2021年の2月12日~19日まで長野県伊那市高遠町にCM撮影のために滞在していた。
ご存知の方も多いと承知しているが、長野県ではかねてより昆虫を食べる文化がある。
地球温暖化の中、改めて環境保護や温暖化対策の視点からも見直される昆虫食だが、ことこの長野県においては暮らしと密着して昆虫を食べる文化が根強く残っている。
その理由としては、長野県が海に面しておらず、タンパク質の補給を海産物ではなく昆虫食に頼っていたというのが通説だ。
長野県内で生まれ育った私も、幼い頃には野山でイナゴやバッタを取って持ち帰り佃煮にしたものを食すなど、昆虫を食べる文化に親しんできた。
特に甘辛く煮付けたイナゴの佃煮を乗せたお茶漬けは美味しかった。
東京に活動の拠点を移してからというもの、なかなか日常生活の中で昆虫を食する機会は喪われつつあったが、今回の滞在で久しぶりに昆虫の味を楽しめるのが楽しみだった。
滞在先の長野県伊那市で主に食されている昆虫は、イナゴ・蜂の子・蚕・ザザムシである。中でもザザムシは世界中でこの伊那谷でしか食す文化がないと言われている超珍味である。
ザザムシとは、トビケラ目、カワゲラ目、カゲロウ目などの水生昆虫の幼虫の総称である。
名前の由来は、特に流れのある河川の石の下に多く生息し、川がザーザー流れる場所にいることからザザムシになったそうだ。
小石の隙間に糸で小石をくっ付けて巣を作り網にかかったケイ藻類を食べて生息しているザザムシ。その味をある人は「磯の香りがたまらない」とボクに教えてくださったことがある。
十数年前にはイタリアに本部を有する「スローフードインターナショナル」という国際組織が、地域の伝統的な食を後世に残そうと進める「味の箱舟」プロジェクトの品目として、長野県では初めて、伊那谷特産の「ザザムシ」と「木曽の赤かぶとすんき漬け」の2つを認定した。個人的に関心があったものの食べる機会がこれまでなかった。
撮影中は慌ただしく、ゆっくりと食事を楽しんでいる余裕がなかったが、CMのロケが全て終わった翌日の2月20日、私は1日だけ延泊をして、ザザムシを堪能することにした。伊那市観光課の吉岡さんという方のご紹介で、最年長のザザムシ漁師さんが取材をご快諾くださり、この日、早朝からザザムシ漁・調理に参加させていただけることになった。
今回、ザザムシ漁を教えてくださったのは、漁歴50年のベテラン、菅沼重真さん(85)。
早朝、駒ヶ根市にある菅沼さんのご自宅を訪れると長靴などを用意してお待ちくださっていた。
着替えて、菅沼さんが運転する軽トラックの荷台に乗せていただき川に向かう。
郵便局員として長年働いてこられた菅沼さんにとって、伊那の川や山、田んぼは子供の頃からの遊び場だ。
「ザザムシは佃煮にしてそれをお茶漬けにするのが美味しいんですよ」と教えてくださった。
川に到着すると、たくましく急勾配の坂道を菅沼さんは川を目指して下ってゆく。冷たい川に入り、ザザムシが潜んでいそうな石を探す。菅沼さんはその石のわずか下流に「四つ手」と呼ばれる自家製の網を仕掛けると、鍬で石を動かしてザザムシを網へ追い込んでゆく。12月から2月までと決まっている漁期は間も無く終わろうとしているが、「漁期も終わりに近いこの時期にしては上出来だ」と続々とザザムシを捕獲でき菅沼さんもご満悦な様子。
漁にあとから合流した菅沼さんの孫・菅沼仁胡(11)さんは、器具を活用した菅沼さんの採り方とは違い、石を一つ一つひっくり返して巣から割り箸で採集する方法で続々と成果を出してゆく。
約一時間半で、約200グラムのザザムシを収穫することができた。
早速、自宅に戻って調理の準備を始める。
まず大まかにザザムシを水洗いしたあと、混ざった砂利や落ち葉を取り除く。
その後、美味しく食べるためのポイントは何度もアク抜きをするということ。
今回ボクが見させてもらった限り、菅沼さんは四回に渡ってザザムシをさらした水を取り替えていた。水にさらすことでフンや砂利を排出させることで川の臭みが消え、美味しくザザムシを食することができる。ここまででようやく調理の準備が完了である。
あとは、醤油とみりん、砂糖と日本酒のみというシンプルに味付けする。
「さあ、食べますか」
出来上がったザザムシの佃煮、漬物、魚の焼き物、炊き立てのご飯が食卓に並ぶ。
すかさず、孫の仁胡さんがザザムシの佃煮に手を伸ばし、食べている。
「美味しい?」
「うん」
ボクも、まずはシンプルにザザムシだけで頂いてみる。
塩っぽい磯の香りが口の中に広がってゆく。
思わずボクは、「イクラだ!」と叫んでいた。
プチっ、プチっ、とザザムシが口の中で弾ける。
その塩っけから身体は次第にご飯を欲してくる。
「さぁさぁ、これも試してみてくださいな」
ちょうどいいタイミングで、菅沼さんがザザムシの佃煮が乗った白米の上に、緑茶を茶碗に注いでくださる。
絶対、美味しい。
イクラのような弾ける塩っけは、それだけで食べるよりも白米を添えたほうがよりその味が引き立つはずだ。
ボクは一気にお茶漬けを啜り込み、再び叫んでいた。
「美味しいですっ!」
「でしょう?」
ご飯とザザムシのコラボレーションは、たとえばイクラの軍艦を食べる時の感覚だ。
ザザムシの外見が苦手だという人も、機会があればぜひ川のイクラだと思って試してみて欲しい。
自分で採らなくても伊那市内にはたとえば創業74年の佃煮専門店「伊那の幸 塚原信州珍味」など、伝統的な味を卸しているお店もある。
ふと、ボクを漁に付き合わせてくださった重真さんの方を眺めると、得意げに笑顔を覗かせている。話を伺うと、重真さんは、ザザムシに関していくつかの不安も抱えていらっしゃることがわかった。まずは天竜川流域の護岸工事による水質・水流の変化により、豊富なこの伊那地方のザザムシの減少を巡る問題。そして、ザザムシ漁の後継者不足という問題である。
昆虫食は、カーボンゼロ社会を実現させるための手段として、改めて世界的に注目されつつある。
重真さんの切実な思いに触れたボクの中にはふつふつと昆虫食をテーマにした映画を作りたい、という欲が湧き上がっていた。長野県に生まれ育ち、そして幼い頃から昆虫を食べて育ったものとして、こうした食文化が途絶えてしまうことは無念でならない。これまで映画や舞台の公演で東南アジアやヨーロッパを旅してきた中で、街中にはベジタリアンの店が並ぶ感覚で昆虫食のレストランや屋台が当たり前のように並んでいるのを目にしてきたし、時にはそこで食事をしてきた。
一方、日本国内ではいまだに昆虫食はゲテモノ扱いされる風潮や、バラエティの罰ゲームで扱われるなど、不当に差別的な扱いを受けていると思う。この壁を、映画を通じて壊し、世界にこの長野の伊那谷の伝統的な食文化の魅力を、伝えていきたいと思う。
ボクは菅沼さんご一家に再会を誓い、ご自宅を後にした。
その夜は、辰野町で新作映画の打ち合わせのために滞在することになっていた。
宿泊は築年数推定150年以上という古民家を改装した「古民家ゆいまーる」さん。
ちょうど、辰野町には「アーティストの冬眠」というアーティストインレジデンスプログラムで様々な若手アーティストの方々が滞在していた。初対面の方々、そして町の方々とともに、その夜は、重真さんが持ち帰らせてくださったザザムシの佃煮と、佃煮専門店「伊那の幸 塚原信州珍味」さんで頂いたカイコ、蜂の子、イナゴの佃煮で、昆虫食パーティーを行った。
多くの人は昆虫食は初めてだったが、イナゴや蜂の子は食べやすいと人気だったし、ザザムシは「確かにイクラだ!」とボクの意見に賛同してくださっていた。カイコに関しては、この四種の中では一番、皆の箸が進まなかった。きなこっぽい味が特徴的だが、口の中に皮のようなものが残る感覚が苦手だという方が多かった。とはいえ、カイコに備わるタンパク質は栄養素としてはとても大きく、粉末にしてドリンク化するなど、食べ方に関しては改良の余地があると感じた。
[参考文献]
『信州人 虫を食べる』(信濃毎日新聞社)
住所不定 「映画」と「踊り」を探して
リアルに進む映画制作の記録。踊りの記録。
- バックナンバー
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