ウクライナ危機で今関心が高まっているロシア。そのロシアと日本は、どんな関係にあるのか。最新の社会科(地理、歴史総合、公共、日本史、世界史、政治・経済、倫理)から多角的に解説します。第4日目は「日本史」。
好評発売中の『1日1ページで身につく!歴史と地理の新しい教養365』から一部を試し読みとしてお届けします。
※ 記事の最後に、伊藤賀一さんの会場&オンライン同時のイベント(2022年4月23日14時半~、イベントまであと4日!)のお知らせがあります。ぜひ、ご参加ください!
* * *
なぜ日露(日ソ)は衝突したのか
大陸に進出したい日本と、シベリア(北アジア)から南下したいロシアが衝突したのが日露戦争(1904~05年)。首都ペテルブルグから遠い戦いに皇帝ニコライ2世が集中できない中、日本の陸軍・海軍は奉天(ほうてん)会戦・日本海海戦などで大国ロシアを打ち破ります。
1905年、アメリカ大統領セオドア=ローズヴェルトの仲介で結ばれたポーツマス条約では、北緯50度以南の南樺太(みなみからふと)を奪い、沿海州・カムチャツカの漁業権が認められました。
その後、4次にわたる日露協約(①1907年、②10年、③12年、④16年)で勢力範囲を相互に確認します。日本が朝鮮半島・南満洲・東部内蒙古(うちもうこ)、ロシアが北満洲・西部内蒙古の利権を有したのです(外(そと)蒙古=モンゴルは独立)。
しかし1917年、レーニンらによるロシア革命でロマノフ王朝は滅亡し、22年に世界初の社会主義国であるソヴィエト社会主義共和国連邦〔ソ連〕が成立します。この過程で、日本は米・英・仏などとともに革命干渉戦争であるシベリア出兵(1918~22年)を行うも失敗します。太平洋戦争時の、日ソ中立条約を破るソ連の参戦は、この仕返しとも言われています。
(第5日「世界史」へ続く)
* * *
2022年4月23日14時半から、伊藤賀一さんの刊行記念イベントを開催します(会場参加&オンライン)。詳細・お申し込みは幻冬舎大学のページからどうぞ。