オカルトホラーの新星、滝川さりさんの新刊『めぐみの家には、小人がいる。』の試し読みをお届けします。
机の裏に、絨毯の下に、物陰に。小さな悪魔はあなたを狙っている――。
* * *
昨日の日記は、すごくびっくりしました。
小人は、本当にねこをころしてしまったのかな?
いくら悪いねこと言っても、ころされてしまうのは、かわいそうだなと先生は思います。
もし、めぐみちゃんが小人とお話できるのなら、今度はおっぱらうだけで、ころさないであげてほしいと伝えてください。
今日の学級活動は、いい天気だったのでみんなで外に出て、ドッジボールをしました。
みんな、すごく楽しそうだったよ。
めぐみちゃんは、球ぎはとく意かな?
今度は、さんかできるといいね。みさき
「小人とお話できるのなら」の部分は余計かとも考えたが、やはり残すことにした。めぐみの妄想に拍車をかけてしまう可能性があるが、めぐみの「ストレスによる残虐性」の象徴が小人なのだとしたら、無暗に抑え込むよりは緩和させていく方がいい。
放課後になり、美咲は旧ゲオルグ邸に向かっていた。
木枯らしの吹く坂道から外れて、森の小径に入る。カシャカシャと落ち葉を踏む足音が、不気味なほど静かな森に響く。枝葉に遮られた空は青紫色に染まっている。大通りよりも空気がひんやりと冷たい。すぐに温かいコーヒーが恋しくなった。
街燈の形をしたガーデンライトがあるとはいえ、森の闇は重い。スマートフォンのライトを点けると、くの字道を曲がる女性の姿が見えた。冴子だった。
「あ……こんにちは」
「先生」
冴子は、前と同じセーターとロングスカートに、ダッフルコートを羽織っていた。手には財布だけが握られている。慌てて出てきたという感じだ。浮き上がった白い顔に、やや気まずそうな表情が浮かぶ。それだけで美咲は察した。
「また……中村さんのお宅に行かれるんですか?」
責める口調になるのを、美咲は抑えられなかった。
「ええ、まぁ……」
「どうして」
「中村さんが、具合が悪いそうなので……」
「それで、なぜ小紫さんが?」
「それで私に、晩ご飯を作ってほしいと……」
なんて図々しいのだろう。自分で作れないなら、出前でも頼めばいいのだ。もちろんそうしないのは、冴子への嫌がらせが目的なのだろうが。
しかし、呼ばれてほいほいと向かう冴子にも問題がある。美咲は、中村真奈に対するものと同量の怒りを冴子に抱いていた。
「何でそんなことする必要があるんですか? どうして小紫さんが、中村さんの家の晩ご飯を作らないといけないんですか」
冴子は答えない。口紅を引いていない唇は、上下にぴったりとくっついたままだ。
「あの、めぐみちゃんはどこに?」
「……家にいます」
「一人きりで置いているんですか?」
「一人じゃありません」
目を伏せてそう答える冴子は、いつもの能面めいた顔に戻っていた。両手を前に組んで、まるで職員室に呼び出された児童のようだ。
「一人じゃないって……どういうことなんですか? あの家には、お母さんとめぐみちゃんしかいませんよね?」
すると、冴子はわずかに口角を上げた。嘲笑だった。
「──先生は、ご存知なんじゃないですか?」
瞳の茶色い目は、わずかに充血していた。どういう意味かを尋ねようとした矢先、電子音が響く。冴子のスマートフォンだった。画面を確認した冴子は、無表情を崩すことなく「急ぎますので」と言い残し、美咲とすれ違った。
大人になれば、いじめはなくなるのだと思っていた。
あんなものは幼い子供がやることで、大人たちはみんな、お互いの個性を認めて、助け合って、理性的に生きているのだと。
だけど違った。高校にも大学にもバイト先にも、いじめは存在した。
そんな人間が集まるところにいる自分が悪いんだと思った。悪い人が集まる場所にいるから、いじめに遭ったり、いじめを見たりするんだと。
でも、優秀な人や、いい家柄の人たちの間でも、いじめは起こるんだと知った。
立派な家に住んでいる人たちの間でも。子供がいる親同士でも。
そして──満たされているはずの子供たちの間でも。
くの字道を曲がると、旧ゲオルグ邸が姿を見せた。まるで「あの事件」の鮮血がこびりついたかのような赤黒い煉瓦の壁。さびついたフラワースタンドとオーナメントが並ぶ前庭は廃墟然としているが、明滅するランタンの光がかろうじて人家であることを示している。カーテンは相変わらず全て閉め切られていた。
美咲は扉に近づくと、ブザーを押す。
しばらくすると、めぐみが出てきた。
「こんばんは」
めぐみは、水色のネグリジェにクリーム色のカーディガンを羽織っていた。カーディガンの前立てを握った彼女は、小学三年生とは思えないほど大人びて見えた。
玄関先でプリント類と交換日記のノートを渡すと、めぐみは嬉しそうにした。
「交換日記は楽しい?」
「うん。先生は?」
「先生も楽しいよ。めぐみちゃんがいっぱい色んなこと、教えてくれるからね」
本心だった。めぐみと交換日記をするようになって、美咲は自分が子供好きだったことを思い出した気さえしていた。
「晩ご飯は食べた?」
「まだ」
「そう。何を食べるの?」
「シチュー。パンと一緒に食べるの」
美咲は安堵した。冴子はちゃんとめぐみのご飯を作っていったようだ。
「じゃあ、戸締りはしっかりしてね」
「先生も食べる?」
「え?」
「お母さん、いただきますしたところで行っちゃったの。パンも焼きたてだよ」
「でも、それはお母さんの分でしょ?」
「シチューもパンもいっぱいあるから大丈夫だよ」
「だけど……」
すがりつくようなめぐみの目を見れば、さみしいのだとすぐにわかった。一緒に食べてあげたい気持ちは山々だが、親がいないときに勝手に家に入っただけでも「非常識」の誹りは免れない。ましてや食事など……。
気にし過ぎだろうか。保護者とは、そこまで教師に不寛容なものだろうか。すっかり中村真奈に「調教」されている気がして、美咲は軽く下唇を嚙んだ。
それに、と美咲は旧ゲオルグ邸を見上げる。
蔦に飲まれつつある館は、青紫色の空を背景にして一層不気味な雰囲気を醸している。
ふいに、初めて訪れたときに感じた、嫌な感覚がよみがえる。……無数の視線に晒される感覚。
それに──何より、この家には入りたくない。
「先生」
すると、小さな手がコートの裾を掴んだ。ブラウンの瞳が見つめる。
めぐみは何も言わなかった。「一緒に食べてほしい」という言葉を、必死に飲み下しているように見えた。子供は大人が思っている以上に、大人の事情を察している。
べこ、とかすかな音がした。ノートを持つめぐみの手に力が入っている。
それだけで、美咲は断る言葉を失くしてしまった。
「……ご飯を食べ終えるまでね」
めぐみの家には、小人がいる。
滝川さりさんの新刊『めぐみの家には、小人がいる。』の情報をお届けします。
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- 13話 身体にしみついているのは「いじめ...
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- 11話 悪魔の館に入った途端、無数の何か...
- 10話 大人になれば、いじめはなくなるも...
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