連日テレビを賑わせている、芸能人の不倫騒動や失言問題。過激化するバッシングの一方で、「さすがにやりすぎでは?」と感じている人も少なくないのではないでしょうか。精神医学の権威、岩波明先生の『他人を非難してばかりいる人たち』(2015年9月刊行)は、そんな現代の風潮に一石を投じる一冊。炎上、バッシング、ネット私刑が「大好物」なマスコミや、ネット住民の心理とは一体? その正体を明らかにしていきましょう。
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13年前にも異常なバッシングが
思い返してみると、女優の沢尻エリカに対するバッシングも激烈なものがあった。沢尻は資産家の父親とアルジェリア系フランス人の母親との間に生まれたハーフである。比較的裕福な家庭に育ったものの、中学生時代に父親を病気で亡くしてからは、生活の苦労も多かったらしい。
小学生時代にモデルとしてデビューした沢尻は、2005年の映画『パッチギ!』(井筒和幸監督)の演技で高く評価され、数多くの映画賞・新人賞を受賞した。さらに2006年、TBS系で放送の主演ドラマ『タイヨウのうた』で演じた“Kaoru Amane”名義で歌手デビューし、オリコンシングルチャートで2週にわたって第1位を獲得した。この頃が彼女の絶頂期であった。
ところが、2007年9月29日、自らが主演する映画『クローズド・ノート』(行定勲監督)の舞台挨拶で不機嫌そうな振る舞いを行うと、たちまち世間やマスコミなどによりバッシングを浴びせられ、彼女の運命の歯車が狂うこととなった。
この日沢尻は、ヒョウ柄のドレスと金髪のカツラ姿で舞台上に登場した。「一番思い入れのあるシーンは?」と女性アナウンサーから尋ねられると、彼女は腕組みしたまま「特にないです」と不機嫌に答えた。
さらにアナウンサーが撮影現場に沢尻が持ってきたクッキーについて、「どんな思いでクッキーを焼いたのですか?」と聞いたところ、彼女は司会者を睨み付けて、「別に」とつぶやいた。現場は凍りついたような雰囲気になった。
この沢尻の無礼な態度は、激しいバッシングを引き起こした。芸能界からも、和田アキ子が「なにが女王様なの?」と批判し、この章に登場したみのもんたも、「礼儀がわかってない」と激怒した(週刊文春 2007年10月11日号)。
この「別に」というフレーズは、一種の流行語にもなっている。
「偽善者たち」が彼女を叩き続けた
10月2日、この件に関して公式ホームページに本人名義で謝罪コメントが掲載された。その後テレビ番組出演時のインタビューでも沢尻は涙ぐみながら謝罪をした。
だが、数年後のCNNのインタビューでは、「あれは間違いでした。前の事務所が謝罪しなくてはいけないと言ったけれど、ずっと断っていたんです。絶対したくなかった。これが私のやり方なんだから、と。結局私が折れて。でも間違ってた」と述べている。
前述の「週刊文春」には、沢尻を批判するドラマ関係者のコメントが掲載されている。
「二十歳そこそこで演技派女優とチヤホヤされたせいで、すべて自分の思いどおりになると勘違いしている。……新聞の取材で面倒くさがって『それは別の雑誌に書いてあるから、適当に写しといて』って言ったのには呆れました」
事件から2年後、2009年9月30日に所属していたスターダストプロモーションとの専属契約が解消された。事実上の解雇であった。その後の数年間、沢尻は芸能界を干された状態で自らも仕事を放棄していたが、2012年に主演映画『へルタースケルター』(蜷川実花監督)でようやく女優復帰した。
けれども問題の舞台挨拶からかなりの時間が経過しても、彼女に対する逆風は収まらなかった。次に示すのは、日刊サイゾーに掲載された記事の一部である(日刊サイゾー 2009年1月13日号)。執筆者であるベテランの芸能評論家は、沢尻の事件についてこれまでの経過を述べた後、次のように結論している。
「……もはや、表舞台での問題発言だけではなく、社会人としての常識を持ち合わせていないという化けの皮が剥がれてしまった沢尻、事務所の忸怩たる思いを知るがゆえ、筆者としては芸能界から消えてもらいたいという思いが強い。」
あるいは、このような「正論」を聞いて納得してしまう人もいるかもしれないが、少し考えてみれば疑問が湧いてくる。もし本気でこういう発言をしているのであれば筆者の感覚が疑わしいし、そうでなければ正義派を気取った偽善的な言葉である。
他人を非難してばかりいる人たち
連日テレビを賑わせている、芸能人の不倫騒動や失言問題。過激化するバッシングの一方で、「さすがにやりすぎでは?」と感じている人も少なくないのではないでしょうか。精神医学の権威、岩波明先生の『他人を非難してばかりいる人たち』は、そんな現代の風潮に一石を投じる一冊。炎上、バッシング、ネット私刑が「大好物」なマスコミや、ネット住民の心理とは一体? その正体を明らかにしていきましょう。