2023年。新しい年になって早1ヶ月が過ぎようとしています。今年最初の読書は何の本を読まれましたでしょうか。
先日芥川賞、直木賞の発表もあり、また「読みたい」本が増えている方も多いのではないかと思います。
今年こそ長くて分厚い海外ミステリに挑戦したいと思っている方も、過去の名作を掘り起こしたいという方も、はたまた読書は苦手だけれど、面白い小説あれば読んでみたいと思っている方も、毎年なんらかの賞の受賞作は目を通しているという方も。いろんな方がいらっしゃると思いますが、私が独断と偏見でおすすめいたしますのは、彩瀬まるさんの四年ぶり長編小説『かんむり』です。
まず、温かいお風呂のシーンから始まる
珊瑚の卵みたいな細かな泡が、お湯の底から湧いてくる。
水面にてのひらをつけると、りんかくが泡でふちどられた。指の股に溜まり、ふつふつと弾ける。近所のスーパー銭湯の、今日の日替わり湯は炭酸泉だ。露天風呂で、水面はうっすらと青い。夏の終わりの、勢いを失った午後の空を映している。
大寒波、到来しています。寒くて寒くて心身ともに縮こまります。そんな中、『かんむり』の冒頭シーンは、あたたかなお風呂のシーンから始まります。銭湯でぬくぬくとお湯につかりながら、行き交う人々の裸をぼーっと見ながら、自分の体と比べたりしたことありませんか。そんな「あるある」というシーンから始まるこの小説の全編を通して流れる一つの漠然とした思いが
「私たちはどうしようもなく、別々の体を生きている」ということです。
夫婦なんてお互い何を考えているかわからないもの
「いやでも、男社会の不文律ってそういうもんなんだって! そういう環境で俺もさ、足が使えないなら使えないなりに、作戦を立てるメンツに入るとか、強い先輩に気に入られるとか、敵対してくるやつを逆に嵌めるとか、立ち回って生き延びたわけよ。女子はピンとこないかもしれないけど、そういうサバイバル能力って社会に出てからも必要だから、否定したって仕方ないよ」
「まるで、社会のすべてが、男社会の不文律でできてるみたいに話すねえ」
不思議だ、と思う。出会ってもう二十数年が経っている。それなのに私は虎治の右足の古傷のことも、彼の深部に根を張る考え方のことも知らなかった。
銭湯で見る体が一人一人違うように、たとえ夫婦であっても家族であっても、それぞれ別の人間。見た目も違えばもちろん考えていることも決して同じではないはずなのに、なぜか、家族だったり夫婦だったりすると、「私の気持ちはわかってくれるはず」「相手の気持ちも話し合えばわかるはず」など、色々と「同化」することを当然のように求めてしまう。それってどうなんだろう……と思いながらも自分のプライベートと重ねてみても知らず知らずのうちに結婚相手の何気ない一言に、「あぁ、この人はそういう価値観の人なんだ」と驚くことも少なくはないという事実に気付いたり。
夫婦にとって、家族にとって、小説にとって何がハッピーエンドなのか
小説を読み進めていくと、その物語世界に深く入り込めば入り込むほど、興奮すればするほど、共感すればするほど、「こうなってほしい」という結末を小説に求めてしまうものです。特に彩瀬まるさんという作家は、日常の、こぼれ落ちてしまうほどあまりにも些細で何の変哲もなくて、当たり前の一瞬一瞬を小説世界に閉じ込める名手ですので、その日常生活の一瞬一瞬がリアルであればあるほど、自分の生活と重なる部分が多ければ多いほど、自ずと「自分の価値観」に結末を寄せてしまいたくなります。今回の物語のように夫婦や子供や家族という身近なものが登場人物になればなるほど、その思いも強くなります。でもネタバレではなく、これだけはお約束いたします。
この小説のラストシーンは、誰もが全く想像しないシーンだと思います。
ひとつの家族の、夫婦の、そして一人の女性の、そしてひとつの小説の、決して他と同じではない、水にできたウォータークラウンのように「完璧に美しい」結末を、どうか楽しみに、読書を進めていただけましたら嬉しいです。
次回からは、試し読みをお楽しみくださいませ。
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かんむり
私たちはどうしようもなく、
別々の体を生きている。
夫婦。血を分けた子を持ち、同じ墓に入る二人の他人。かつては愛と体を交わし、多くの言葉を重ねたのに、今はーー。夫が何を考え、どんな指をしているのかえさえわからない。
夫婦とは、家族とは、私とは。ある女性の人生の物語。
著者4年ぶり書き下ろし長編『かんむり』刊行記念特集です。