オカルトホラーの新星、滝川さりさんの新刊、『めぐみの家には、小人がいる。』の試し読みをお届けします。
机の裏に、絨毯の下に、物陰に。小さな悪魔はあなたを狙っている――。
応接室にやってきた小紫冴子は、やつれた顔をしていた。
緩くウェーブのかかった髪の毛と整った顔立ちは、めぐみとの血のつながりを感じさせた。グレーのチェスターコートに、ベルト付きの黒いワンピース。めぐみと同じく隙のない格好。ただ、ハンドバッグのチェーンは指にかけただけのような持ち方で、どこか力ない、投げやりな感じがした。学校まで乗り込んでくる保護者というのはもっと血気盛んなものだが、彼女の表情はどこまでも静かだった。
「……めぐみは、学校に行かないと言っています」
ソファーに腰掛けるなり、冴子は口を開いた。
「一日中パジャマ姿で、家に閉じこもっています。学校は、嫌なことを言われたり、されたりするから行かない……と」
ぽつりぽつりと、絞り出すような声だった。
「めぐみさんが学校に来られないこと、教師一同、心を痛めております」
白井は、わざとらしく首を横に振った。
「三年二組の教室でも、さみしがっている子が何人もいると聞いてますよ」
「……はい。めぐみさんを気にしている子たちはたくさんいます」
白井と足並みを揃えて嘘をつくことには抵抗があった。しかし、事実を言うわけにもいかない。多分、二組の子供たちは誰も、めぐみのことなんて気にしていない……などと。
「……あの子に対するいじめを、やめさせてはもらえないでしょうか」
単刀直入な冴子の物言いに、美咲たちは思わず顔を見合わせた。白井はわずかに身体を後ろへ反らせて、すぐに前のめりになる。
「いえ、小紫さん。実は、めぐみさんに対する──その、いわゆるいじめは、現時点では確認されてません。複数人の児童に話を聞きましたが、二組ではそういった──」
「いじめはない、とおっしゃいますか」
テーブルの上のお茶を見つめたまま、冴子が言う。平淡な口調だが、わずかに語気が強まった気がした。
「……いえ、ですから、まだ──」
「中村天妃愛、西沢詩音、根本きらりの三人の仕業です」
不意打ちだった。白井は目をしばたたかせている。美咲も、胸倉を掴まれたような心地だった。今挙げられた三人こそ、めぐみをいじめている主犯格なのだ。
「……そ、それは、めぐみさんが言ったんですか?」
冴子は初めて美咲を見た。虚ろな目だった。
「消しゴムのカスを食べさせられたり、机の中に泥を入れられたり、黒板消しの粉でお化粧させられたり……気づきませんでしたか?」
気づいていた。気づいて、注意もしていた。上司に報告もした。だが、天妃愛も白井もこう言って取り合わなかったのだ──証拠はあるんですか、と。
「小紫さん、しかしですね」白井は、両手の指を絡めていた。「一方の意見だけでは、中村さんたちがいじ──その、めぐみさんが不登校になった理由に関与しているとは判断できかねます。これからより綿密な調査を行い、それと並行して、めぐみさんの心のケアもさせていただければと」
「あの子がかわいそうです」
抑揚のない声だった。
「父親と離れ離れになって──前の学校も離れて、友達もいないから、さみしいから、あんな風に……こ、言葉も通じないのに。あんなのと」
伏せた目に、みるみる涙が溜まっていく。
「……小紫さん?」
すると、冴子はおもむろに立ち上がった。
「もう、仕方がないんですね」
美咲はドキリとした。めぐみよりも少し濃いブラウンの瞳に見下ろされる。
そこに浮かんでいたのは激情ではなく、思い詰めたような狂気だった。
「よくわかりました。お時間いただきましてありがとうございます」
頭を下げた。何が「わかりました」なのか、訊くことはできない。冴子はハンドバッグを掴むと、「失礼します」と再び頭を下げ、応接室を出ようとする。
たまらず、美咲は立ち上がった。
「よろしければ──」思った以上の声が出た。「……その、めぐみさんと直接お話しできないでしょうか? 私が、ご自宅に伺いますので」
扉の前で、冴子は振り返った。
「今日ですか」
放課後には小テストを作る予定だった。だが、背に腹は代えられなかった。
「……ご迷惑でなければ」
彼女は美咲をじっと見た。そうしているだけで、なぜか胸がざわざわする。
「では、お待ちしています」
意外な答えだった。無表情のままそう言い残して、冴子は部屋を出る。白井はすぐに立ち上がりその後を追う。見送るのだろう。美咲は続こうとしたが、白井に手で制された。
一人になった応接室で、美咲はため息を吐いた。
咄嗟の思いつきだった。あのままでは、冴子は完全に学校を見限っていた。その結果、得をするのは天妃愛たちや白井であって、めぐみではない。その結末だけは何としてでも避けたかった。
だが、小紫邸を訪ねることには抵抗があった。
誰だって、できれば近寄りたくはないはずだ。──人が変死した家なんかには。
***
喜多野町は、旧居留地から真っ直ぐに北上した場所に位置し、外国人住宅──いわゆる異人館が保存されている。その歴史は、喜多野小学校の教師にとっては必修科目だ。
今から百五十年以上前の明治の時代。神海港を開いたことで来日外国人の数が爆発的に増加し、居留地からあふれた外国人商人やその家族の住宅が不足した。
居留地を広げることによる治外法権地の拡大を嫌った当時の日本政府は、喜多野町の一部で外国人の居住を認め、そこに数多(あまた)の異人館が建てられた。空襲や高度経済成長期による建て替えで多くの異人館が失われたが、現在でも二十ほどの洋館が観光地化され、喜多野町は神海を代表する名所となっている。
一般に公開されている異人館もあれば、今なお人が住み、観光地化されていないものもある。まさにめぐみの家がそうだ。
旧ゲオルグ邸──ドイツの貿易商人ゲオルグ・トーマスが一九〇〇年初頭に建てた邸宅だという。異人館に住んでいる児童は珍しく、めぐみが転校してきたときには、職員室でも盛り上がったのを憶えている。
その館は、街はずれの森の中に建っていた。
喫茶店や雑貨屋が並ぶ大通り──その脇道、車一台がやっと通れるくらいの小径に入る。しばらくすると、石畳で舗装された道は途切れ、落ち葉と雑草に紛れた山道を歩くことになる。そのときには、大通りの雑音──カップルの笑い声も、子供たちの騒ぐ声も、お店から流れるBGMも聞こえなくなる。耳に届くのは、鳥の鳴き声と虫のさざめきのみ。大通りを少し離れただけなのに、雰囲気が一変する。まるで、異世界につながる道に迷い込んだように。
日暮れが迫っている。美咲は、コートの前を合わせた。見上げると、楓の木々の隙間に薄紫色の空が見える。帰る頃には真っ暗になっているかもしれないと心配になったが、アンティーク調のソーラーライトが道に沿って置かれ、足許を淡く照らしていた。
どこからか、おいしそうなビーフシチューの匂いが漂ってくる。いや、匂いの元は小紫家だ。奥に進むにつれ、匂いが濃くなっていく。夕食を作っているのだろう。
道をくの字に曲がると、夥しい蔦に覆われた洋館が見えてくる。
蔦の隙間に見える煉瓦は赤黒く、常緑樹の深緑の中で妖しい存在感を放っていた。
前庭には木製のフラワースタンドが並び、色んな種類の花のプランターが置かれている。そばにはウサギやリス、小鳥など動物たちのオーナメントがあふれていたが、大半は汚れ、苔むし、外国の街燈を模したランタンにその虚ろな表情を照らされていた。六つの四角い大きな窓から見えるカーテンは、全てが閉め切られている。
それは、観光地化された他の異人館とは違い、時の流れを一身に受け止めた、生々しい姿を晒していた。恐らく、保存修理もろくにされていないのではないか。事実、市の異人館を紹介するホームページにも、旧ゲオルグ邸だけは掲載されていない(個人の住居だからかと思ったが、他にも観光地化されていない異人館はあるのに、そちらは掲載されていた)。他の異人館が着飾った貴婦人ならば、この館だけは、森に隠れて棲む、孤独で痩せ細った老婆だ。一階の窓から漏れ出る黄色く濁った灯りが、気難しい目のように光っている。
〈悪魔の館〉──
その見た目から、子供たちの間でそう呼ばれてはいた。
めぐみの家には、小人がいる。
滝川さりさんの新刊『めぐみの家には、小人がいる。』の情報をお届けします。
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- 14話 突然、めぐみが学校に登校してきた...
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