
生き方
前回の話から二年後。
私が中学一年になったばかりの頃でした。
祖母光子の経営していた小料理屋がいよいよダメになり、長く住んでいた新橋の店を売ることになりました。
東京で3人で暮らすとお金がかかるからと、母教子は東京に残って昼夜働き、私と祖母は、かつて私が住んでいた茨城県牛久町に引っ越すことになりました。
そう。私の育ての母久子が住んでいる懐かしの牛久です。
4歳(1969年)から子役としてデビュー後、バイプレーヤーとして生き延びてきた山野海。70年代からの熱き舞台カルチャーを幼心にも全身で受けてきた軌跡と、現在とを綴る。
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