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愛の病

2024.07.24 公開 ポスト

編み物サバ番ジグソーパズル狗飼恭子

 ストレスと嫌な記憶で頭も体もいっぱいいっぱいになってどうしたらいいか分からなくなることは誰にでもあると思うけれど、そういうときみんなどうしているのだろう。

 運動とか料理とか賭け事とか散歩とかマッサージとかお喋りとかお風呂場で大声で歌うとか、発散の仕方は人によりいろいろあるだろう。乗馬とか畑仕事とか語学勉強とか筋トレとか読書とか映画やドラマや絵画鑑賞なんて人もいると思うし、犬を愛でたり絵を描いたり海を観たり格闘技したり釣りしたり、山を登ったりなんてのもいいと思う。

 

 テトリスにPTSD症状のフラッシュバックを予防できる可能性があるという研究が行われているというネット記事を読んだ。確かにテトリスとか携帯のパズルゲームに没頭しているとき、脳はしばらくそれ以外について考えるのを止めてくれているような気もする。テトリスのピースが夢に出てきたりしたこともあるし。しかしわたしは数日で慣れて考え事のほうに脳を持っていかれるようになる。嫌なことに占拠されてゲームしながらあ「ああああ」とか唸るようになる。テトリスがあまり上手くないから、そこまで集中できていないのかも。

 だから、というわけではないけれど、最近のわたしは編み物をしている。
 何を編んでいるのかは自分でも分からない。

 一番単純な編み方で、用途のない毛糸の何かを、ただただ延々編み続けるのだ。
 編み始めた毛糸はモヘアのふわふわした暖かそうなものだ。もうすぐ真夏が来るというのに。もう少ししたら、そのふわふわが暑苦しくてうんざりするかもしれない。でも今はただ一心に指先だけを動かすのが、とても心地いい。

 今までの人生でも何度か編み物にはまるターンがあった。だからわたしの家にはでっかかったりただひたすら長かったりする毛糸の何かがいくつもある。生活にまったく必要がないものだけれど、捨てることはなかなかできない。

 編み物以外によくするのはジグソーパズルだ。
 100ピースから1000ピースまでサイズはさまざま。

 パズルにはまるターンも今まで何度かあった。選ぶのは大抵名画のもの。画家が描いた有名な絵を厚紙にプリントし細かいピースに分けたものを組み立てて「名画が厚紙にプリントされた物」を作る。ものすごく意味がない。だからとても集中できる。

 それから、サバイバル番組を見るのも好きだ。
 いろんな国籍の若者たちが歌ったり踊ったり努力しているのを眺める。みんなアイドルになるために必死だ。

 サバイバル番組に出ている多くの人はまだ芸能人ではない。一般人が歌って踊るのを、音楽関係者でもアイドル通でもない一般人のわたしが眺める。子供もおらずスポーツに一切興味ないわたしには、知らない若者が努力する姿を見るのは新鮮だ。

 サバイバルなので、視聴者投票によって受かったり落ちたりする若者がいる。でもわたしは投票しない。投票すると、「サバイバル番組を観ること」が意味あるものになってしまう。誰かの人生を左右する何かを自分が握ってるなんて思うのは大変に恐ろしい。

 編み物をしながらサバ番を観たり、一心にパズルを組み立てたりするのが、今のわたしには心地良いストレス発散のための時間。なんの意味もないこと。世界に対してプラスにもマイナスにもならない時間。

 ストレスは大抵、自分と他者や世界との間に起こる摩擦のせいで感じるものだ。
 だから摩擦が起こりようのないことをしているとき、心に安寧が訪れるのだろう。

 文字を書きながら毎日思う。
 わたしは誰かを踏みつけていないか。
 この言葉が誰かを傷つけていないか。

 そして、誰も傷つけない誰も踏みつけない言葉なんか世の中に存在しないと絶望する。わたしはわたしが傷つけたひとたちと同じだけの傷を、きちんと引き受けなければならない。だからしんどい。でも仕方ない。

 年をいくら重ねても生きるのが上手くならないなあ、と、編み棒を交互に動かしながら、今日もわたしはぼんやり考えている。

関連書籍

狗飼恭子『一緒に絶望いたしましょうか』

いつも突然泊まりに来るだけの歳上の恵梨香 に5年片思い中の正臣。婚約者との結婚に自 信が持てず、仕事に明け暮れる津秋。叶わな い想いに生き惑う二人は、小さな偶然を重ね ながら運命の出会いを果たすのだが――。嘘 と秘密を抱えた男女の物語が交錯する時、信 じていた恋愛や夫婦の真の姿が明らかにな る。今までの自分から一歩踏み出す恋愛小説。

狗飼恭子『愛の病』

今日も考えるのは、恋のことばかりだ--。彼の家で前の彼女の歯ブラシを見つけたこと、出会った全ての男性と恋の可能性を考えてしまうこと、別れを決意した恋人と一つのベッドで眠ること、ケンカをして泣いた日は手帖に涙シールを貼ること……。“恋愛依存症”の恋愛小説家が、恋愛だらけの日々を赤裸々に綴ったエッセイ集第1弾。

狗飼恭子『幸福病』

平凡な毎日。だけど、いつも何かが私を「幸せ」にしてくれる--。大好きな人と同じスピードで呼吸していると気づいたとき。新しいピアスを見た彼がそれに嫉妬していると気づいたとき。別れた彼から、出演する舞台を観てもらいたいとメールが届いたとき。--恋愛小説家が何気ない日常に隠れているささやかな幸せを綴ったエッセイ集第2弾。

狗飼恭子『ロビンソン病』

好きな人の前で化粧を手抜きする女友達。日本女性の気を惹くためにヒビ割れた眼鏡をかける外国人。結婚したいと思わせるほど絶妙な温度でお風呂を入れるバンドマン。切実に恋を生きる人々の可愛くもおかしなドラマ。恋さえあれば生きていけるなんて幻想は、とっくに失くしたけれど、やっぱり恋に翻弄されたい30代独身恋愛小説家のエッセイ集第3弾。

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愛の病

恋愛小説の名手は、「日常」からどんな「物語」を見出すのか。まるで、一遍の小説を読んでいるかのような読後感を味わえる名エッセイです。

 

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狗飼恭子

1974年埼玉県生まれ。92年に第一回TOKYO FM「LOVE STATION」ショート・ストーリー・グランプリにて佳作受賞。高校在学中より雑誌等に作品を発表。95年に小説第一作『冷蔵庫を壊す』を刊行。著書に『あいたい気持ち』『一緒にいたい人』『愛のようなもの』『低温火傷(全三巻)』『好き』『愛の病』など。また映画脚本に「天国の本屋~恋火」「ストロベリーショートケイクス」「未来予想図~ア・イ・シ・テ・ルのサイン~」「スイートリトルライズ」「百瀬、こっちを向いて。」「風の電話」などがある。ドラマ脚本に「大阪環状線」「女ともだち」などがある。最新小説は『一緒に絶望いたしましょうか』。

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