コスパの追求とタイパの追求は、そもそもその目的が違うようです。Z世代を中心とした意識の変化を分析する幻冬舎新書『タイパの経済学』より、内容を抜粋してお届けします。
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コスパの対象は直接の欲求を満たすもの、タイパの対象はあくまで手段
ラーメンを食べる際のコスパ追求の目的は「ラーメンをお得に食べる」という点にあり、目的を達成するには「ラーメンを食べる」必要がある。これを経済学の言葉で言い換えれば、コスパにおいては消費されたモノが消費者に直接効用をもたらす。
ラーメンを食べたという結果やその過程(味、満腹具合など)そのものが欲求を満たすことにつながるわけだ。コスパを追求することは、目的達成のために消費を行ううえで何が最適解かを検討する行為といえるだろう。
しかし、タイパの追求においては、消費したモノが直接効用を生むわけではない。仮にオタクになりたい、何者かになりたいということが目的ならば勝手にオタクを名乗ればいいし、自分はオタクだと思い込んで生きていればいい。しかし、オタクになりたい、何者かになりたいという、一見目的に思える欲求の裏には、「○○ということを他人から認知されたい」という本質的な願望がある。
これは、コミュニケーションツールとしての個性に優劣が生まれることと同じだ。趣味があっても、需要がある個性でなくてはコミュニケーションは生まれない。オタクであると知ってもらわない限り、その個性を媒介にコミュニケーションは生まれない。ただオタクになりたいわけではなく、オタクということを他人に認知されたいという本当の目的がそこにはある。オタクになりたいという願望は、オタクと認知されるための手段にすぎないのだ。
- オタクになりたい → 手段
- オタクと認知されたい → 本当の目的
ここまでを整理すると、
- コスパの追求で消費されるモノ = 満たしたい欲求を充足するモノ
- タイパの追求で消費されるモノ = ある状態を生むために必要な手段
といえるのではないだろうか。
「ある状態」を作るために追求されるタイパ
これを踏まえて、あらためて倍速視聴やファスト映画視聴がされる本当の目的を整理してみよう。
(1) 実社会、オンラインにかかわらず、コンテンツの視聴が前提でコミュニケーションがとられる → 周りとコミュニケーションをとるために「観たという状態」を作ることが目的。映画やドラマを消費することは、「観たという状態」を作るための手段にすぎず、映画やドラマの使用価値(エンタメ、感動)を得ることは目的ではない
(2) オタク = 何者かになりたい → 周りから「オタクであるという認知を受けている状態」を作ることが目的。オタクになることそのものは目的ではなく、「オタクというアイデンティティが他人から認知されている状態」を作りたい
コスパは消費体験そのものが目的であるが、タイパは消費体験が手段にすぎず、その手段を通じて消費者は目的を達成したいのである。そのため、目的を達成するうえでさまざまな手段(消費対象)がある。
再三書いてきたが、ラーメンをコスパよく食べたいという目的は、ラーメンを食べること以外では達成できない。しかし、例えば動画視聴におけるタイパの追求は「観た状態」=「そのコンテンツを媒介にコミュニケーションができる状態」になればいいだけなので、必ずしもその動画を観なくてもいいのであり、その目的を達成しうる手段の効率や費用対効果を比較することがタイムパフォーマンスの本質といえるだろう。
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この続きは幻冬舎新書『タイパの経済学』でお楽しみください。