緊急事態宣言が発出された夜に作った名曲「緊急事態宣言の夜に」で、「大切な人をなくしたくないんだ」と歌ったミュージシャン・さだまさし。コロナ禍における、想いと行動の記録を綴った新刊『緊急事態宣言の夜に ボクたちのコロナ戦記2020』より試し読みをお届けします。
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「ショーを止めるな!」
2020年9月1日、ウェスタ川越・大ホール。
2月13日を最後に休止になっていた「さだまさしコンサートツアー202 0」が再開。僕は6か月半ぶりにステージに立ちました。
ただただ感無量です。 来てくれるお客様の顔を見ただけで、本当に嬉しかった。 中には1曲目から泣いている方もありました。
「ありがとう」という言葉を、心の中で幾度唱えたかわかりません。 心からありがとう。
コンサート再開の判断には、紆余曲折がありました。新型コロナウイルス感 染症 COVID-19 は、本当に厄介なウイルス。どのように向き合えばいいのか、いまだ正解が見えません。
感染リスクを抑えるためにはステイホームを続けるべきだと主張する人もいるし、それでは経済が止まって生きられない、という人もいます。
僕らがコンサートを行うとき、絶対安全という「ゼロリスク」の保証などあ り得ません。ツアーのメンバーやスタッフ全員PCR検査を受けて陰性の結果 が出ていても、それはその日だけのこと。
お客様ご自身が感染に気づかず、ウイルスを持ち込む可能性も絶対にゼロに はなりません。
何より大切なことはお客様の安全と命なのです。 しかし、僕は覚悟を決めました。 お客様に入ってもらうコンサートをやろうと。 決断の最大の理由は、このままでは「音楽が止まってしまう」と思ったからです。
アメリカに「the show must go on!」という言葉があります。
「ショーを止めるな!」と訳されます。 元々は演劇のための言葉で「劇が始まったら、何があっても最後までやり通せ」という意味なのですが、後に「始めたことは最後までやれ!」という意味 で使われるようになりました。
ショービジネスの世界で、あの偉大な足跡を残したジャニー喜多川さんのモ ットーでした。
「ショーを止めるな!」
これは我々ショービジネスに関わる人間にとっては最も大切な「志」なのです。
音楽は平和の象徴です。 音楽は希望です。
世の中が不幸になったときには必ず音楽の自由が止められる。僕は常々そう言い続けてきましたが、まさに今その不幸に見舞われたのです。 だからこそ今、勇気を持って、安全に音楽を活かさなければいけないという「祈り」を込めてコンサートを再開する決心をしたのです。 僕たち自身、活動停止期間が半年を超え、コンサートのメンバーやスタッフ の間に先の見えない不安がどんどん膨らんでいました。
ある日、ツアースタッフの一人、舞台監督の山形正樹君に電話をしたら、彼がこんなことを言いました。「今、家庭菜園を耕し、秋の収穫に向けて野菜を育てています。ほかにするこ ともないから」と。これはもう、音楽界の絶体絶命の危機です。
現実に、毎日の糧を音楽で得ている歌手やミュージシャンは生活の、生命の 危機を迎えています。
このままでは世界から音楽が消えてしまう。
コンサート開催自粛の期間が長くなるにつれ、ほかのミュージシャンや音楽関係者からの視線も強く感じるようになってきました。
「さだまさしは一体どう動くんだ。いつ活動を再開させるんだ?」と、大勢の仲間に聞かれました。
誰かが走り始めなければすべての動きが止まったままになってしまうからです。
「お前が一番多くコンサートをやってきたんだから、お前から始めろよ」というような期待や圧力も感じました。
幸い我々には、これからお話しする「風に立つライオン基金」に寄り添った 半年間の活動のお陰で、感染症の専門家の皆さんに幾度もお教えいただき、話 し合うことで得たノウハウがあります。
ゼロリスクなどあり得ないけれども、可能な限り安全に行うことは出来るのではないか、という覚悟を持ちました。
よし、やってみよう。
勿論、お客様との相互信頼関係がなければ不可能なのがコンサートというものです。しかし誰かが先陣を切ってコンサート活動を再開し、最大の防御策を行い、安全に運営ができることを示し、コンサートを成功させることで、コンサート開催のための僕たちの新しいガイドラインが生まれるでしょう。僭越ですがそれが仲間たちの勇気と道しるべになるだろうと思ったのです。
これは、今まで僕の人生を支え続けてくれた「コンサート」への恩返しでも あります。
まさに命懸けの「ショーを止めるな!」です。
9月1日、コロナ禍以後、初のコンサートは無事に終了しました。
以後も会場と話し合い、多くの会場では入場者数を50%に制限しました。集客50%では、採算は取れません。
しかし何より大切なことはお客様の安全と生命です。
こんな時期に、ある意味では命懸けで会場まで足を運んで下さったお客様への感謝は、とてもとても言葉になりません。
スタッフも演奏家たちも、みんなで我慢して頑張り、まずコンサートをやることから道を切り拓こう、と声を揃えて団結してくれました。 専門家と幾度も相談しながら、僕らは定期的にPCR検査を行って進めます。
お客様には入場時の検温に加えて念のために靴底の消毒、それからアルコール による手指消毒、マスクの着用の徹底をお願いした上で、健康チェックシート のご記入及び連絡先も頂戴しました(これは個人情報ですので大切に保管し1 か月何も無ければ直ちに焼却処分をします)。専門家が、最も気にするのは「換気」です。幸い僕たちがコンサートを行う「コンサートホール」の多くは 換気のシステムがきちんとできています。多くのコンサートホールの空気は常に換気されています。
会場によっては少しずつ異なりますが、大まかには客席からステージに向かって風は動きます。それで念のために最前列のお客様と僕との間には歌うとき には5メートル以上、トークのときには2メートルの距離を空け、ステージ上 のミュージシャンはソーシャルディスタンスの2メートルの距離を取ってセッティングします。
何よりお客様のために現在考えられる最大の防御を取っています。
ただ、コンサートを行って驚いたのは、僕の体へのダメージが予想以上に大きかったことでした。
コンサート後にステージから楽屋へ移動する際、膝が上がらないのです。ガクガクしてうまく歩けないほどです。
今回のコンサートは、感染予防のための安全を考慮し、いつもより短縮して 約2時間のステージです。新型コロナ以前は3時間くらいのコンサートになっ ても全く平気だったのに。「これがコロナ劣化だ」と、思い知らされました。2月以降、不要不急の外出 を控え、室内で過ごす時間が長かったのです。
そんなこともありましたが、お陰様で9月から2021年1月9日までの 公演を終えて今、お一人の感染者も報告がなかったことが我々の勇気になりました。
さて、ではコンサートが出来ない期間、僕は何をしていたのか。
ミュージシャンとしての活動は出来なくても、誰かのお役に立てることは幾 らでもあります。
僕は2015年に、「風に立つライオン基金」を設立しました。 最初は途上国で頑張る日本人の医師や教育者の力になりたい、と思いました。 しかし、災害国である日本では毎年のように自然災害が起きます。
数々の災害現場を経験するうちに、人を救うために活動を行う国内の個人や団体に対しても、物心両面からの支援を提供しようと思うようになり、自分たちの出来ることを探すようになりました。 今回の新型コロナウイルス感染症 COVID-19 の流行においても、この「風 に立つライオン基金」に出来ることがあるのではないかと考えたのです。
いろいろなことを思い、学び、模索し、そして実践した約半年間。「風に立つライオン基金」の設立者として、試行錯誤しながら取り組んだ我々 の財団の一年に及ぶ精一杯の活動を振り返ります。