フェミニズムが解れば、人も企業も“成長”が見えてくる——。米国で家族法を学び、自身も後発で目覚めた著者が、熱狂と変革のフェミニズム史を大胆に解剖した『世界一やさしいフェミニズム入門 早わかり200年史』(山口真由著)。著名フェミニスト五十余人を軸に、思想の誕生とその展開を鷲掴みした本書から、まえがきをお届けします。女性の置かれた環境や地位に悩み、その不合理を言語化し、葛藤し、衝突し、時に命がけで未来を切り開いてきた先人たちの歴史は、フェミニズムへの偏見を溶かす熱量もいっぱい。胸アツ必至の歴史をぜひご堪能ください。
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「私はフェミニストではありませんが」
そう前置きしてからジェンダーを語る人を幾度も目にした。だけど不思議だ。特定のイメージを持って語りながらも、その実体を私たちはよくは知らないのではないか。
昨年、担当した大学の講義の1コマでフェミニズムを扱ったとき、女子学生の1人が「今まで近づいてはならないものと思っていた」と形容した。つまり、彼女にとってのフェミニズムとは、表紙の印象によって、手に取ることもなく、本屋さんで棚ざらしになって埃をかぶっている本と同じだったのだ。
この原因は二方向にあるのだろう。
まずは世間の無理解である。小学校の社会科の教科書に載った写真を、私は今でも鮮明に思い出す。おかっぱに眼鏡をかけた看護師の女性たちが病院の前でデモンストレーションをしている。掲げられた横断幕には、「きつい、汚い、危険」に加えて、「臭い、給料少ない、休日ない、帰れない、体壊す、結婚できない」と“K”から始まる9つの言葉が連なる。そして、「3K職場」ならぬ「9K職場の私たち」という抗議のスローガンが掲げられていた。
その写真を見たお調子者で知られる男の子が「結婚できないのは職場じゃなくて自分のせいだろ~」と大声で口にし、クラス中がどっと笑った。つまり私たちは、彼女たちの引き結んだ唇に浮かぶ決意の理由を深く知ろうとせずに、揶揄と嘲笑の対象にしてきたのだ。
だが、それだけではない。フェミニストと称される側にも原因はなかったか。
若かりし日に参加した勉強会はいまなお記憶に鮮烈だ。それは強姦罪の厳罰化に関する議論だった。スピーカーとして招かれた女性は「女性が同意しない性交はすべてレイプである。諸外国ではそういう法律になっている。日本は遅れている」という主張を繰り返していた。
私は純粋に知りたかったのだ。客観性が強く求められる刑法で、女性の主観を要件とするという難題を諸外国では具体的にどのように制度化しているのかということを。そこで、スピーカーに質問したところ、「お前が調べろ!」と怒鳴られて啞然とした。
ここに世間とフェミニズムとの間の不幸な溝が生じる。
男性を敵視し、ともすればエキセントリックな主張をヒステリーにも似た過激さで連呼するというレッテルを世間から貼られ、理解されない少数者となるほどに、フェミニズムの側もより頑なに、より先鋭的になり、対話のためのみならず攻撃のために言葉を費やすようになったのかもしれない。
この不幸な溝を乗り越えてフェミニズムとは何かを勉強してみたいと私は思った。学びの源泉は、私にとっては常に本である。フェミニズムを冠した書籍は、図書館のいくつもの棚を占領するほどにこの世に溢れている。海外の特定の思想家の難解な見解を分析的に伝えるアカデミックな本もある。と思えば、自らの経験をベースにしたエッセイ風の本も存在する。
ところが、である。主観的ではなくそれなりに客観的に、一部にのみ深く立ち入るというよりはそれなりに全体的に、この分野の地図を指し示してくれるような書籍にはなかなか出合えなかった。フェミニズムという布を構成する縦糸と横糸、つまり歴史的な経緯と世界的な広がりを体系的に理解したいと思っても、それを端的にカバーしてくれる本が見当たらなかったのだ。
じゃあ自分で書いてみようと思ったのがこの本を書くきっかけだった。
だがすぐにあまりに無謀だったと後悔することになる。世界各地で様々な背景を抱えた人々が、ジェンダーやセクシャリティに関わる現状を変えよう、という熱意を行動に移した瞬間の集合体でもあるフェミニズムの深さと広さは果てがない。この分野を知れば知るほど全体像は捉えがたい。それでも数年かけて本を書き上げたのには2つの理由がある。
まず、フェミニズムが現代を生きる私たちに必須の教養となりつつあるからだ。企業も個人もダイバーシティ&インクルージョンへの理解を求められるようになって久しい。多様性の世界を生き抜かなければならない私たちにとって、多少の失言すらときとして致命的になる。そして、日本で多様性というときに、最初に来るのは性別である。だからこそ、現代のジャングルを生き抜くためには表面的な禁止事項のみならず、ジェンダー論の概要はわきまえなくてはならないだろう。
だがそれよりも大きな理由は、この深遠なテーマに生涯をかけて取り組んだ人々の知性と情熱のきらめきに魅せられたからだ。鉄道や自動車が展示され、未来を運んでくるようで興奮に沸き立ったかつての万国博覧会の会場は、いまや貧困と格差を学ぶ場となった。正しいと頭で理解しても、心は浮かない。正しさという義務感のみに支えられ、楽しさという高揚感を失ったダイバーシティが果たしてどれだけ多くの心に響くのだろうか。そう思っていた矢先、フェミニズムに取り組んだ時代時代の色とりどりの情熱は思いのほか面白く、私を夢中にさせた。
この興奮を伝えたいという熱意が、深く広い分野を書き記す困難の中で、私を突き動かした一番の力だ。だからこの本は首を垂れて拝聴すべき説教集ではないし、ましてやあなたを糾弾するマニフェストでもない。どうかせっかく手に取っていただいたなら、ぱたんと閉じずにもう少しだけお付き合い願いたい。
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世界一やさしいフェミニズム入門 早わかり200年史
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