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はじめてのトライアスロン

2022.04.26 公開 ポスト

4戦目の猪苗代湖で初挑戦した自然のなかでのスイム倉阪鬼一郎

46歳まで運動経験皆無、52歳までカナヅチだった作家の倉阪鬼一郎さんがなぜかハマったトライアスロン。トライアスロンは、鉄人レースばかりでなく、ハードルの低いレースもたくさんあるそう。3月に発売された新書『はじめてのトライアスロン』は、そんな著者による最底辺からの体験的入門書です。一部抜粋して、体にやさしいトライアスロンの世界をご紹介します。

(写真:iStock.com/Pavel1964)

迷泳、猪苗代湖(いなわしろこ)

スイムがプールの大会の次は、いよいよオープンウォーターです。

オープンウォーター用の練習や準備などについては付録1で詳述しますので、スイムがオープンウォーターの大会に初参加したときのことを振り返ってみます。

2015年8月、トライアスロン4戦目に選んだのは、うつくしまトライアスロンinあいづ(福島)でした。スイムはそれまでのプールではなく、広大な猪苗代湖です。

この大会はバイクコースがワンウェイ(スタート地点とゴール地点が別の一方通行コース)で、前日にスイムからバイクへのトランジション(中継所)にバイクを預けることができます。バイクが並んでいるエリアには勝手に入れないようになっているとはいえ、心配なので念のためにチェーン錠をかけておきました。

当日は会津(あいづ)大学のトランジション(バイクからランへの中継所)にランの道具を預け、シャトルバスで猪苗代湖に向かいました。初めてのオープンウォータースイムですから、トランジションのセッティングをしているときも頭はそのことで一杯です。

いよいよ初のオープンウォータースイムのスタートです。バトルに巻きこまれないようにいちばん後ろからスタートしたのですが、これはかえって失敗でした。わたしは右呼吸(右側での息継ぎ)しかできず、右へ曲がる癖があります。左回りで2周するコースですから、頼りになるコースロープは常に見えません。そのうち、右のほうへコースアウトして注意されました。

修正しようと左へ向かったら、やにわに目の前にロープが現れて肝をつぶしました。あとは似たような迷泳の繰り返しです。平泳ぎしかできない人など、数人の遅いグループでどうにかゴールを目指しました。

55分近くもかけて、どうにかスイムを終えてトランジションに入りました。ほかの遅いグループの人たちはみなスイムでやめるようです。制限時間はバイクスタートまで60分ですから、タイムリミットが刻々と迫っています。

ウエットスーツを脱ぐのに手間取りましたが、どうにか準備が整い、バイクを出そうとした瞬間、ガンッと妙な音が響きました。

その音の正体がわかったとき、血の気が引きました。

そうです。前日、念のためにかけておいたチェーン錠を外すのを忘れていたのです。スイムのことで頭が一杯で、大事なプロセスを完全に失念してしまっていたのでした。

制限時間はあと少しです。焦れば焦るほど思うように手が動かず、チェーン錠の単純な数字を合わせるのにかなり時間がかかってしまいました。

これで関門アウトになったら、孫子の代までの恥だなと思いながら、バイクのスタート地点へ急ぎました。

マーシャル(公式審判員)が腕時計を見て言います。

「ちょっきりですね。スタートしてください」

本当はいくらかオーバーしていたかもしれませんが、ゴーサインを出してくれました。あのときのマーシャルの言葉は、この先も一生忘れないでしょう。

こうして薄氷を踏む思いでバイクに移りましたが、前がまったく見えない最下位です。このままでは次のランへ移るところの関門に引っかかるのは確実ですが、とにかくベストを尽くすことだけを心がけました。

このコースはワンウェイで、沿道の声援が多いことが特徴です。バイクで終了になっても悔いが残らないように、声援してくださる方には必ず大きな声で「ありがとうございます」と答えながら走ることにしました。

そうこうしているうちに、やっと1人抜くことができました。タイムオーバーになった最年長出場の選手にエールを送り、沿道の声援に応えながらなおも走っているうち、コースが下り基調ということもあってだんだん自分の力以上のものが出てきました。

結局、バイクで10人近く抜いて関門をクリア、望外の完走を果たすことができました。ランのゴールが近づいたときは涙がぼろぼろあふれてきたものです。あのとき沿道の声援に応えながら必死に頑張ったバイクを忘れず、その後の人生の糧(かて)とするべく、写真を大事にとってあります。

荒波越えて

次の大会、スイムが人工浜で行われる川崎港トライアスロンin東扇島(ひがしおおぎしま)(神奈川)でパーソナル・ベストを大きく更新する3時間05分台で完走。翌年は、波こそないもののまったく足がつかない大井川港(おおいがわこう)(静岡)をクリアしました。その後、木更津(きさらづ)でゴーグルトラブルに見舞われるなど、何度か薄氷を踏む思いをしましたが、遅いながらも完走を続けました。

残るはいよいよ、波の荒いオーシャンスイムの大会です。アクアスロン(スイム+ランの2種目の大会)などにも出場しましたが、トライアスロンでは河津(かわづ)フラワートライアスロン(静岡)に2度出場しました。11月上旬の伊豆半島、河津の海岸には荒い波が打ち寄せます。波を越えられずにリタイアする選手も出るなか、もみくちゃにされたり、急に目の前に現れた選手にぶつけて突き指をしたり(あとで指が倍くらいに腫れて医者へ行きました)、いろいろありましたが、なんとか完泳してゴールすることができました。

52歳まで泳げず、スイムがプールの大会から少しずつステップアップしてやっとここまで来られました。これも大きな達成感を得られた大会でした。

関連書籍

倉阪鬼一郎『はじめてのトライアスロン』

トライアスロンには2つある。1つは有名な「鉄人レース」で、水泳3・8km、自転車180km、走りがマラソンと同じ42・195kmのもの。これは「人間の限界」への挑戦で、過酷さと崇高さを極める。一方、トライアスロンのオリンピック公式競技は水泳1・5km、自転車40km、走り10kmだ。だが、もっと短い距離(水泳750m、自転車20km、走り5kmとかそれ以下)の大会も多数存在し、じつはオリンピック距離でも、体にあまりダメージが残らない。46歳まで運動経験皆無、52歳までカナヅチだった著者による、最底辺からの体験的入門書。

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倉阪鬼一郎

1960年、三重県生まれ。早稲田大学第一文学部文芸専修卒。作家・俳人・翻訳家。87年、『地底の鰐、天上の蛇』でデビュー。98年、『赤い額縁』を刊行後、ミステリー、ホラー、幻想小説、時代小説など多彩な作品を精力的に発表。『田舎の事件』『活字狂想曲』『怖い俳句』『怖い短歌』(いずれも幻冬舎)など二百冊を超える多数の著書がある。
46歳で運動経験なしでマラソンを始め、54歳からトライアスロンを始める。自己ベストはフルマラソン3時間39分00秒、ウルトラ100キロ11時間49分38秒。フルマラソン、ウルトラ100キロ、トライアスロンを合わせて100戦完走を達成。いずれも専業作家では村上春樹氏に次ぐナンバー2の記録を持つ。トライアスロンはデビュー以来すべて完走。

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