度重なる暴対法の改正で人数も勢力も弱まっている「ヤクザ」。それでも、そこには「カタギ」とは違う文化が脈々と受け継がれているといいます。平成11年刊行の山平重樹さんの『ヤクザ大全 その知られざる実態』から、その一端を伺い知ることができるかもしれません。刺青や指詰め、男たちを結ぶ盃の意味、背負った代紋の重み、「シノギ」の方法、ヤクザと企業の関係……。今だから知りたい、当時のヤクザの流儀を抜粋してご紹介します。
法は守らずとも、3つの掟は必ず守る
ヤクザ界には、一般社会における法律とは別に、自分たちの世界で守らねばならぬ私法・掟がある。それは俗に“私設憲法”ともいわれるが、ヤクザが外道にならぬための決めごとといってもいい。
「いま世間は、ワシらのことをまるで秩序も統制もない狂犬集団みたいな扱いをしているが、心外だよ。ヤクザだからって、好き勝手にムチャクチャなことをやっているヤツなんておらんし、そんなことが許される世界じゃないんだ。やはり、ワシらにはワシらなりに守らなきゃならない筋道というもんもあるし、掟もある。そりゃ、厳しいもんですよ」(組関係者)
当然、そうした掟を守らぬ者には制裁が待っている。謹慎、除籍、エンコ詰め、破門、絶縁といった厳しい処罰を科されるのだ。法のワク外に生きるヤクザにとって、一般社会の法律など何ほどのこともないが、彼らの世界の掟こそは絶対なのである。
そんな掟としてよく知られているのは、テキヤの3つの掟。これは、昔もいまも変わらぬテキヤの憲法であろう。すなわち、
一、バヒハルナ
一、タレコムナ
一、バシタトルナ
の3つのタブーである。
バヒハルナ
バヒハルナのバヒは、バイ(商売)とヒン(金銭)の頭文字を取ったテキヤ社会の隠語で、売上金のこと。ハルナ「手を出すな」の意で、つまり、売上金をごまかすな──という意味である。
テキヤの本業は、いうまでもなく高市で露店を出しての商売。バイにあたる若い衆は、つねに売上金を手にしている。バカ売れして思わぬ大金を手にしたときなど、ついつい魔が差すことだってあるだろう。
親分や兄弟分に怒られ怒られ、汗をかき、寒さに耐えて商売に励んでも、いまだ修業の身、自分の懐に入るカネでないとなれば、ついあらぬことを考えてしまうものだ。そうしたことをいましめたのが、この「バヒハルナ」である。
「最近の若い者にはわけのわからんのがいて、売上金はおろか、商品からトラックまで、一切がっさい持ち逃げしてしまうのもいるんだよ。まあ、この稼業、そんなことしたって、全国に私らのお友だち(同業者)の目が光ってるからね。そいつはもう二度と高市には顔出せなくなるんだけど、それさえわからんのかね、いまのヤツらは」(テキヤ関係者)
タレコムナ
タレコムナというのは、文字どおり、組や一家の内々のことを警察にタレコムナ、つまり、しゃべるな、ということだ。
これはテキヤに限らず、博徒にも当てはまることで、ヤクザ共通の鉄則ともいえる掟である。ちみなに、テキヤの「タレコムナ」に匹敵する言葉として、博徒には「ウタウナ」がある。
「口が堅いというのは、ヤクザ者の条件の最たるもんですよ。一家内のことは警察にはもちろん、外の人間にも、いっさい、しゃべっちゃならんということですよ。そうでなきゃ、組織なんてすぐに崩壊してしまいますよ。口の軽いヤツはダメです。だから、私なんか、若い衆につねづねいうのは、一番大事なのは“沈黙”なんだぞ、と。警察にもよそさんにも内輪のことを漏らすな、というんです。いらぬことはしゃべるな、口の堅い男になれ、と徹底させてるんです。たとえ兄弟分とか仲のいい相手であっても、内輪のことでグチをこぼしたりするな、とね」
とは、テキヤ系組長の弁だ。
また、博徒系関係者もこういう。
「警察に捕まったとき、その人間の肚がよくわかるんですよ。オレは絶対ウタわない、なんて偉そうなことをいっても、捕まるとすぐ泣いてウタっちゃう。喧嘩ができなくてもいいから、警察に捕まったときは、最低限、他人のことはしゃべるな、と私はきつくいうんだ。中で何をいってるか、公判の書類を見りゃわかるからね。ウタわないなんていったって、すぐバレるんだ」
タレコムナ、ウタウナ──とは、組織防衛上の鉄則ということであろうが、なかなかいうは易く、行なうは難し──というのが、実情のようだ。
バシタトルナ
3つめのバシタトルナも、テキヤ、博徒共通の掟には違いない。
バシタとはシタバの逆語で、漢字では「場下」と書く。「女陰」の意もあるが、ここでは同じ稼業仲間の妻や愛人のことを指す。つまり、バシタトルナとは、他人の妻や愛人を寝盗るな──ということだ。
テキヤは高市を求めて旅から旅への生活。とかく家を空けることが多いわけで、その間、つい妻女と間違いを犯してしまう不埒な稼業人がいないとも限らない。そんな留守中の家庭のことが気になっては、バイにも身が入るわけがない。
そこから「バシタトルナ」の掟は生まれたわけだが、むろん長旅はテキヤだけの専売特許ではない。
長旅といえば、ムショ暮らし。懲役はヤクザの宿命ともいえるもので、ヤクザは刑務所とシャバを往復する生活と、つねに隣り合わせだ。仮に抗争などで一家のために体を賭け、長期服役ともなれば、女たちはその間、亭主(情夫)不在の孤独で不安な日々を強いられる。
そうした弱みにつけ込んで、女を寝盗る行為は御法度というわけだ。
「女を寝盗った者は、まあ、指を詰めて即刻、破門だろうな。小指のかわりに親指を詰めろなんて話もあるし、あらぬ部分を線香で焼くなどという話もあるが、真偽のほどはわからない。なかには親分の女を寝盗ったという豪の者もいて、破門はもとより、女を連れて日本中、追っ手の手から逃れ続ける生活を余儀なくされているヤツもいるな。そいつはどうなったかね。まあ、見つかりゃ、タダではすまんだろう」(消息通)
武家社会の戒律に「不義はお家の御法度、重ねておいて四つにする」というのがあるが、「バシタトルナ」もそれと同じで、武家社会のそれが、ヤクザ社会にも流れてきたものであろう。
「とかく間違いが起こりやすいのは、長い懲役で、その者の若い衆と妻女とが顔を合わせる機会が多くなるからだろう。だから、昔からヤクザは、絶対、1人で妻女しかいない留守宅を訪ねてはいけないという不文律があるわけだ。もし、どうしても用事で訪ねなきゃならないときがあっても、1人じゃなく2人で行って、しかも家に上がっちゃいけない、玄関先で用を足さなきゃいけないというのは、ヤクザ者の作法だな。私らは、そうしたことを徹底して教育されたもんだよ」
とは、関東の長老の話だ。