「あんなぞんざいな言葉遣いをする人間には任せられない」
誰かの言葉を聞いてそう思ったことはありませんか?
逆に、誰かにそう思われているかも?
言葉にはこれまで培ってきた知性、教養、品性、性格、考え方が宿ります。言葉の感覚を磨く、すなわち「語感力」を鍛えるのは、ビジネスでも必須の要素。『この一言で「YES」を引き出す格上の日本語』より、語感力を鍛えるための言葉の知識を抜粋してご紹介します。
無頓着に「大往生でしたね」と言ってはいけない
「死ぬ」を表す言葉は、たくさんあります。
天皇の場合には「崩御」、偉い人の死には「薨御」とか「逝去」も言ったりします。
他には「没す」や「亡くなる」「世を去る」「昇天」「旅立つ」なんて言葉もあります。
中国では、「蝉化」という言葉もあります。これは蝉のように、肉体という脱け殻をこの世界に遺して、魂だけで自由に動き廻ることができる「仙人になる」ことを言ったものです。
さて、今回はその中でもよく使われる「往生」と「他界」のちょっとした違いについて考えてみましょう。
詳しい説明に入る前に少し考えてみてほしいことがあります。
よく、「あの人は大往生だったなぁ」という言葉をお葬式の時に耳にしますが、実はこれ、使い方に注意がいる言葉だとご存知でしょうか? もしあなたが故人について詳しく知らないまま、無頓着に「大往生」を使っていたとしたら、とんでもなく失礼に当たることもある言葉なのです。
そのタネ明かしをすると、一番の大きな違いは、「往生」が仏教用語であるのに対して、「他界」は宗教に関係なく使える、ニュートラルに死を表す言葉なのです。
「往生」は、景戒(生没年不詳、790年頃)の『日本国現報善悪霊異記』に「不孝の衆生は、必ず地獄に堕ち、父母に孝養すれば、浄土に往生す」と使われ、源信(942~1017)が『往生要集』に「応離苦海往生浄土(応に苦海を離れ、浄土に往生すべし)」と記して広く使われるようになった言葉です。
「往生浄土」は、漢文訓読すれば、「往きて浄土に生まる」とも読むことができますが、「現世を去って浄土に行く」という概念や、僧侶が多く使うところからしても、やはり「往生」は、仏教用語であることが明らかでしょう。
それに対して、「他界」は、もともと中国北周の正史である『周書』という仏教とはまったく関係のない書物に出典があります。
それに、「他界」とは「他の世界」という意味であって、必ずしも宗教的な意味が加わっているものでもありません。
そのため、仏教だけでなく、キリスト教でも、神道でも、「他界」という言葉を使うことが可能です。
故人が信仰したり所属したりしていた宗教について詳しく知らない場合は、「他界」を使った方が無難ではないかと思います。
この一言で「YES」を引き出す格上の日本語
「あんなぞんざいな言葉遣いをする人間には任せられない」
誰かの言葉を聞いてそう思ったことはありませんか?
逆に、誰かにそう思われているかも?
言葉にはこれまで培ってきた知性、教養、品性、性格、考え方が宿ります。言葉の感覚を磨く、すなわち「語感力」を鍛えるのは、ビジネスでも必須の要素。『この一言で「YES」を引き出す格上の日本語』より、語感力を鍛えるための言葉の使い分けを抜粋してご紹介します。