新川帆立さんの野心作『女の国会』は政治をリアルかつ親しみやすく描いたノンストップ・ミステリ小説。
政治闘争に巻き込まれながら、自分の持ち場で踏ん張る女性たちの姿に、明日へのエネルギーをもらえます。
全六回の試し読み、第三回です。
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3
翌々日、日曜日の朝六時半、沢村は早足で議員会館のセキュリティゲートをくぐった。一階正面玄関ではなく、地下道に設置されたゲートのほうだ。
議員会館の正面玄関には報道陣が押しかけているだろう。秘書である沢村にカメラやマイクを向ける者はいないが、顔見知りの記者なら数人いる。彼らにつかまると面倒だった。
日曜の永田町はいつも静かだ。議員に陳情にくる人もいない。職員だけがやってきて、平日やり残した業務をほそぼそとやっている。心なしか空気も弛緩して、地下一階の喫煙室やコンビニでばったり会った職員同士で長い立ち話をしたりする。
だが今日は、そんな余裕はないだろう。朝五時に、高月からの電話で起こされた。
開口一番、高月は言った。「お嬢が死んだ。すぐに出てきて。私も急ぎ、東京に戻る。それまで電話番をよろしく」
「お嬢が死んだ?」
沢村は絶句した。
お嬢こと、朝沼侑子はまだ四十代半ばだ。持病の噂は聞いたことがない。趣味は水泳で、週に三度泳いでいる。それが体形維持の秘訣だと雑誌のインタビューで答えていた。
「さっき党から連絡があった。昨日の夜、毒を飲んで死んだらしい」
金曜日のやりとりを思い出して、ひやりとした。朝沼は高月に問いつめられ、最終的に涙をこぼしていた。追いつめられた朝沼が死を選んだのだろうか。
そう考えたのは一瞬のことで、頭の中ですぐに否定した。
お嬢はそんなヤワな女じゃない。
政治家一家の三代目、生粋のお嬢様で、わがまま放題の人だった。選挙の準備も、後援会の組成も、すべて父から受け継いだスタッフが先まわりしてやった。お嬢は微笑みながら、御輿の上に乗っているだけだ。
東大法学部を出て、財務省で働いていた時期もある。エリートのはずなのに、話してみると頭はからっぽで、自分に都合が悪くなるとすぐに泣いた。
雰囲気を読む力と、権力者に頼る力だけがずば抜けて高かった。
「あいつは妖怪だよ」
と高月が言ったことがある。
「妖怪、オジサン転がし」
そのお嬢が、高月からの叱責を気に病むとは思えない。ちょこっと泣いて、周囲の同情を買って、それでおしまいになるはずだ。高月もお嬢のしたたかさを知っているからこそ、遠慮せずに物を言っていた。
高月は普通のサラリーマン家庭で育ち、短大を出てからは派遣社員として職場を転々とした。
二十二歳のとき、父が心臓を悪くした。治療費を負担しようと実家に仕送りを始めたところ、自分の家賃が払えなくなり、食費も尽きそうになる。そんなとき、年越しの炊き出しに救われた。以来、様々なボランティアに参加し、仲間とともにNPOを立ち上げた。
地元A県で出馬しないかと野党第一党・民政党から誘われたのはちょうどその頃だ。一度目の衆院選では惜敗したが、二度目の挑戦で初当選を果たした。地盤・看板・鞄のないゼロからのスタートだった。
高月と朝沼は水と油のように正反対だった。
事務所について、朝刊各紙を確認したが、朝刊には情報が間に合わなかったようだ。
コーヒーメーカーのスイッチを入れて、パソコンの前に座る。
検索窓に「朝沼侑子」と入れると、すぐ後ろに「死亡」「死因」という言葉がサジェストされた。さすがにネットは情報が早い。
「朝沼侑子衆議院議員死去」という見出しで、ネットニュースがいくつも出ていた。各サイトで、朝沼の死亡に関する記事と、死亡前日に朝沼と高月が言い争ったことを伝える記事が並んでいた。
その二つの情報を結びつける者も少なくなかった。
ニュースサイトのコメント欄は荒れた。
shuma 3/19 04:54
この人まだ若いよね? 自○?
ポっちゃま 3/19 05:16
朝沼女史、メンヘラだった説(笑)
takashi0508 3/19 05:18
この人嫌いだったけど、さすがに可哀想。高月のおばさんにいじめられたのかな。ご冥福をお祈りいたします。
こむやん 3/19 05:20
ブリッコおばさん。天罰!
Mikimiki1130 3/19 05:22
これは明らかに高月のせいでしょ。批判ばっかりで、対案を示さない。何でも人のせい。性同一性障害特例法が通らなかったのを、朝沼のせいにして責めた。それで朝沼が追いつめられたわけだ。
44takasaki22 3/19 05:25
高月も高月だけど、朝沼も朝沼。正直、どっちもどっちだし、こういうのをいちいちニュースにするのもどうかと思う。このあいだ成立した予算の審議をもう少しちゃんと中継してほしかった。
たいら丸 3/19 05:30
さすがに、高月氏は脅迫罪とか、何かの罪に問われるべきじゃないのか? 人が一人死んでるんだぞ。
コーヒーの香りがただよってきて、沢村は顔をあげた。
コメントを読んでいると気が滅入る。秘書の沢村でさえそうなのだから、高月本人はどう思うのだろうか。
ニュースサイトのコメントには目を通していないはずだ。だが、高月はいくつかのS N Sでアカウントを持っている。確認するのも恐ろしいが、高月に対して批判的なコメントがたくさんついているだろう。
朝七時をすぎた頃から、電話が鳴りやまなくなった。コメントを求めるメディアからの電話には「後日改めてコメントをお出しします」とだけ伝える。
高月を心配する支援者からの電話もあった。後援会長とはたっぷり十分近く話し込んでしまった。地元の支援者たちには、状況を見守るよう伝えておくという。
事務所にきた電話は、ほんの一部だ。関係者のほとんどは高月個人の携帯電話の番号を知っているから、まずは高月のほうにかけるはずだ。直接つながらなかった人だけ、事務所にかけてくる。
八時を回ったところで、高月が事務所に顔を出した。
おはようございます、と挨拶しようとして、沢村は口をつぐんだ。
高月の目が真っ赤に充血していて驚いた。
目の下のクマが濃い。
一見して疲れている様子なのに、全身からたぎるような怒気がもれている。ちょっとでも触れると、かみつかれる。手負いの野良犬のようだった。
「ちょっと一人にして」と言うと、隣の応接室に入って扉を閉めた。
沢村は音もなく立ちあがり、扉にそっと耳を添えた。
国会議事堂内のある政党の事務室前を思いだした。扉の横に『壁耳禁止!』とポスターが貼ってあるのだ。過去に盗み聞きで痛い目にあったのだろう。古い建物なので、通気口に耳をあてれば中の声が聞こえるらしいという噂すらある。
議員会館は最近建て直された新しいものだから、事務所外から盗み聞きされる恐れはない。
だが事務所内の、応接室と事務室を仕切っている扉はあまり厚くなかった。
中からは、洟はなをすする音だけが聞こえる。誰かと電話をしているわけでもない。
お嬢、と高月がつぶやくのが聞こえた。
不器用な人だと思った。
高月が立ちあがる音がしたので、沢村は慌てて自席に戻った。
応接室から出てきたときには、高月はさっぱりとした顔をしていた。
「実家の周りにテレビが張ってたよ」ジャケットをデスクに放りながら言った。「普段の委員会質問のときも、このくらい注目してくれたらいいのにね」
沢村は、何事もなかったかのように、受電した内容を手短に伝えた。高月はうっすら眉間にしわを寄せながら聞いていた。怒っているわけではない。この顔が、彼女の素なのだ。
「ご冥福をお祈りいたします、っていう初期的なコメントは、S N Sにもう投稿しておいた。改めてコメントを出すのは、死亡の状況が分かってからだな」
「党からは何と?」
「国対委員長同士で、簡単に情報共有があった。それによると、お嬢は青酸カリを飲んで死んだみたい。自然死ではないよ。自殺か他殺かは不明だけど、自殺じゃないかって国民党は言ってる。果樹園で使われる殺虫剤には青酸カリが含まれているものがあるんだって。お嬢は、日本果樹園連合会の理事をしていたから、そのつながりで手に入れたんじゃないかって話だった」
「その話、マスコミには?」
「警察は青酸カリとか果樹園の殺虫剤とかまでは発表しないみたいだけど、メディアに話しちゃう政治家はいるだろうね」
コーヒーを持っていくと、高月は黙って受け取った。口をつけながら、窓の外を見つめて目を細める。
薄暗かった空はすっかり明るくなって、衆議院第一別館の背後から蜂蜜色の光がさしていた。
室内の陰鬱な雰囲気をあざ笑うような晴天だった。車が走りぬけるさざ波のような音が、遠く響いてくる。
「お嬢、なんで死んだんだろう」
高月は窓際にたたずんで、独り言のように言った。逆光で表情は見えない。
何と答えていいのか分からなかった。
おそらく高月のせいではない。分かっていても、万が一自分のせいだったら、という考えは浮かぶだろう。
お嬢は四十代半ばにして当選五回、少子化担当大臣、法務大臣を歴任し、直近では国対副委員長をつとめていた。
彼女こそが女性初の総理大臣になりうると将来を嘱望されていた。
三好顕造の長男、三好顕太郎との熱愛報道はあったものの、これといったスキャンダルもない。
自殺に追い込まれるだけの理由が見当たらなかった。
「三好顕太郎との婚約の件で、何かあったんでしょうか?」
沈黙が気まずくて、当てずっぽうなことを言った。
三好顕太郎は政界の貴公子とも称され、女性有権者からの人気が高かった。小柄だったが、甘く柔和な顔立ちをしていて、いかにも女性にモテるタイプである。それなのに長い間、女性問題どころか浮いた話一つなかった。
数年前に、お嬢と顕太郎が婚約しているという噂が流れた。一時はお嬢への誹謗中傷が強まった。だが、風当たりは徐々に弱くなり、今となっては祝福ムードのほうが強かった。
独身の二人が婚約したところで、何の問題もない。二人とも良家の子女であり、お似合いのカップルとも言えた。
高月は首をかしげた。
「三好家の反対にでもあったのかなあ。でも、それであの女が自殺するなんて、ちょっと想像できないんだ」
そのとき、高月のスマートフォンが鳴った。気づまりな会話から逃れられることに、少しだけ胸をなでおろした。すぐに事務所の電話も鳴った。
それぞれに電話の対応をしているうちに、昼前になった。
高月はスマートフォンを放り出して、机に突っ伏した。その姿勢のまま「ああ」と声をもらす。
「今から幹事長がくるらしい。嫌な予感がする」
幹事長の事務所は、同じフロアの三つ隣だ。間もなく事務所のインターホンが鳴った。
「田た神がみです」インターホン越しに野太い声が響いた。
沢村は事務所の扉を開け、応接室に案内する。
幹事長の田神正まさ嗣つぐは、挨拶を挟みもせず、単刀直入に言った。
「謝罪のうえ、国対副委員長をやめてもらう」
「待ってください。どういうことですか」高月が声をあげた。
沢村は話の続きが気になりながらも、応接室の出口に向かった。
後ろから「扉、開けといて」と声がかかる。事務室と応接室の間の扉を半開きにして、デスクに戻った。
沢村も知っておいたほうがいい情報がやりとりされるとき、高月は扉を半開きにする。あとから共有するのが面倒だから、勝手に聞いておけということだ。
「残念ながら、選択の余地はないよ。謝罪のうえ、国対副委員長をやめてもらう」
田神幹事長は、よく響く低い声でかみしめるように言った。
いつもゆっくりと一定のペースで話す。知的で落ち着いていると言われることもあれば、嫌味ったらしいと言われることもある。間近で見ていると、彼はそのどちらでもない。話しかたを固定することで、考えるべきことを減らす合理主義者というのが、正確なところだろう。
「高月さんと朝沼さん、二人とも国対副委員長として毎日バチバチやっていただろ。どうしても、そのイメージで語られてしまうんだよ。さっさと謝って、一旦辞任して、ほとぼりが冷めた頃に再登用するから、それでいいでしょ」
ぱたんと、ノートが閉じられる音がした。田神幹事長が持ち歩いている大学ノートだろう。
秘書が印刷した日程表とメモ用の大学ノート、ボールペンとマーカーペンを四六時中持ち歩いている。手離すのは、演説中くらいだ。政策通として知られる田神らしい持ち物である。
「国民党は、朝沼さんの死を、野党の追及のせいにしたいんでしょう。こちらが謝罪したら、思うツボですよ」
「しかし」田神幹事長の深いため息が聞こえた。「国民党はまだ初動をとっていない。こちらが先手を打って謝ってしまったほうが傷は浅い。うちの党本部にも全国の党員からお叱りのメールや電話が殺到している。謝罪なしには地盤がもたないよ」
沈黙が流れた。高月が思案しているのが伝わってきた。
沢村は手元の書類に視線を落としたまま、耳は応接室に向けていた。身じろぎもしなかった。
「謝罪をしろと言われても、謝ることがありません。朝沼さんの死は私のせいではないという前提ですよね。そのうえで、何を謝るんですか」
「政策実現のための議論の過程で、侃々諤々の議論を交わすことはあり、適切な議連運営だったものの、国民の皆さまに誤解を与える発言があったと」
「ばかばかしい」
高月が大声で言った。虚勢を張っているのだと分かった。
問題が起きた以上、誰かが責任をとり、謝罪をする必要がある。
お鉢が高月にまわってきたのだ。
「ウソ泣きお嬢を泣かせた議員なんて、他にもたくさんいます。彼らはみんな謝罪をするんですか? 田神さんなんて何度泣かせたことか」
「でも、死の直前にもめたのは君だった。個人的に僕は、これを幸運だったと思っている。うちのオジサン議員連中が泣かせていたら、シャレにならんだろ。オジサンが女性をいじめたという構図になって、ジェンダー的にも見栄えが悪い。もっと叩かれていたよ。女性の高月さんだったから、党としてもダメージが最小限になった」
田神幹事長はしんみりと言った。
「敗者に手向ける花などない。朝沼さんはもう死んだ。敗れたんだよ。死んだ人に恩を売っても、何も返ってこない。いいか、余計なことを考えるな。前だけを見て、戦うんだ」
反論を許さない物言いだった。
やはり挨拶もなしに、田神幹事長は事務所を後にした。
事務室に戻ってきた高月は、ひとまわり小さくなったように見えた。
いつもは弾けるような早足で動きまわっている。だから四十半ばをすぎても、大学生のようなハツラツさがあった。だが肩を落として小股で歩いていると、年相応の中年女という感じがする。
新しいコーヒーを高月の机の上においてやる。
高月は大きく息を吐いて、マグカップを手に取った。「二度あることは三度ある」と行書体で文字が書いてある。三期目の選挙に臨むとき、友人が贈ってくれたものだそうだ。縁起がいいはずのそのマグカップですら、今は不吉に感じる。
事務所の壁一面に、地元A県に関するポスターが貼ってある。端のほうには、田神幹事長が満面の笑みを浮かべたポスターがある。その前には、大きな胡蝶蘭がおかれていた。高月の誕生日に、田神幹事長から贈られたものだ。
「あのおやじ、何度晩酌に付き合ってやったことか」足を放り出しながら高月が言った。「普段どれだけお愛想したって意味ないね。何かあると、情け容赦なく責任を押しつけてくるんだから」
沢村はぼそりと言った。「ジェンダー的な見栄えって、一体何なのでしょう」
「知らないよ。国民感情ってやつでしょ。世論調査するわけでもないのに。オッサン連中のメンツを、国民におっかぶせて代弁させているんだよ」
朝沼と高月、女同士の喧嘩として片づけられるのは、党として幸運なのだろうか。男が女をいじめるのはシャレにならないが、女が女をいじめるのはまだマシなのか。
胸のうちにもやもやとした感情が広がったが、それ以上口にすることはできなかった。高月は事態をより深刻にとらえているだろう。言っても仕方ないことを言って、ことさらに気分を害したくない。
窓の外には、白々しいほど青い空が広がっていた。永田町の空は広い。周囲にそれほど高い建物がないからだ。
「まったく、腹が立つ」
高月はすっくと立ちあがった。背中に浴びた日光が後光のようになっていた。
「やってらんないよ。死亡の経緯も出ていないうちから謝罪だなんて」
「謝るんですか?」
高月は腕を組んでこちらを見た。丸眼鏡の奥で、烈しく瞳がきらめいている。荒野に凜と立つ女戦士のように、表情は硬く、しかし高揚しているように見えた。
「謝らない」
いつの間にか、声に張りが戻っている。
「ここでテキトーに謝ったら、お嬢に向ける顔がない。あの人、私、嫌いじゃなかった。すぐ泣く面倒なやつだったけど、あれはあれで立派な政治家だった。あの人が自殺したなら、よっぽどの理由があったんだと思う。私にきつく言われたくらいで死ぬとは思えない」
どさりと椅子に腰を落ち着け、どこか遠くを見ながら頬づえをついた。薄い唇には、この状況を楽しんでいるかのような微笑が浮かんでいた。
喧嘩を始めるときの政治家の顔だった。
「幹事長があんな感じなら、党内で味方してくれる人はいない。与党だって全力でこっちのせいにするだろう。みんな敵だよ。敵、敵、敵。もうほんと腹立つ。全員まとめてなぎ倒してやる。永田町なんてめちゃくちゃになればいいんだ」
呪いの言葉のようにつぶやきながらも、頭の中では次の手を必死で考えているはずだ。
永田町で働いて一年ちょっと、知ったことがある。長く生き残る政治家には二種類いる。政策通か、喧嘩屋だ。両方の資質を持っている人が多いが、やはりそれぞれに軸足がある。
高月は政策実現にも熱心だが、オタク的な政策通ではない。根っこの部分は、明らかに喧嘩屋タイプだ。
「先生、もしかして、謝罪のかわりに朝沼さんの死亡の経緯を調べるつもりじゃないでしょうね?」
「そのつもりよ」高月は歯切れよく言った。
「でも、調べようにも、とっかかりすらないでしょう」
「とっかかりは自分でつくるの。お嬢の死因に一番近い人、あるいは、一番関心がある人。いるでしょう?」
問われて、思考をめぐらせた。
「朝沼さんの遺族ですか?」
「遺族といっても、政治家だったお父さんは今ホスピスに入っている。地元のお母さんもあてにならない。政治の世界から遠のいているから。でも他にいるでしょ。政界ど真ん中の遺族が」
「もしかして、朝沼さんの婚約者の」
「そう、三好顕太郎よ」教師のように、人差し指をこちらに向けた。「顕太郎とアポをとってちょうだい」
「しかし、アポがとれるとは思えないのですが」
婚約者を亡くした直後だ。茫然自失するとともに、メディアからの取材が殺到して、対応に追われているはずだ。交流のない野党議員、しかも婚約者を死に追いやったと噂される張本人に会ってくれるとは思えない。
「大丈夫よ。高月から折り入って話がある、と伝えて。必ず食いついてくるはず」
「ですが、あまりにリスキーでは」
沢村は口ごもった。
顕太郎に接触したところで、死の原因が分かるとも限らない。謝罪を拒否し、事態を引きのばしたうえで何もつかめなかったらどうするのだろう。今謝ってしまえば、二、三カ月後には、大多数の国民は忘れてくれる。
亡き政敵への弔意を胸に、わざわざ茨の道を進もうとしている。筋は通っているが、政治家として不器用すぎるのではないか。
――朝沼さんはもう死んだ。敗れたんだよ。
田神幹事長の抑揚のない声が頭の中で響く。
――敗者に手向ける花などない。前だけを見て、戦うんだ。
「お嬢だったら、さっさと謝っただろうね」
高月は唇を歪めた。笑おうとしているのかもしれなかった。だが、笑えていなかった。奥歯をかみしめ、お腹が痛いのを我慢している子供みたいだった。
「お嬢はもう、ウソ泣きもできないんだよ。まだ若かった。これからたくさん、楽しいことがあっただろうに。冷たくなって、硬くなって、今は灰になって。暗くて小さい骨壺に入っている。そんなの信じられる? わがままで、女王様みたいだった、あの女が」
洟をすする音がした。涙は一滴も流れなかった。高月の目はむしろ爛々と輝いていた。
沢村はそっと祈った。
目の前にいる痩せっぽちの中年女性が、これ以上の傷を負わないですむように。
女の国会
国会のマドンナ”お嬢”が遺書を残し、自殺した。
敵対する野党第一党の”憤慨おばさん”は死の真相を探り始める。
ノンストップ・大逆転ミステリ!