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ペンギン鉄道なくしもの係

2018.12.12 公開 ポスト

#3 世にも不思議な「なくしもの係」――前向きに生きる後押しをくれるハートウォーミング小説名取佐和子

 電車での忘れ物を保管する、通称・なくしもの係。そこにいるのはイケメン駅員となぜかペンギン。不思議なコンビに驚きつつも、訪れた人はなくしものとともに、自分の中に眠る忘れかけていた大事な気持ちを発見していく――。
 第5回「エキナカ書店大賞」第1位に輝いた、『ペンギン鉄道なくしもの係』。駅のなかの本屋さんが選んだ、「いちばんオススメの文庫本」です。今回は特別に、本書の冒頭を少しだけみなさんに公開します。

終着駅を降りると

 終点の海狭間駅でおりた乗客は、響子一人だった。無人改札の小さな駅だ。駅をはじめとする付近一帯の土地が、フジサキ電機という企業の敷地となっており、昔は社員以外改札をくぐることすらできなかったという。現在も改札を出ると目の前に工場の通用門がある。警備員も立っている。ただ、社員以外の人間も門の手前の細い道を通って、海に臨む公園に行くことは可能になった。

iStock.com/paprikaworks

 響子は前夜のうちにネットで調べておいた海狭間駅情報を思い出しながら、改札を抜ける。待合室のようなスペースに出た。床も壁も板張りで、駅というより山小屋のような雰囲気だ。待合室の出口と向かい合うようにして、工場の通用門が見えていた。

「えーと……遺失物保管所はどこ? まさか工場の中にあるんじゃないよね?」

 響子はひとけのない待合室で独り言を言いながらキョロキョロと辺りを見回した。ネット上には、この駅に遺失物保管所があるという情報はなかった。誰かに尋ねたいが、あいにく駅員の姿はない。工場の警備員に聞いてみようか? 昨日守保が教えてくれた携帯番号に電話してみようか? いや、まあとりあえず、いったん外に出てみるか。

 響子が待合室の出口に向かおうとした時、ワンピースの上から太股の裏を、誰かにツンツンとつつかれた。不意打ちすぎて「ひぁ」と変な声が出てしまう。

 あわててふりむいたが、誰もいない。しかし気配はある。視線をゆっくり落としていくと、自分を見つめる黒くてつぶらな目があった。「ひぁ」とまた声があがる。本日二回目。

 響子をつついた犯人は悪びれることなく、真っ白な胸を反らすようにして──言い方を変えると真っ白なお腹をつきだすようにして──立っていた。頭部から目の横にかけてのヘアバンドのような白い帯模様とオレンジ色のくちばしが、響子の目を引く。腹は白く背は黒く、見事なツートンカラーになった羽毛はみっちり生えそろい、お腹はなでたくなるような曲線を描いていた。

「あなた、昨日のペンギン?」

 響子は思わず話しかけてしまう。ペンギンはフリッパーと呼ばれる羽のような手をふわっと持ち上げ、首をかしげて響子を見上げた。大きくて肉厚な足をニジニジとずらせてバランスをとっている。わりと長めの尾がピコンと反り返った。か、かわいい。どうしよう? かわいすぎる! 海の生き物っぽい生臭さはあるが、そんな現実を押しやってしまうほどのドリーミィな愛らしさに、響子はおおいに動揺した。一瞬、なぜ自分がここにいるか忘れてしまったほどだ。

「ひょっとして、笹生さんですか?」

 わ、ペンギンが喋った! 響子が目をむくと、「あ、こっちです」とあわてたような声がした。響子は目をむいたままの形相で声の主を探す。すると、改札脇の壁が引き戸のように横にひらいて、濃いめの赤に染めた髪が印象的な青年が立っていた。

「おはようございます。大和北旅客鉄道波浜線遺失物保管所の守保です」

 透明感のある声でよどみなく自己紹介され、響子はようやく本来の目的を思い出す。

「おはようございます。笹生です」と挨拶し、あらためて守保と向き合った。

 こんな人だったんだ、と心の中だけでつぶやく。電話口の声も若かったが、実物はもっと若い、ように見える。赤い髪の印象もあって、バンド活動をしている大学生にしか見えない。モスグリーンのズボンに白の開襟シャツという鉄道会社の制服をちゃんと着ているのに、モラトリアム無職の雰囲気がそこはかとなく漂ってしまう。波線を描いてフニャッと口角の上がったアヒル口は下手な女の子よりも愛嬌があり、長めの前髪から見え隠れするつぶらな目はペンギンと似てなくもない。

「どうぞ。お入りになってください。岩見さんもすでにいらっしゃってます」

 もう一人の落とし主である男性の名前は、岩見というらしい。守保の口調は電話と同じくていねいだった。ただ、目の前で喋っているのを聞くと、外見とのギャップのせいか、よりていねいできちんとしているように思える。

 部屋の入口に立つ守保が体をずらすと、響子より先にペンギンが中に入っていった。ペタペタというアニメの効果音みたいな足音がかわいい。

 物言いたげな響子の目に気づいたのか、守保は小さな歯を見せて笑った。

「あ、いいんです。彼もここの者ですから」

「ここの者? 職員さんなんですか?」

 響子の真剣な問いに、守保は「いえ」と戸惑ったようにまばたきし、赤い髪をクシャッと掻く。

「ペンギンは働きません」

「……ですよね」

 響子はうつむいた。恥ずかしさのあまり、そもそもなぜペンギンが駅にいるのか聞きそびれてしまった。うなだれたまま、入口をくぐる。

 壁にまぎれる引き戸こそ変わっているものの、中に入ってみればごく普通の狭いオフィスだった。

 部屋の横幅いっぱいにカウンターがしつらえてあり、カウンターの奥にはPCがのった机が二つ並んでいる。机の後ろの壁に大きな銀色の扉が見えた。色といい材質といいノブの形といい、巨大な冷蔵庫の扉といった感じだ。残りの空間は大小高低様々なロッカーで隙間なく埋められているせいか、ことさら狭苦しく感じた。部屋に窓がないのももったいない気がする。せっかく海に近い駅なのに。

iStock.com/Theerapong28

 響子が無意識にボトルの水をあおると、守保が「暑いですか」と恐縮したように言ってリモコンのボタンを押した。ピッと電子音がして、銀色の大きな扉の上に備え付けられたクーラーが唸りだす。設定温度を下げてくれたようだ。響子としてはすでにじゅうぶん涼しかったのだが、せっかくの親切なのでそのままにしておく。カウンターの中と外に一台ずつ置かれた扇風機もフル稼働して、クーラーの涼風を部屋中に行き渡らせていた。天井からつるされた『なくしもの係』と書かれた緑色のプレートが前後にせわしなくゆれている。

「なくしものがかり」と響子が何気なく読み上げると、カウンターの奥にまわって鍵束をいじっていた守保がふりむいた。

「『遺失物保管所』だとなんか響きが硬いし、早口言葉みたいで言いづらいし、こっちの方がわかりやすいと思いません?」

「はあ」

「ゆくゆくは正式名称にしたいと思っています」

 守保は真面目な顔でわりとどうでもいい夢を語る。のんきな職場のようだ。そういえば机は二つあるが、職員は守保一人しか見当たらない。一人でじゅうぶん回せる量の仕事しかないのだろう、と響子は勝手に決めつける。

 この狭いオフィスの中にたしかに入っていったペンギンの姿が消えてしまっていることを不思議に思いつつも、響子はあえて言及しなかった。ペンギンがいると、どうも気持ちがふわふわしてダメだ。やつが姿をくらませている今のうちに、やるべきことを終わらせてしまおう。

「あの、岩見……さんは?」

「今、公園の方で一服していらっしゃいます。すぐ戻ってきますよ」

 響子より一本早い電車で来たのだとしたら、もう三十分以上この小さな駅で待っていることになる。そりゃ一服したくもなるだろうと響子は恐縮した。

 守保は鍵束の中からようやくお目当ての鍵を見つけたらしい。後ろのロッカー群の一つの扉をあけて黒のメッセンジャーバッグを取り出してくると、カウンターにそっと置いた。

「後から届いた方の、メッセンジャーバッグです」

 響子はすぐ手に取って中を確認したい気持ちを懸命に抑えた。近くから見るかぎり、自分のバッグのようにも見えるし、違うようにも見える。つまり、よくわからない。ひと様の持ち物だった時のことを考えて、遠慮した。

 こんなことなら目印にストラップかキーホルダーをつけておくんだったと、響子が後悔のため息をついた時、後ろの壁──のように見える引き戸──がひかえめにノックされた。

「あいてます。横に引いてください」

 守保がやわらかく言うと、「失礼します」と太い声があがる。

 引き戸をあけて入ってきた男性の姿に、響子は目を奪われた。たくましい首に目鼻立ちのくっきりした顔がのっている。肌は健康的に日焼けし、黒のポロシャツ越しにも美しい筋肉が盛り上がっているのがわかった。二の腕に力こぶを作って大きなボストンバッグを軽々と肩に担いでいる。背はうんと高い。

 立花先輩と似てる。響子は何よりもまずそう思った。大学時代の登山部の先輩であり、今は美知の夫になっている立花と醸し出す雰囲気がそっくりなのだ。

「マズイなあ」

「え?」と男性に首をかしげられて、響子はあわてる。無意識に声に出してしまっていたらしい。いかん。いかん。響子がブルッと体を震わせると、男性は納得したように「ああ」とうなずいた。

「たしかにマズイくらいの寒さですね、この部屋」

「すみません。ペンギン仕様で」

 守保の口が波線を描くようにフニャッと曲がる。どうやらさっきのクーラーの温度設定も、響子のためではなくペンギンへの配慮だったようだ。

(続く)


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こちらもあわせてお楽しみください!

 

関連書籍

名取佐和子『ペンギン鉄道 なくしもの係』

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名取佐和子

兵庫県生まれ。明治大学卒業後、ゲーム会社でRPG制作に携わる。退社後、フリーライターとして、ゲームやドラマCDのシナリオを手がける。

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