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カラス屋、カラスを食べる

2019.02.02 公開 ポスト

カワセミは東京のドブ川にもいる松原始(動物行動学者。東京大学総合研究博物館勤務。)

なにかを一途に愛するのは、そう簡単なことじゃない――カラスを研究しつづけて25年。東京大学総合博物館の松原先生が、その知られざる研究風景をつづった『カラス屋、カラスを食べる 動物学者の愛と大ぼうけん 』から一部をご紹介します。愛らしい動物たちとの、ちょっぴりクレイジーなお付き合いをご賞味ください。さて環境アセスメントのバイトを始めた若き日の松原先生。いよいよ海に出ますが…。

▲鳥を探すどころではない(写真:iStock.com/Marcus Millo)

眠れるのは1秒だけ

それから現場の海辺へと移動して、宿泊。翌日、社員さん一人と共に、漁船に放り込まれた。船には大量の道具も積み込まれた。なるほど、こういうことか。海洋調査を一挙にやるために、船をたくさん雇って、何チームも送り出すのだ。

強風の中、漁船は沖に向かって突っ走った。どこで何をしているのかわからない。とにかく、言われたモノを手渡し、結べと言われれば結び、「もうちょっと短くして!」と言われてほどいて結び直し、たぐれと言われれば引っぱり、もうそれだけである。とりあえず、海上でも通じるゴツい無線電話が「モトローラ」と呼ばれていることはわかった。あと、リゴーシャの正体は丸い枠にプロペラがたくさんついた何かだった。回転数で流速を計り、時間当たりの透過水量を計算する計測器なのだろうと推測した。

そして今、STDが沈み切るのを待っているわけだ。

「おっしゃ、もうええわ。引いて」

社員さんの指示でロープをたぐり寄せる。お、重い。STDの重さと水の抵抗に加え、海流に逆らって引き上げる必要もある。私は別に鍛えてはいないが、非力ではないつもりだ。だが、こういう作業で要求される筋肉は普段とはまた少し違う。効率の良い力の入れ方、というのもあるだろう。

半分もたぐらないうちに目に見えて速度が落ちてきて、見かねた船長さんが後ろから手伝ってくれた。さすがに漁師さんは強い。みるみるロープが積み重なってゆく。

やっとのことで100メートルをたぐり終わり、STDを船に引っ張り上げる。上部には2つの穴があるが、ここをフッと吹いて穴に溜まった水を吹き飛ばし、ゴツい端子のついたコードを差し込んで、ゴムでカバーされたボタンをグイッと押す。そうすると、STDから読み取り端末にデータが転送されて、この項目は終了だ。

どうやらSTDとは「塩分濃度・温度・水深」の頭文字で、沈降しながら各水深で塩分濃度と温度を計測する、自己記録式のロガーであったらしい。

どおん、とうねりが来た。大きく傾いた船の左舷側は海面しか見えない。右舷側は空しか見えない。水平に戻ったところでチラッと目をやると、どう考えても船より高い波が押し寄せている。

「これは戻った方がええなあ」

船長さんが社員さんに告げた。まだ全ての計測ポイントを回っていないようだが、船の上では船長さんの判断は絶対だ。

エンジンが回転数を上げ、排気の臭いが強くなった。グイと船首を上げた漁船が大波を乗り越えて走り始める。波に乗り上げると体がぐううっと持ち上げられ、その後一瞬、体がフワッと軽くなる。次の瞬間、ドンッ! と音を立てて船底が海面を叩き、尻を蹴り上げられたような衝撃が来る。これが、一定間隔で、いつまでもいつまでも続く。

その中、疲労困憊した私は、漁船のエンジンカバーの上に座って眠っていた。体が浮き上がった1秒ほどの間に眠り、尻を蹴り飛ばされて目を覚ます。次の瞬間、また浅い眠りに落ちる。これを繰り返すうちに港に戻ったので、どこをどう走っていたのか、さっぱり覚えていない。

あの調査は海洋環境のアセスメントだったのだろうが、なんのためにやっていたのかも、全然わからない。

何もわからないまま、働いたぶんの日給を受け取って帰った。

カワセミはさして珍しくない

さすがに海の上ではカラス屋なんぞ使い物にならなかったのか、海洋調査のバイトはすぐに呼ばれなくなった。

だけどそのうち、知り合いがバイトしたという別のアセスメント会社から声がかかり、こちらには毎月のようにお世話になった。ここにお世話になっていなければ大学院を終えられたかどうかわからない。

▲カワセミ(写真:iStock.com/phototrip)

私が今も使っているニコン・フィールドスコープも、バイト3日ぶんの給料を握りしめて買いに行ったものだ。封筒の中には交通費込みで4万円余り、スコープを買うとスッカラカンになった。

何度もやっていると、こちらも調査の様子に慣れて来る。「ここに来い」と指示された駅まで行き、会社の車で現地入りした社員さんと合流。車でしばらく走る間に周囲の様子を見ておく。周りの環境から何がいそうか注意しておく必要があるからだ。

「ここは大したもん出てへんねんけどぉ」

すっかりお馴染みになった社員さんが、ハンドルを握りながら説明してくれる。

「オオタカとハイタカかなあ。あ、ハヤブサも一応出てたかなあ」

「ミサゴはいます?」

私は少し向こうに見える大きな橋に目を留めて、言った。海のそばで大きな川があるなら、ミサゴがうろうろしていてもおかしくない。

「うん、先月はおったよ。あとカワセミ、一応書いといて」

「どこにでもいますやん(笑)」

「そうなんやけどな、注意してって言われてんねん」

正直なところ、カワセミはさして珍しくない鳥だ。もっとも、繁殖場所は土質の崖に限定される。それを考えればその存続の基盤は決して安泰ではないが、「いるか、いないか」だけで言えば、都市部のドブみたいな川にだってカワセミはいる。本当に保全を考えるなら、「繁殖しているかどうか」「雛を連れているかどうか」などを見なければならない。

だが、調査会社はクライアントの求めに応じて報告書を上げるのが仕事だ。今回求められているのはあくまで「カワセミが確認されたかどうか」であって、調査会社は「いた/いなかった」を報告するしかない。

「どっか買い物に寄る?」

「いえ、大丈夫です。ありがとうございます」

「ここらへん、コンビニないねん。駅前のスーパーで飯買うから」

「はい」

アセスメントバイトは何日もかかるのが普通だ。その間は宿に泊まって、朝イチで仕事に出かけ、コンビニかどこかで昼飯を買って(宿が朝食なしなら朝飯も買って)、現場で落としてもらって一日を過ごす。夕方、拾ってもらって、宿に帰る。

翌朝、7時半に集合。8時から開いているスーパーに寄り、昼飯を仕入れる。私は基本、パンだ。他の人たちは弁当を買ったり、カップ麵を買ったり。ある社員さんは、大盛りのカップ焼そばを買い込んだ後、野菜コーナーで立ち止まった。

「僕、腹減るから、これ齧ってごまかすんですよお」

なんとなくフクロテナガザルに似た社員さんは、そう言って買い物カゴにキャベツを1玉、放り込んだ。

 

* * *

 

環境アセスメント調査バイトにも慣れてきた松原先生。次回、いよいよレアな鳥を見つけますが…!?

関連書籍

松原始『カラス屋、カラスを食べる 動物行動学者の愛と大ぼうけん』

カラス屋の朝は早い。日が昇る前に動き出し、カラスの朝飯(=新宿歌舞伎町の生ゴミ)を観察する。気づけば半径10mに19羽ものカラス。餌を投げれば一斉に頭をこちらに向ける。俺はまるでカラス使いだ。学会でハンガリーに行っても頭の中はカラス一色。地方のカフェに「ワタリガラス(世界一大きく稀少)がいる」と聞けば道も店の名も聞かずに飛び出していく。餓死したカラスの冷凍肉を研究室で食らい、もっと旨く食うにはと調理法を考える。生物学者のクレイジーな日常から、動物の愛らしい生き方が見えてくる!

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カラス屋、カラスを食べる

カラスを愛しカラスに愛された松原始先生が、フィールドワークという名の「大ぼうけん」を綴ります。「カラスの肉は生ゴミ味!?」「カラスは女子供をバカにする!?」クレイジーな日常を覗けば、カラスの、そして動物たちの愛らしい生き様が見えてきます。

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松原始 動物行動学者。東京大学総合研究博物館勤務。

1969年、奈良県生まれ。京都大学理学部卒業。同大学院理学研究科博士課程修了。京都大学理学博士。専門は動物行動学。東京大学総合研究博物館勤務。研究テーマはカラスの生態、および行動と進化。著書に『カラスの教科書』(講談社文庫)、『カラスの補習授業』(雷鳥社)、『カラス屋の双眼鏡』(ハルキ文庫)、『カラスと京都』(旅するミシン店)、監修書に『カラスのひみつ(楽しい調べ学習シリーズ)』(PHP研究所)、『にっぽんのカラス』(カンゼン)等がある。

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