喜多喜久著 より)

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「はじめまして」を3000回

「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞を受賞した『ラブ・ケミストリー』でデビュー、累計50万部の人気シリーズ『化学探偵 Mr.キュリー』を生んだ小説家、喜多喜久さんの新刊『「はじめまして」を3000回』は、泣けるラブ・ミステリー!

同級生の美少女から、突然「私と付き合わないと、ずばり、死んじゃう」と告白された、リケイ男子の恭介は、彼女に振り回されてばかり。しかし、彼女への思いが恋に変わり始めていったある日……。

ラストの衝撃で、確実に泣けるこの作品。物語はこんなふうに始まります。
(イラスト:かとうれい)

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喜多喜久

1979年、徳島県生れ。東京大学大学院薬学系研究科修士課程修了。元・大手製薬会社の研究者。 2011年、第9回「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞を受賞した『ラブ・ケミストリー』にてデビュー。 2013年にスタートした「化学探偵 Mr.キュリー」シリーズは、累計50万部の人気シリーズに。 ほかに『恋する創薬研究室 片思い、ウイルス、ときどき密室』『リケコイ。』『アルパカ探偵、街をゆく』『科警研のホームズ毒殺のシンフォニア』『ヴァンパイア探偵』『青矢先輩と私の探偵部活動』『死香探偵』など著書多数。

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