緊急事態宣言が発出された夜に作った名曲「緊急事態宣言の夜に」で、「大切な人をなくしたくないんだ」と歌ったミュージシャン・さだまさし。コロナ禍における、想いと行動の記録を綴った新刊『緊急事態宣言の夜に ボクたちのコロナ戦記2020』より試し読みをお届けします。
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『緊急事態宣言の夜に』に込めた思い
4月8日の夜に書き始め、完成したのは9日未明。「そんなにあっという間に?」と不思議がる人もいますが、本来歌ってそういうものです。
「今日、何かが起こった。おかしいぞ。オレはこう思う。お前はどう感じるんだ」
というようなことを、感じるがままに、曲にしていきます。それが歌なのです。
「うた」は「訴う」の語源です。
「歌え」は「訴え」なのです。
感じた思いを「歌にすること」が「うたづくり」の基本なのです。まず作ること、言葉に出すことです。
それをどう表現するか、これを歌うか、歌わないかは、その後のことなのです。
『緊急事態宣言の夜に』には、大きく2つのメッセージを込めました。
ひとつは、人との距離です。
今回のコロナウイルスが厄介なのは、感染力の強さと人によっては重症化し、死に至ってしまうという点。だから、人にうつしたくないのです。
これまでは「大好きだから一緒にいよう」という気持ちでいたのに、それが「大好きだから会わないでおこう」という選択が正解になってしまった。
気持ちとは真逆の行動が求められます。
その思いを、「お前のおふくろ死なせたくないんだ 大切な人をなくしたくないんだ」の一節に込めました。
誰かに会うことで、あなただけでなく、あなたの向こうにいるあなたの母親の命を奪ってしまうかもしれない。自分の感染を疑い、愛のために人と距離を おこうという、強いけれども悲しいメッセージです。
ふたつめのメッセージは、社会インフラの維持のために頑張っている人への感謝の気持ちです。
緊急事態宣言が出された後も、ゴミを集めて、処理してくれる方々がいる。誰か(もしかしたら感染者)が洟をかんだティッシュが入っていたり、袋の口が緩んでゴミがはみ出していたり、触るどころか、近寄るのも嫌なものを堂々 と粛々と片付けてくれている人があります。
ゴミ収集の方々だけでは、ありません。最前線で治療を行う医療従事者や治安を守る警察官も、見知らぬ人と接する宅配業者も本当に大変です。
ある若い医師から「コロナが発生した病院の医療現場に入るとき、遺書を書いた若い同僚がいた」と聞きました。
その若い医師の不安を僕は決して笑うことは出来ません。彼と、昭和の戦時の兵士と何が違うのか。
撃たれても死、病気に負けても死、という、そこまでの覚悟をもって医療に従事する人がいる。ギリギリの覚悟でインフラの維持に臨んでいる人が、沢山いるのです。
そうした方々の思いや苦労を少しでも讃え、元気に変えられないか、広く伝えられないか。これは「うたづくり」としての僕の大切な仕事なのです。
歌うべきか、否か
4月9日未明に完成した『緊急事態宣言の夜に』ですが、僕はこの歌をその 後どのようにするのか、つまり歌うか歌わないかで、少し迷いました。
実は日は僕の誕生日で、ビクターエンタテインメントによる無料ライブ配 信が予定されていました。
2月半ばからコンサートツアーが止まり、僕たち音楽家は表現の場所を奪わ れていましたから、「配信ライブ」という手段しかありませんでした。
それで、僕のお客様たちへの「元気だそう! 僕は元気だ!」というメッセージを込めて、「バースデーだから生でさだまさし」というタイトルでライブ を行ったのです。
このライブで『緊急事態宣言の夜に』を歌うべきか、歌うべきでないか、直 前まで迷いました。
迷った理由はひとつです。あまりに生々しかったからです。
『緊急事態宣言の夜に』のようなメッセージ性の強い曲には、必然的に賛否両 論が巻き起こります。
「オレはそうは思わない。自粛なんてするべきではない」と、トランプみたい なことを言う人だって必ず出てきます。
さだまさしが嫌いなら最初から聞かなければ良いのに、わざわざ歌を中途半 端にしか聞かずに文句を言う人がある。それが実に気障りなんです。
以下、余談になりますが若い頃の話。僕は当時ヒット曲が出る度に悪口を言 われてきました。
まず『精霊流し』で暗いと言われました。僕は胸の内で当たり前だ、亡くなっ た人を偲ぶ歌なんだ、「暗い」という評価そのものがおかしいと反発しました。
『無縁坂』ではマザコンだと。母を歌うだけでマザコンという言葉しか浮かばない浅い批判には笑うばかり。
大体男の子はお母さんが好きだし、母に冷酷な男の子はなにやら情が薄いのではないかとさえ思う。中には「お前の母親は坂道上るくらいで一々ため息をつくのか」などと意地の悪いことを言う人もありましたが、僕は「長崎に来てみろ」と呟いていました。上ったら死にそうになる坂道をいくらでも紹介してやるぞと(笑)。
『雨やどり』で軟弱、『関白宣言』で女性蔑視、戦争映画の主題歌『防人の 詩』は好戦的で右翼的だ、『北の国から』ではあれが歌詞か(笑)。
さだまさしが嫌いだ、と言ってくれればわかりやすいのにねえ。
遠藤周作先生に初めてお目に掛かったのは 代の頃でしたが、いきなり「君 はあれだろ? 同業の同じ年代の仲間に嫌われてるだろ?」と言われて驚いたことがありました。
「はい。先生、僕には何か嫌われる理由があるんですかねえ」とうかがうと、「若い頃、俺も嫌われたんだよ」と思いがけない答えでした。
「人間には嫉妬があるからな。同年代の同業者はね、他人が売れるってだけで 嫉妬する上に、君のようにちゃんとやられると文句が言えないから、結果、嫌うしかないんだよ。だから男の嫉妬には、おい、気をつけろよ」
何とも遠藤先生らしいありがたいエールでしたけれども、その後「おい、君、 小説書けよ」には参りました。
「僕には書けません」というと「書けるよ。君の歌は短編小説になってる。書けるから、書いて読ませろ」これには畏れ多くて、ひどく嬉しかったですが、まさか憧れの、天下の遠藤先生にヌケヌケと小説を書いて持って行くだけの心 臓が無く、結果書くまでに 年以上かかりましたが、この言葉は僕の生涯の宝物の一つです。
当時、今流行っているさだまさしの悪口を雑誌に書いてくれと編集者に頼ま れた(嫌な編集者がいたものだが)あるフォーク歌手が、真面目な人できちんと僕を叩くために僕の歌を隅から隅まで聴いて、却って僕のシンパになってく れて原稿を断ったという方がありました。ありがたいことでした。
人にはその人物の「良し悪し」や、その作品の「出来不出来」以前に、顔が嫌い、声が嫌い、物言いが嫌い、目つきが嫌いと、圧倒的な「好き嫌い」があるのは当たり前なのですから。なのに何故か理屈を言うのですね。
こういったある種の「為にする」意地の悪い中傷や反対意見には、昔から慣 れています。
今はSNSの陰湿な中傷侮辱コメントが問題になっていますが、ああいう手 合いは昔から沢山いるのです。
絶対匿名という安全を確保した上で、素性がバレないから安心して人の揚げ足を取り、正論を気取って残虐な罵詈雑言を吐く「#名無しさん」たちは流行りの『鬼滅の刃』にたとえれば、鬼舞辻無惨の手下の薄気味悪い下弦の鬼みたいなものです。
今回の悩みはそういうものではなく、実は『緊急事態宣言の夜に』はできあがったばかりで、歌詞の推敲も済んでおらず、メロディも不安定でした。
そのあたりが「うたづくり」として不安だったのです。でも思っていないことや、嘘は一言も言っていないぞ。ええい、歌っちゃえ。
4月10日、『緊急事態宣言の夜に』は、ビクターのオフィシャル YouTube と LINE LIVE で配信されました。
誰でも無料で自由に視聴出来たため、反響は大きいものでした。圧倒的に賛成や共感する声が多く、実は少しホッとしました。
配信後ほどなく、NHKの『今夜も生でさだまさし』のプロデューサーから 電話がありました。
「ネットで歌ったのに“生さだ”じゃ歌わないの?」
「歌うべきかな?」
「歌うべきだよ」
「じゃあ歌う」
かくしてNHKの“生さだ”でも『緊急事態宣言の夜に』を披露しました。
ライブ配信のときとは、歌詞も一部変わっています。決して意図したわけではなく、ライブ感で歌っているから、こういう歌はそうなるのです。元々歌は アドリブみたいなものなのです(『雨やどり』の「ませませ」もほぼアドリブでした)。
『緊急事態宣言の夜に』発表後は、急激に取材が増えました。歌詞に関するイ ンタビューがほとんどで、共感して下さった方の多さに驚きました。
運がいいことに、皆さん5月20日に発売するニューアルバム『存在理由~ Raison d'être ~』の宣伝もしてくれるのですから、思いもしなかったこの動きはスタッフにとってありがたかっただろうと思います。
勿論この時期の新聞や雑誌、またテレビでのインタビューは、すべてリモートで行われました。