昆虫図鑑制作の苦しくも楽しい舞台裏をつづった、丸山宗利氏の『カラー版 昆虫学者、奇跡の図鑑を作る』(幻冬舎新書)が発売即重版となり大きな話題を呼んでいる。
今回は本書の一部を紹介。生きたままの姿で虫を撮影するため、全国から虫を送ってもった丸山氏。そのための工夫は驚くべきものだった。
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生きた甲虫を撮影者に郵送する方法
甲虫とはコウチュウ目の昆虫の総称で、あらゆる生物のなかでもっとも多様な一群と言えるものだ。なんと世界で39万種ほどが知られている。
今回、あまり有名でない、いわゆるマイナーな昆虫の分類群にもしっかりと光をあてると同時に、ハエやハチなどの同定自体が難しいものはあまりページをさけないものの、それ以外の多様な分類群についてはしっかりと多数の種を掲載したいと考えた。
甲虫は子供たちに人気があり、種数自体が多いので、当然、外せない種も多くなる。
撮影隊のLINEグループ「甲虫ちーむ」は、他の分類群との兼任を含めると20人を超え、日々、各種の出現期や採集法、撮影した種などの情報交換をした。
また私は個人的に、何名かの採集名人に生きた甲虫の提供をお願いした。福岡県の城戸克弥さんや野田亮さん、大分県の三宅武さんや堤内雄二さんなどだ。とくに城戸さんや野田さんには非常に多くの重要な種を提供していただいた。
生きた虫を送ってもらうのだが、その方法も「甲虫ちーむ」の議題となった。どのような容器が良いか、どのように送るのが良いかなどについてである。
基本的な容器は5~35ミリリットルほどの、キャップのついたプラスチック容器だ。昭和生まれの方であれば、フィルムケースというものを知っていると思うが、それが最良の容器だった。
最初は試行錯誤しながらで、届く間に死んでしまった虫も少なくない。そうしてだんだんとわかってきたのだが、同じ甲虫でも、なかまによって適する送り方に違いがあったのだ。
だいたいの甲虫は、小さな穴をあけた容器に、湿らせたティッシュペーパーと一緒に入れれば、数日なら元気に生きて届く。
しかし、それでも死んでしまうものは死んでしまうし、2ミリほどの小さな甲虫の場合、ティッシュペーパーを湿らせすぎると、輸送の間に水滴が発生し、それで溺れ死んでしまうこともあった。
また、花に集まるカミキリムシなどは、湿らせすぎると逆に弱ってしまうことが多く、容器のなかを適度に乾き気味にする必要があった。
しかし、途中で、ほとんどの虫が死なない方法を、採集協力者の城戸さんが開発してくださった。それは容器のなかに入れるティッシュに、少しだけ砂糖水を含ませる方法だ。
実は、多くの虫は意外に早く体力を消耗し、栄養不足で死んでしまうようで、ほとんどどんな甲虫でも、砂糖水さえ入れれば、かなり長く生きることがわかったのだ。これで無事に受け取れる虫の数が飛躍的に増えた。
また、図鑑の副監修で白バック撮影指導を担当する長島聖大さんが、最初に撮影隊に伝えたこととして、虫の輸送の際などに普通のティッシュペーパーを使わない、というのがあったが、これも大事な点だ。虫に細かい繊維がたくさんついて、撮影の際に掃除をするのが大変になるからである。
不織布でできた実験用のティッシュペーパーを使うのが肝心で、協力してくださる方に事前に容器とともにお送りした。
なお、気になる方もいるだろうから付け加えておくと、生きた虫は基本的にゆうパックでお送りいただいた。ゆうパックは生きた昆虫の送付が許されているし、宅配便より早く届くことが多い。
置き配が一般化した現在だが、箱が陽にさらされると中で昆虫が熱死してしまうことがあるので、直接受け取ることだけは気を付けた。
いつしか甲虫使いの域に
撮影を始めた当初は一種一種の撮影にとても苦労したが、人間どんなことにも慣れるものだ。撮影した種数が300種を超えたあたりから、ほとんどの甲虫の動きが読めるようになり、虫の動きをとめる二酸化炭素の麻酔を使う必要もほとんどなくなった。
容器から出した時、「あれ? ここどこ?」という顔をして呆然としている瞬間にすかさず撮影したり、白い背景を紙相撲のようにトントンと叩いて、驚いている瞬間に撮影したりすることで、ほとんどの甲虫を、1種につき数分以内で撮影できるようになった。ただし集中力がいるので、とても疲れる数分ではある。
どうしてもとまらない虫はレンズで追うようにして撮影する。この撮影方法は大きな虫ほど難しく、さすがに時間を要した。
とくにカミキリムシはとまらないものが多いため全体的に難しく、シロスジカミキリやミヤマカミキリなどの超大型種は1時間近く、何度も同じ場所を歩かせ、動く個体を追ってシャッターを切り続けたこともある。
ほかの甲虫については、ハエ担当なのに甲虫の撮影もピカイチになった久力さんに、無理なお願いをしたこともあった。彼女の住む場所から遠くない海岸の草地にオオコブスジコガネという珍しいコガネムシの生息地があったので、その採集をお願いしたのだ。
そのコガネムシは動物の死体に集まるのだが、糞にも集まることがある。久力さんには、ご実家のイヌの糞や「お弁当」を仕掛けてもらったり、動物の死体を探してもらったりした。夜に多くの個体が現れるので、安全に気を付けて夜に見まわってほしいと頼んでおいた。
しかし、これはうかつだったのだが、夜の海岸には悪い人が遊びに来ることが少なくない。その海岸にはイヌやネコの死体がよく捨てられているらしく、久力さんはなんとその当事者と思しき人たちと鉢合わせしてしまったというのだ。危ないところだったかもしれない。
その後、久力さんはお知り合いと一緒に海岸を探索し、無事にオオコブスジコガネを発見し、撮影ができた。
2021年の夏は甲虫の撮影に追われていたが、同時に総監修として、撮影隊の各写真に対する意見や、別の撮影隊が担当する昆虫の採集依頼など、さまざまな調整作業もあり、これまでの人生でもっとも忙しい夏を過ごすことになった。
また今回、コロナ禍だからこそ、このように図鑑に集中できたということがある。
例年、夏といえば展示や講演で忙しく飛びまわっていたが、そのような仕事がすべてなくなり、しかも、大学もほとんど閉鎖状態だったので、家で比較的自由な時間に作業ができた。
ほかの撮影隊も似たような状況の人が多く、忌むべき疫病ではあるが、皮肉にもそのために無謀とも言える撮影作業が現実的なものとなったのだった。
最後に、春から始まった撮影で面白い出来事があった。それは『学研の図鑑LIVE 昆虫 新版』編集者である牧野さん自ら撮影隊に参加したことだ。それまで昆虫の撮影は未経験だったが、図鑑の掲載種にも実は牧野さんの写真が含まれている。
それがありがたかったのは、撮影種が増えたからではない。何より編集者自らが、撮影の大変さというものを理解してくれたことだ。
そんな図鑑がこれまでにあっただろうか。これは、みんなで作るという、この図鑑の制作過程を象徴する出来事でもあった。
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