ことばのスペシャリスト集団・国立国語研究所が叡智を結集して身近ながらも深遠な謎に挑む、人気シリーズ第2弾『日本語の大疑問2』より、一部を抜粋してお届けします。
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「ムショ帰り」の「ムショ」は「刑務所」の略ではないというのは本当ですか
回答=新野直哉
「ムショ」は「刑務所」よりも前からあった
刑事もののドラマや映画などで、「あいつはムショ帰りだ」「ムショに3年行った」といったセリフがよく使われます。
この「ムショ」の語源は何か、と言われたら、「そんなの『ケイムショ(刑務所)』の略に決まってるじゃないか」と思う人が多いのではないでしょうか。しかし『日本国語大辞典』第二版(小学館)には次のようにあります。
むしょ【虫・六四】[名](「むしよせば(虫寄場)」の略「むしよ」の変化した語)監獄のことをいう、盗人仲間の隠語。〔隠語輯覧{1915}〕
さらに「補注」として次のように述べています。
「刑務所」の略と解されることもあるが、「監獄」を「刑務所」と改称したのは大正一一年(一九二二)で、この語はそれ以前から使われていた。
ここに見られる『隠語輯覧』という本は京都府警察部が発行したものですが、そこには確かに
むしょ
監獄─類語「むしよせば」ノ略
とあります。「ムショ」は本来「刑務所」の略ではなかったのです。
しかし、そのような語源解釈はかなり早くからあったようで、昭和10(1935)年に警察協会大阪支部が発行した『隠語構成様式並に其語集』の「むしよ」の項には、次のように指摘されています。
刑務所。「むしよせば」の略にして、刑務所の省略に非ず 刑務所のことを「むしよ」といへるはずつと以前から生ぜり「むしよ」を刑務所の省略と誤信する者は、非常な誤りである
そして、『隠語輯覧』『隠語構成様式並に其語集』ともに、「むしよせば」は「六四寄場」で、監獄の食事の飯は麦と米が六対四の割合であることに由来するとしています(『日本国語大辞典』のように「虫寄場」を由来とする説もあります)。
ただ、このような「むしよせば」から「ムショ」が生まれたという説に対し、飯間浩明*1は、江戸時代の浄瑠璃に牢屋を「ムシ」と呼んだ例があることから、この「ムシ」が「ムショ」に変化したと考えるほうが自然だ、と述べています。
いずれにせよ、「ムショ」の語源が「刑務所」ではないことは明らかです。
ですが、今から1世紀以上前に刊行された『隠語輯覧』に載っている隠語は、「ホシ」(容疑者)や「デカ」(刑事。この語は、当時の私服巡査が角袖の和服を着ていたことから「かくそで」→「でかくそ」→「でか」という過程を経て生まれたと言われています)など少数を除けば、我々にはなじみのないものです。
その中で「ムショ」が現在に至るまで使われ続けてきた背景には、これを「刑務所」という一般に知られた名称の略語だと考える語源意識があったことも確かです。
“語源俗解”されがちな「スイート・ルーム」
この「ムショ」のように、ある語の語源を本来の語源とは違うように解釈してしまうことを、言語学では「民間語源(説)」「語源俗解」などと呼びます。
子供が「カレーライス」は「辛えライス」なのだと思ったり、「パンケーキ」は「パンみたいなケーキ」なのだと思ったりするのも、その一種です。ちなみに「パンケーキ」は本来、〈パン(フライパンのような底の平らな鍋のこと)で焼いたケーキ〉という意味です。
ホテルの「スイート・ルーム」も“語源俗解”されがちな語です。この「スイート」を〈甘い〉の意味の sweet だと思っている人は多いのではないでしょうか。
日本語で言う「スイート・ルーム」は本来の英語では「スイート」
これが sweetと解釈されてしまう背景には、外来語として使われる「スイート」は「スイート・ポテト」「スイート・コーン」「スイート・ホーム」など sweet である場合が多いこと、さらに新婚旅行などでカップルがよく泊まることが考えられます(なお sweet と suite は英語でも発音は同じです)。
「スイート・ルーム」が〈甘い・部屋〉でないことも、「ムショ」が「刑務所」の略でないことも、大型の国語辞典をいくつか調べればわかります。
語源というものを考えるにあたっては、たとえ「これが語源だろう」とすぐ思いつくような語であっても、とりあえず辞典を、できれば語源辞典や隠語辞典のような特殊な辞典を引いてみる、ということをお勧めします。
*1─飯間浩明(2017)「ムショ」(ウェブマガジン「考える人」連載「分け入っても分け入っても日本語」)
*松井栄一・渡辺友左監修(1996)『隠語辞典集成 2』大空社。『隠語輯覧』が収録されています。
*松井栄一・渡辺友左監修(1996)『隠語辞典集成 8』大空社。『隠語構成様式並に其語集』が収録されています。
新野直哉(にいの・なおや)…国立国語研究所 研究系 准教授。「誤用」と呼ばれるような近現代の新語・新用法、さらにそれが同時代の人々にどう受け止められたかという意識の問題に関心を持ち、研究を行っている。