欧米や他のアジア諸国と比較して、日本のデジタル分野での遅れは深刻です。さらにコロナ禍でその差は広がり、もはや日本は技術後進国だという声まで聞こえるようになりました。『シリコンバレーの一流投資家が教える 世界標準のテクノロジー教養』(山本康正著、幻冬舎)ではこの現状に警鐘を鳴らしつつも、そんな未曽有の危機が日本企業にとってチャンスにも転じることを説いています。このデジタル時代を生き抜く人材になるための方策を収録した、本作の一部を紹介します。
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大企業に才能あふれるエンジニアが集まらない
今回は私のビジネスパートナーでSaaS投資の第一人者である倉林陽氏を招きましたのでその知見を紹介します。
SaaSとは「Software as a Service」の頭文字を取った言葉です。自社開発ソフトやパッケージソフトを自社のサーバーに導入するのではなく、クラウド上にすでに存在しているソフトウェアを必要な分だけサービスとして利用する形態を指します。
デジタルエコノミーの世界ではSaaSの活用が欠かせません。
日本ではSI(受託型のシステム開発・導入)の市場が七兆円くらいあります。その他に、売り切り型のパッケージソフトが一・五兆円、クラウド全体が一兆円です。そしてクラウドの半分の五千億円がSaaSといわれています。
このSaaSが今、急速に広がっています。コロナ後の株価の伸びを見ればおわかりになると思いますが、大きく伸びたほとんどのビジネスがSaaSに関わるものでした。SIやパッケージソフトの課題としては初期コストが高かったり、アップデートやメンテナンスが大変だったりといった欠点が挙げられました。その課題を解決したいという狙いでクラウドやSaaSに移行し始めているわけです。
「ですが日本はようやくという感は否めません。アメリカでは二十年くらい前にSaaSのコンセプトが登場し、今ではその代表格であるセールスフォースの時価相場がパッケージソフトの代表格であったオラクルを超えました」(倉林氏)
日本では大企業が大きなシェアを持つSaaSを生み出せていませんが、アメリカも同じだといいます。倉林氏が日本代表を務めたSalesforce Venturesも、元々はスタートアップだったセールスフォースの投資部門です。小さい規模で始まったところに、優れたエンジニアとデザイナーとビジネス変革を目指す起業家が集まって、SaaSの歴史を塗り替えてきたのです。
すでに数十年の歴史を持つ巨大ITベンダーであるオラクルやマイクロソフトがSaaSを最初に始めたわけではありません。なので、企業の規模は関係がないといえるのですが、オラクルやマイクロソフトと比較すると、規模が小さい富士通やNECでもSaaSアプリケーションは生み出せていません。同氏はこのことを問題視すると同時に、至極単純な理由があることを説明しました。そこには才能が集まらないのです。
才能のある日本人エンジニアがたくさんいることは広く認められています。実は、彼らは世界レベルで見ても能力が高いので、海外のクラウド業者からも引っ張りだこなのです。
ただ、その才能ある日本人エンジニアは、国内・外資にかかわらず大企業で働くことを嫌う傾向にあることを同氏は指摘します。成果だけを要求され、それ以外の縛りがほとんどないスタートアップで仕事がしたいというのが彼らの望みだそうです。
倉林氏は「日本の場合は彼らにとって幸いなことに、市場に出回っているソフトはSIerが作った古いものばかりしかありません。それを今、才能あるエンジニアが集まるスタートアップが次々とSaaSに置き換えています」と言いました。つまり、未開拓の土地が日本には山ほどあるようなものなのです。
同じようなことは、アメリカではずいぶん前から起きていました。始まりは顧客管理や人事の分野からです。セールスフォースが顧客管理ソフトで世界一位なのは有名ですが、人事領域だとSuccess FactorsやWorkdayがどんどん大きくなりました。
SaaSが作り出す新しいインフラ
今はSaaSに関して大きく二つの流れができていることを、倉林氏は教えてくれました。DXの中心となるSaaSの二大潮流の内、一つは「インダストリークラウド」という特定業界の向けサービスです。製薬業界向けでは顧客管理で大成功しているVeepa Systemsがありますし、建設業界ではProcoreという会社が上場しようとしています。
倉林氏の投資先でも、建設業界向けでは日本でアンドパッドという会社が最近六十億円調達し、薬局業界でもカケハシが力をつけています。ちなみに同氏がカケハシに投資を決めた二〇一六年頃、カケハシの競合会社の画面デザインが、彼が新卒で富士通に入社した頃(一九九七年)と同じだったそうです。
「それぐらい平均的な日本企業は遅れていて、そこに優秀なスタートアップがユーザーインタフェースの優れたSaaSアプリケーションで参入してくれば、当然ですがコンペで勝ってしまうわけです」(倉林氏)
そして、もう一つの流れは、今アメリカで起きていることで、これから日本にも当然入ってくることです。倉林氏が「SaaSマネジメント」と呼んでいる流れです。これだけSaaSが出ているのですから、その広がりにより新たに発生するインフラの部分で次々と新しいサービスが登場しているのです。
同氏が挙げてくれた例がアメリカのOktaです。人事情報と紐付けて社員が使えるグーグルアカウントやセールスフォースアカウントを判断したり、それぞれの社員に権限を設定したり。そういった複数のシステムを、一度の処理で利用する機能をシングルサインオンというのですが、それをSaaSでを提供しているのがこの企業です。一つの会社が何十ものSaaSを利用するようになってきたので、求められるサービスとなりました。
さらにHIGHSPOTというアメリカで一大成長を遂げている企業のことも同氏は例に挙げました。AIなどを含めたデジタルツールを活用して営業効率を最大化する取り組みを「セールスイネーブルメント」といいます。このような取り組みにも複数のSaaSを統合する必要があるのですが、HIGHSPOTはこの分野で大変有名です。
SaaSが広がることによって付随的に出てくるサービスが日本でも次々と出てきていることを倉林氏は指摘します。彼はアメリカを見てきて、これから日本でも求められるとわかっているから「SaaSマネジメント」関係のスタートアップにも投資をしているのです。アメリカを追いかけながら日本も進んでいることを、教えてくれました。
シリコンバレーの一流投資家が教える 世界標準のテクノロジー教養
2021年を逃せば、日本企業は百年に一度のチャンスを失う。ハーバード大学院理学修士、元米グーグル、元米金融機関勤務、現ベンチャー投資家の著者が、世界で活躍する8人の知見を紹介し、日本の執るべきビジネス戦略を探る。