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隣人を疑うかなれ

2023.10.07 公開 ポスト

5.被害者の生前の足取りは、警察にとって意味がある情報でしょ織守きょうや

自宅マンションに殺人犯が住んでいる? 死体はない、証拠もない、だけど不安が拭えない――。

平凡な日常に生じた一点の染みが、じわじわと広がって心をかき乱す、ミステリー長編『隣人を疑うなかれ』の試し読みをお届けします。

『隣人を疑うなかれ』織守きょうや

*   *   *

狭い部屋の中を、意味もなく行ったり来たりしていたら、隣の部屋のドアが開く音がした。

アパートの壁は薄いので、玄関のドアの開閉音や、外廊下を歩く音はよく聞こえる。

ライターの、しかも殺人事件について記事を書くと言っていた小崎なら、より詳しいことを知っているかもしれない。

私は急いで靴をつま先に引っかけ、廊下に出た。

玄関のドアに鍵をかけていた小崎がこちらを見る。スマホだけを尻ポケットに入れた、身軽な恰好だ。

「あ、土屋さん。さっきはすいませんでした。取材を申し込んでた先からの電話で」

「いえ。お出かけですか?」

「あ、コンビニに、飯買いに行こうと思って」

急ぎの用ではなさそうだ。一緒に行っていいですか、と一声かけて、急いで部屋へ戻り、私もスマホと鍵だけ手にとった。

「小崎さん、山北町で発見された遺体のニュースって、観ました? 今、身元がわかったってテレビでやってたんですけど」

歩き出しながら訊くと、小崎は当然というように肯定する。

仕事柄、国内の重大事件については把握しているようだ。

一か月前、この近くで見かけた少女が被害者とよく似ている、という話をすると、彼は色めき立った。

「まじすか。それたぶん、どこにも出てない話っすよ。特ダネかも、っていうか警察に情報提供……? あ、情報と引き換えに捜査状況とか引き出せるかも。そしたらやっぱどっちにしても特ダネっす」

「ま、待って、落ち着いて。まだ本当に本人だったかもわからないんだから……そうかもしれないってだけで」
思った以上にテンションが高い。興奮していつもより早口になっている小崎に、私は慌てて言った。

「私が見たのが池上有希菜本人だとしても、彼女がここにいたことと事件とは無関係かもしれません。千葉へは知人を訪ねるなり何なりしただけで、神奈川県内へ戻った後で、何かに巻き込まれて亡くなった……ってことなのかもしれないし」

「そうだとしても、被害者の生前の足取りは、警察にとって意味がある情報でしょ。報せたほうがいいっすよ」

「そりゃそうだけど、そこまでの自信がないんですって」

最初に写真を見たときは彼女だと思ったけれど、改めて、絶対に間違いないかと言われると、断言はできない。

「確かに本人だったかと言われると、ちょっと……もともと知ってる人じゃないし、メイクとか髪型で雰囲気も違ったし。似てるだけの別人だったかも」

つい弱気な物言いになった。

人が死んでいるのだ。重要な情報かもしれない、届け出なければいけないという気持ちもある一方で、だからこそ、間違った情報で捜査を混乱させてしまっては、と躊躇する気持ちもある。

今にも通報しそうな勢いだった小崎も、私の言葉を聞いて、尻ポケットから取り出したスマホをしまった。

「そっか、警察に届ける前に確認できればいいんすけどね」

「コンビニの防犯カメラには写ってると思うけど、見せてくださいって言っても無理ですよね……」

話しながら歩いているうちに、件のコンビニが見えてくる。

自動ドアをくぐると、店員に入店を報せる電子音が鳴った。

これまであまり意識したことがなかったが、見上げて探すと、レジカウンターの内側の天井や、入り口付近にもカメラが設置されている。これなら、客の顔もばっちり写っているはずだ。

弁当を選ぶ小崎に背を向け、私はスイーツコーナーを物色する。

毎年買っている期間限定のチョコミントスイーツがあったので、ラッキー、と売り場に残っていた三つすべてをつかんでかごに入れた。限定スイーツは一期一会。見つけたときに買っておかないと、次にいつ出会えるかわからないのだ。小崎と話をするためについてきただけだったが、思わぬ収穫だった。

「警察ならコンビニのカメラも見られるはずですから、やっぱりまず警察に言って調べてもらったほうがいいんじゃないすか」
チキン南蛮弁当と上海風塩焼きそばを両手に持って見比べていた小崎が、話題を戻す。

「うーん、でも、なんか違ってた気がしてきた……。とは言っても絶対違うとも言えない以上、気になっちゃうし……確認して、違ったってわかれば安心できるんですけど」

有用な情報かどうかがわからないうちは警察に通報したくないが、有用な情報かどうか判断するには映像を確認する必要があり、そのためには警察に言わなければならない。ジレンマだ。かといって、不確かな情報だからとこのまま何もせずにいるのは嫌だった。気になって眠れなくなる気がする。

私が買い物かごを提げたまま唸っていると、小崎が「あ、そうだ」と声をあげる。

「ベルファーレにも、防犯カメラってありますよね」

そっちならなんとかなるかも、と彼は言って、焼きそばを棚へ戻し、チキン南蛮弁当をかごに入れた。

関連書籍

織守きょうや『隣人を疑うなかれ』

鮮烈デビューから作家生活10周年。『記憶屋』『花束は毒』の著者、最新ミステリー長篇! 自宅マンションに殺人犯が住んでいる? 隣人の失踪をきっかけに不穏な疑念を抱いた主婦の今立晶は、事件ライターの弟とともにマンションの住人たちを調べることに。死体はない、証拠もない、だけど不安が拭えない……。ある夜、帰宅途中の晶のあとを尾けてきた黒パーカの男は誰なのか? 平凡な日常に生じた一点の染みが、じわじわと広がって心をかき乱す長編小説。

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隣人を疑うかなれ

9月21日刊行の、織守きょうやさんの最新ミステリ長篇『隣人を疑うなかれ』の試し読みをお届けします。

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織守きょうや

1980年イギリス・ロンドン生まれ。2013年、講談社BOX新人賞Powersを受賞した『霊感検定』でデビュー。15年に日本ホラー小説大賞読者賞を受賞した『記憶屋』は映画化され、シリーズ累計60万部を超えるベストセラーとなる。著書に『彼女はそこにいる』(KADOKAWA)、『花束は毒』(文藝春秋)、『花村遠野の恋と故意』『辻宮朔の心裏と真理』(幻冬舎文庫)ほか。

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