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おしゃべりから始める私たちのジェンダー入門

2023.11.06 公開 ポスト

「ZARDの感傷に浸っていい」ロスジェネ世代の自分を縛る“競争マインド”を自覚するために清田隆之(桃山商事)

清田隆之さんによる“能力”への見解を著書『おしゃべりから始める私たちのジェンダー入門』よりご紹介します。

センチメンタルも悪くない?ZARDと新自由主義の呪縛

最近、脳内でずっとZARDの曲が再生されている。ZARDとは1990年代から2000年代にかけて活躍したミュージシャンで、今の20代……いや30代前半でももしかしたら知らないかもしれない。あるいは知っていても、「なんでしたっけ? 負けないで?」「親とかおばあちゃんの世代が聞いてた曲ですよね?」みたいな感じかもしれないことを思うと、ZARDの話をするのは正直怖い(ジェネレーションギャップ……)。

しかし、2か月ほど前に高校時代の同級生の車に乗せてもらったとき、彼が何げなく流していたBGMの中にZARDの曲がたくさん入っていて、そこからずっと頭の中で再生され続けている。今でも気づくと鼻歌を口ずさんでいるほどだ。

ふとした瞬間に視線がぶつかって、揺れる想いを感じながら、息もできないくらい君に夢中になる。君に逢いたくなったら、いつだってすぐに飛んで行けたはずなのに、この愛に泳ぎ疲れてしまった。突然の風に吹かれて、ぬくもりが欲しくて、君と僕との間に永遠が見えなくなって、君がいない。サヨナラは今もこの胸に居るけど、きっと忘れない、いまが想い出に変わっても――。ああ、めちゃくちゃ90年代って感じがする。

個人的に懐メロが苦手だった。私には小さい頃から過度にセンチメンタルなところがあって、小学校の卒業文集では「楽しい時間が過ぎるのはなぜ早いのか」ということをひたすら嘆いていて、かつて住んでいた家の前を通ってあえてしんみりした気持ちになるということをよくやり、別れた恋人との思い出が詰まったものもなかなか捨てることができない。

しかし、年齢を重ねるにつれて自分のそういう部分がどんどん嫌になり感傷の引力に引っぱられないよう〝新しいもの〞や〝今のこと〞ばかりに目を向けるようになった。

とりわけ30代になってジェンダーの問題に興味を持つようになってからは、思春期に聴いていたJ-POP の歌詞が極めて男に都合のいい世界観(夢を追いかける僕と待っていてくれる君とか、傷つけてばかりの俺を許してくれてありがとうみたいな……)で構成されているように感じられ、素直に聴けなくなってしまった。そういったものの中にZARDも入っていて、だから脳内再生が止まらない状態に最初は戸惑い(あるいは自己嫌悪)を覚えていたのだった。

しかし最近、それってどうなんだろうという思いも抱くようになった。感傷的な自分をなぜ過度に否定したがるのか、このことについて立ち止まって考えてみると、そこには新自由主義的なマインドが見え隠れしていることに気づく
 

(写真:Unsplash/Maico Amorim)

私は19歳のときに1年間の浪人生活を送り、自分でも驚くほど猛勉強して希望の大学に入ることができた。それは中高一貫の男子校で怠け抜き、自尊感情が低下しきっていた私にとって心の支えとなるような成功体験だった。

そして時代は2000年代に突入し、出口の見えない不況が叫ばれ、いつしか自分たちは就職氷河期世代(あるいはロスジェネ世代)と呼ばれるようになった。経済のグローバル化が進んだり、「構造改革」を連呼する小泉政権が国民に自己責任論を植え付けたりした結果、私の中に「成長せねば」「戦わなくては」「前進あるのみ」という意識が巣くうようになった。

センチメンタルな自分を嫌うようになり、懐メロがどんどん苦手になっていったのもこの頃からだ。

当時ははっきり言語化できていなかったが、その背景には間違いなく新自由主義の影響が関係している。そういう自分が今も消えずに存在しているのは確かだが、その一方で、効率や生産性を追い求めるマインドが人々から余裕を奪い、社会を息苦しいものにしているという側面を知るにつけ、成長とか前進といった感覚に囚われまくっている自分もどうなんだろうと思うようになった

そこに入り込んできたのがZARDだった。90年代というのは今では信じられないくらいJ-POPが売れていた時代で、テレビでも街角でもヒット曲がバンバン流れていて、意識せずともメロディや歌詞が脳内に刷り込まれてしまう環境にあった。

ZARDを熱心に聴いていたわけでもないのにするすると鼻歌が出てくることに自覚なき洗脳の恐ろしさを感じないこともないが、自分が90年代に思春期を過ごしていたことは否定しようのない事実であり、無理に目を背けることもないんじゃないか……。

むしろそれを頑なに拒否しようとする姿勢こそ新自由主義的なマインドに侵食された自己の象徴ではないかと思い直し、押し寄せるZARDの波に身を委ねてみようと思った。そしてiTunes Store でZARDの曲を買い、ヘビロテで流しながら今この原稿を書いている。つらいとき、悲しいときほどZARDの歌声が染み入る。ときには感傷に浸る自分がいたっていいじゃないか

心を開いて、清田くん!

清田隆之(桃山商事)『おしゃべりから始める私たちのジェンダー入門』

あのとき悩んだあのことは、全部ジェンダーの問題だったのかも…!?  非モテ男性たちのぼやき、仮性包茎に『うっせぇわ』、『おかあさんといっしょ』や母親からの過干渉、ぼる塾、阿佐ヶ谷姉妹のお笑い、ZARDに朝ドラの男性たち、パワハラ、新興宗教、ルッキズム…… ジェンダーを自分事として考えるために。 共同通信配信の好評エッセイ「清田隆之の恋バナ生活時評」を大幅加筆。より正直に、言葉の密度高く書籍化。

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おしゃべりから始める私たちのジェンダー入門

2023年11月17日開催の清田隆之×勅使川原真衣「能力主義の生きづらさ~仕事中心社会のモヤモヤをおしゃべりでほぐす~」講座に向けて、清田さん著『おしゃべりから始める私たちのジェンダー入門』の試し読みです。

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清田隆之(桃山商事)

1980年東京都生まれ。文筆業。恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表。早稲田大学第一文学部卒。これまで1200人以上の恋バナに耳を傾け、恋愛とジェンダーをテーマにコラムを執筆。朝日新聞be「悩みのるつぼ」では回答者を務める。
単書に『さよなら、俺たち』(スタンド・ブックス)、『自慢話でも武勇伝でもない「一般男性」の話から見えた生きづらさと男らしさのこと』(扶桑社)、桃山商事名義としての著書に『生き抜くための恋愛相談』『モテとか愛され以外の恋愛のすべて』(イースト・プレス)、澁谷知美氏との共編著に『どうして男はそうなんだろうか会議──いろいろ語り合って見えてきた「これからの男」のこと』(筑摩書房)、トミヤマユキコ氏との共著に『文庫版 大学1年生の歩き方』(集英社)などがある。

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