自宅マンションに殺人犯が住んでいる? 死体はない、証拠もない、だけど不安が拭えない――。
平凡な日常に生じた一点の染みが、じわじわと広がって心をかき乱す、ミステリー長編『隣人を疑うなかれ』の試し読みをお届けします。
* * *
腰をかがめてほうきで落ち葉を掃いていた管理人が、私の挨拶に顔を上げる。
「お隣のソノハイツの者です。回覧板を……」
「ああ」
ぐるりと回って、駐車場の出入り口から入ろうかと思ったのだが、彼はほうきとちりとりを壁に立てかけ、植え込みの間から出てきてくれた。
「すみません、こんなところから」
「いえいえ、ご苦労様です」
表玄関へ回るどころか、裏口の、さらに植え込みの間から声をかけるなんて、随分無精をしてしまったが、管理人は笑顔で回覧板を受け取ってくれ、また植え込みの間を戻っていく。
あっというまに用が済んでしまったので、私は外階段を上り、部屋に戻ってテレビをつけた。観たい番組があるわけではないが、作業を始める前にテレビをつけるのが癖になっている。続いて、いつものようにパソコンの電源を入れ、デスクの前に座ろうとして、今日は何も作業をする予定がないことを思い出した。週刊連載のアシスタントの仕事は先月で終わり、その後の細かなやりとりや、単発のイラストの仕事もすべて片付いた。今日は延び延びになっていた、新作漫画のアイディアを練ろうと思っていたのだ。
せっかくパソコンを立ち上げたので、メールチェックだけ済ませてしまおうとデスクチェアを引く。
テレビでは、午後のニュースが流れていた。聞き流していたが、『……神奈川県山北町の山中で、身元不明の女性の遺体が発見された事件の続報です』
キャスターがそう読み上げるのを聞き、顔を上げた。いつもはそれほど真剣にニュースを観ないのだが、ついさっき小崎とあんな話をしたばかりだったので、反応してしまう。
キャスターは続報と言ったが、私にとっては初めて聞くニュースだ。作業中に何時間もテレビをつけっぱなしにする生活ではなくなり、ニュースを観る機会も減っていた。
『警察の発表によると、遺体で発見されたのは、伊勢原市在住の池上有希菜さん十七歳であると確認がとれ──』
テレビ画面には、遺体発見現場らしい山を上空から撮った映像が映っている。動いているのは捜査員だろう。続いて、被害者と思しき女性の顔写真が表示された。制服を着た、幼さの残る女の子で、写真の下に、『池上有希菜さん(17)』とテロップが出る。
あっと思った。
見覚えがある。
服装も髪型も違うけれど、先月コンビニの前で見かけた、あの女の子だ。
死んだ?
思わず椅子から立ち上がり、テレビの正面へ移動した。しかし、キャスターは、遺体の発見場所と被害者の素性、死後一か月程度が経過しており、他殺と見られること、警察は何らかの事件に巻き込まれたものと見て捜査していることを告げただけで、次のニュースへ移ってしまう。
写真が表示されたのは短い時間だったので、同じ写真がネットに出ていないかと、パソコンの前に戻り、検索する。
写真はすぐに出てきた。やはりあの子だ。化粧をしていないのを差し引いても幼く見えるから、写真は直近のものではないのかもしれない。それでも、同一人物のように思えた。
ニュースの後の情報番組でも、同じ事件について触れていた。遺族や近所の人から聞いた話をボードにまとめて、司会進行の女性アナウンサーとコメンテーターが解説をしている。
被害者、池上有希菜は高校を中退し、半年ほど前から友人宅を泊まり歩き、自宅に戻らないことが頻繁にあったため、行方不明者届は出されていなかったという。今回も、遺体発見の二か月ほど前から家を空けていたが、家族は彼女が友人の家にいるものと思っていた。実際は、都内のネットカフェや、その日に会ったばかりの誰かの家に泊まったりすることもあったようだ。
有希菜の友人が、彼女と連絡がつかなくなったことを不審に思い、有希菜の家族に連絡をしたのがきっかけで、ようやく家族は警察に相談するに至った。失踪時の外見が、山中で発見された遺体と一致したことから、身元の確認へとつながった──ということのようだ。彼女が住んでいたのは神奈川県伊勢原市で、遺体が発見されたのも同県内の山中だ。それが何故、千葉市内にあるコンビニやマンションにいたのか。そう考えると、とたんに自信がなくなってくる。……見間違い、他人の空似だろうか。
隣人を疑うかなれ
9月21日刊行の、織守きょうやさんの最新ミステリ長篇『隣人を疑うなかれ』の試し読みをお届けします。