情報が溢れ、何もかもが急速に変化している現代こそ、2500年も前から「人間の原点」について向き合い、「人生の悩み」も「この世の疑問」も、解決してきたのが仏教を学んで、自分の力にしたい。
新刊『悩むことは生きること ~大人のための仏教塾』より一部公開します。
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Q「因果応報(いんがおうほう)」とは何ですか?
A 結果には必ず原因があるということです。
因果応報とは、一般的に、よいことをしたらよいことが起こる、悪いことをしたら悪いことが起こるという意味です。善悪どちらに関してもいえることなのですが、最近はとくに、悪いほうの意味で使われることが多いようです。
しかし、本来は、いい、悪いという価値判断とは関係のないもので、因果の因とは、原因の因であり、因果の果とは、結果の果です。つまり、「ものごとにはすべて原因と結果がある」ということを言い表わしたものです。たとえば、タネをまけば芽が出るし、木を燃やせば煙が出ますが、それが因果応報ということです。
ただし、ここが難しいところですが、原因と結果は必ずしも一対一で対応しません。
Aという原因があれば、それが必ずBという結果になるというわけではありませんし、原因が違っていても、結果だけ見れば同じだったということもあります。
また、原因がひとつでも、何十という結果になることがありますし、その逆に、ひとつの結果が何十という原因から生じることもあります。
つまり、A=Bというような単純な数式ではないということです。しかし、結果をさかのぼっていけば、そこには必ず原因が見つかります。
さらにいえば、先ほど、よいことをしたらよいことが起こる、悪いことをしたら悪いことが起こるといいましたが、必ずしもそうではありません。そうなるのが理想かもしれませんが、いい原因から、悪い結果が起こる場合もあります。
たとえば、誰かが宝くじで何億円というお金を当てたとします。それが原因で、家族や親戚がケンカや言い争いをするようになり、その結果、一家離散してしまうこともあります。その逆に、たとえば父親の会社が倒産し、それが原因で父親が失業したとしても、かえってそのおかげで家族のきずなが強まったということもあります。
そもそも、いい、悪いを決めているのは、その人の心であり、その人の都合です。
ある人にとってはいいことでも、別の人にとっては悪いことになることもあります。
自分が勝手に決めている、いい、悪いを、単純に因果(原因と結果)と結びつけてしまうところに、間違いのもとがあります。そもそも、何がいい原因になるのか、何がいい結果なのかは固定されていません。ただ、すべてのものごとには原因と結果があるというだけのことです。
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悩むことは生きること 大人のための仏教塾
生死のこと。心に浮かんでしまう良くない感情。抑えきれない不安。あなたの抱える悩みや苦しみに、2500年も前から向き合い、救いと解決の手立てを差し伸べてきたのが仏教だ。その教えは我々の生活や教養の一部となり、心を整える一助となっている。けれど、仏教のことちゃんと知ってる? 釈迦の教えを日々実践している禅僧が、今さら人に聞けない、基本的だが本質的な95の疑問に答える。情報が溢れ、変化の激しい現代だからこそ、仏教が説く人間の原点に立ち返り、生き抜く智慧を身につけよう。