度重なる暴対法の改正で人数も勢力も弱まっている「ヤクザ」。それでも、そこには「カタギ」とは違う文化が脈々と受け継がれているといいます。平成11年刊行の山平重樹さんの『ヤクザ大全 その知られざる実態』から、その一端を伺い知ることができるかもしれません。刺青や指詰め、男たちを結ぶ盃の意味、背負った代紋の重み、「シノギ」の方法、ヤクザと企業の関係……。今だから知りたい、当時のヤクザの流儀を抜粋してご紹介します。
刺青は本来、人に見せるものではない
刺青のことをヤクザ者は「ガマン」ともいう。痛いのを我慢して彫るからで、その我慢をこらえてこそ男伊達──というわけである。
ともかくその痛さは、そんじょそこらの痛さではないようで、「刺青彫る痛さに比べたら、指つめなんてよっぽど楽なもんですよ」という御仁もいるほど。
しかも、痛いばかりか、肝臓をやられるケースも多く、場合によっては炎症を起こすことさえあるという。
では、どうしてそんな痛い思いをし、身体に悪いと知りながら、ヤクザは刺青を入れるのだろうか。さまざまな声を拾ってみた。
「別に意味なんてない。ヤクザになるための登竜門かな」
「オレなんか、こんなおとなしい顔してるでしょ。刑務所に行くと、どうしてもカタギに見られてしまって、他のヤツから舐められてしまうんだね。それじゃいかんと彫ったんだけど、やはり見る目が違ってくるわね」
「ガマンというくらいで、そりゃ立派なものが入ってれば入ってるほどどこでも幅がきくし、チンケなものしか入ってないヤツは、バカにされるのがオチだね。どれだけガマンできるか、根性がすわってるかということの証明にもなるわけだからね」
「私の場合は、これでカタギにあと戻りできないんだという覚悟を決めるために彫ったけど、昔から、ただのハッタリ、人を威嚇するための道具として彫ってるヤツが多いんじゃない。
なかには、このヤロー、って、すぐ双肌ぬぐバカもいるらしいから。嘆かわしいことだね。本来、人に見せるもんじゃないんだ」
井上泰宏氏の『入墨の犯罪学的研究』(昭和24年・立花書房)によれば、刺青を入れる動機として、(1)虚栄心 (2)好奇心 (3)無聊 (4)社会的標識 (5)記念と記憶 (6)迷信及信仰 (7)愛玩嗜好 (8)模倣 (9)誘惑或は他人の悪戯 (10)理想 (11)威嚇誇示 (12)性的衝動──などがあるといわれる。
いずれにせよ、刺青を入れるのはだいたいが若いときで、戯れ歌にある、
「年老いて要らぬものとは知りながら、若気のいたり、伊達の勢い」
で入れるというのが本当のところだろう。
二の腕の刺青は前科者の烙印
刺青は「ガマン」の他に、「モンモン」「モン」「クリカラモンモン」などという呼び名もある。
クリカラモンモンというのは、仏画の黒竜の剣に巻きついている倶利伽羅の図に由来するといわれる。この黒竜の剣は、不動明王が持つ降魔の剣である。
こんなような図柄が背中や胸に彫りこまれているとあっては、一般人にとっては確かに不気味で、そら恐ろしいものには違いない。仮に銭湯やサウナなどでも、一人の刺青を背負った男が登場するだけで、とたんにまわりの空気が変わってくる──という経験を持つ人も少なくないだろう。
「あんな痛さを耐えぬいて彫った刺青を、何かといやあ、双肌ぬいでハッタリをかますために使ったんじゃ、値うちがさがるというもんです。
何のためのガマンかというんです。
昔はね、そんなヤツは、“モンモンがおっかなくって、絵草紙屋の前が通れるか”ってせせら笑われたっていいますからね。いくらなんでもいまはそんなバカはいませんよ」(消息通)
刺青の起こりは、中国において癩病除けのまじないだったといわれる。
わが国においては、現代のような刺青は江戸の昔、罪を犯して捕まると、その印として二の腕に時計のようにぐるりと入れられた墨を隠すために彫ったのが始まりという。
これを「入墨入れ直し」といったとか。
最初の御用で、だいたい親指ほどの太さの墨が二の腕に入れられ、再び罪を犯せば同じヤツをもう1本入れられ、というのが江戸の刑罰だった。シャバヘ出ても、この二の腕の墨が前科者の烙印として一生ついてまわったわけである。
そこでこれを隠すために、真っ黒に墨を刺して、二本の筋を消してしまったのだという。
「ヤクザ者が全身に刺青を入れたにしても、脇の下から肘へかけて、二の腕の内裏には決して彫らないというのは、そうした昔の名残りなんですよ。
つまり入れ直しものではない、前科者の印を隠すために彫ったんじゃないということを見せるためなんです。
そこには、御判行(法)の裏を行く稼業ではあっても、非道はしないんだというヤクザ渡世の本筋がこめられてるわけですが、はたしていまのヤクザ者が何人このことをわかっているやら」
とは、ヤクザ社会にくわしいライターの話だ。