人気昆虫学者の丸山宗利さんは、これまでにたくさんの新種を発見してきました。しかし、一番最初に見つけた新種のことは忘れがたいのだといいます。
丸山さんが若き日の研究と採集の冒険譚をつづった『アリの巣をめぐる冒険 昆虫分類学の果てなき世界』から抜粋してご紹介します。
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春の札幌から
雪が解け、ぬかるんだ道がようやく乾くとき、雪で押しつぶされた枯れ草の隙間からエゾエンゴサクやキバナアマナの花が一斉に顔を覗かせる。
アオダモやハルニレが芽をほころばせ、あちこちの水路にミズバショウが苞(ほう)を開く。
それから初夏へかけての透き通るような空の下、森へ出かけるたびに目に映る虫の顔ぶれが変わる。それぞれの虫がとても短い出現期間のピークをもっていて、入れ代わり立ち代わり主役が交代するのだ。
北海道の長い冬を思うと、春の訪れはうれしいものだが、虫を追いかける者には一刻の猶予もならない季節のはじまりでもある。
1997年6月のある日、北海道大学農学研究院の修士1年生になったばかりの私は、札幌の円山を訪れていた。円山は札幌の町からほど近い森で、昆虫採集地として昔から有名な場所である。
やわらかい新葉におおわれた木々の梢から暖かい陽が差しこみ、カツラの根元からシマリスが飛び出し、カラ類が忙しそうに木々の間を渡っていく。
私は登山道の脇にあるクロクサアリ Lasius(Dendrolasius)sp. の巣の前に横たわり、アリの行列の中を縫うように歩くヒメヒラタアリヤドリ Homoeusa sp.(*1) とヒゲナガヒラタアリヤドリ H. longicornis Sharp, 1888という小さなハネカクシを観察していた。
ヒメヒラタアリヤドリは体長2.5mm程度の微小種で、アリよりかなり小さく、ヒゲナガヒラタアリヤドリは4mmほどのやや大型種で、アリと同程度の大きさである。
両者ともあてもなくクロクサアリの通り道の上を歩きまわっているようにみえる。(中略)
*1ー本種は現学生の野崎翼君の健筆により、Homoeusa ovata Nozaki & Maruyama, 2023 という学名で新種発表された(Nozaki & Maruyama, 2022)。野崎君はいくつかの近縁属とともに、本属の進化と分類を博士課程の研究課題として継続している。
未来への期待
巣の前に横たわって観察をはじめて3日目、小さな虫の観察に疲れ、さて帰ろうかと木の根元にふと目をやると、巣の入り口のそばの地面から黒い虫がお尻(正確には腹部の尾節板という部分)を出してもぞもぞと動いている。
最初は小さなコガネムシの一種であるヒメビロウドコガネだと思った。だったらこんなところで何をしているのかと、いたずら心で何気なくつまみあげてみたのである。
ところが、出てきたのは、アリをくわえた8mmほどの大きなエンマムシの一種だった。
エンマムシ科 Histeridae とは2~10mm程度の甲虫の一群で、小型ながら硬い体をもち、全体に丸っこいのが特徴である。
大部分はウジのような軟らかい昆虫の幼虫を食べるが、アリを食べるとは聞いたこともない。
しかし、手のひらに乗っているエンマムシは見まがうことなくアリを食べている。
そのとき、私の所属していた昆虫体系学教室の助手でエンマムシ専門家の大原昌宏さん(現北海道大学総合博物館教授)が、以前に青森のクサアリの一種の巣で正体不明の大きなエンマムシを1頭採り、追加個体を探していると話していたのが頭をよぎった。
まさかそんなものが、多くの昆虫採集者が訪れているこの円山にいるとは。
見る場所を変えると次々にそのエンマムシは見つかった。どうやら、クサアリの巣のある木の根元に坑道を掘り、そこで待ち伏せしてアリを食べているようだ。
何日もずっと見ていた同じアリの巣に、このような大型のエンマムシが複数いたとわかったときには、まったく狐につままれたような気持ちがした。たまたま気まぐれに目を向けた「お尻」に気づかなければ、この発見はなかっただろう。
しかしこのようなことが生き物の調査ではありふれた出来事であることを、その後の調査でもいやというほど味わった。
生き物の発見は視点がすべてなのである。このときの発見はあくまで幸運なできごとであって、多くの場合、知識に基づく独自の視点をもたなければ、新しい発見にはなかなか遭遇できない。
確固たる才がなければ多くの生き物の存在を簡単に見落としてしまうのが野外調査の怖さでもある。
まさに意気揚々。このときの青空のまぶしさはいまでも目に焼き付いている。自転車を飛ばして大急ぎで教室に戻った。
道すがら、アリを食べるずんぐりしたエンマムシの姿を哺乳類のアリクイに重ね合わせ、「アリクイエンマムシ」という名前を思いついた。
「大原さん!『アリクイエンマムシ』がたくさん採れました!」と着いてすぐに十数頭のエンマムシの入った瓶を差し出し、ぎょっとする大原さんの顔を得意げに見つめた。そして大原さんは言った。
「よし、アリクイエンマムシという和名で、マルヤマイという学名で記載しよう。」
このとき、このままこのような調査を続けていれば、もしかしたらまたこんな発見、自分にとってはうれしい大発見があるのではないかと思った。
その翌年、アリクイエンマムシ Margarinotus maruyamai Ohara, 1999 は記載(新種として発表)され、多くの甲虫研究家や愛好家を驚かせた。
また、この種がヒメエンマムシ属 Margarinotus のなかでとても変わった形態をしていることから、アリクイエンマムシ亜属Myrmecohisterという新しい亜属(属の1つ下の階級) も設立された(Ohara, 1999)。
なお、学名の種小名(後述)に人の名前がつく場合、「○○氏(または名)の」という意味で、その人が男であれば名前の語尾に「i」がつけられ、女であれば「ae」がつけられるのが普通である。
私はその後200巣近いクサアリ亜属の巣を見ているが、アリクイエンマムシを見つけたのは4回のみで、しかも十数頭を一度に得たのはこのときが最初で最後である。
いまでもアリクイエンマムシは、日本のエンマムシではもっとも稀な種の一つとされている。
いままでの研究生活を振り返ってみると、このように稀な種を最初に見つけてしまったことに、何かの因縁を感じずにはいられない。
いまでこそたくさんの新種を発見しているが、その後の研究を強く後押ししてくれた点で、アリクイエンマムシの発見は私にとって格別に重要な意味をもっているのである。
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