大人の女には、道をはずれる自由も、堕落する自由もある――。7月3日に発売された『小泉今日子と岡崎京子』は、社会学者の米澤泉さんが読み解く、ふたりのキョウコ。彼女たちが注目され始めた1980年代とはどんな時代だったのか? 一部を抜粋してお届けします。
オリーブ少女と宝島少女
80年代から90年代にかけて岡崎京子が追い求めた「今のオトナのオンナモデル」は、どのようにして具現化されていったのか。どのような経緯を経て、女性たちは「永遠の少女の自立」を、「自由で革新的な世界」を目指すに至ったのか。まずは、リアルなサカエがいた80年代の女子をめぐる文化的、社会的状況を当時の雑誌、特にファッション誌を通して見ていくこととしよう。
1970年代に礎(いしずえ)が築かれた日本のファッション誌は80年代に大きく発展を遂げた。種類が豊富になっただけでなく、ターゲットもコンテンツも細分化が進み、女性たちにとって欠かせないメディアになっていく。すでに70年代のアンノン族のように、雑誌が一つの風俗を作り出し、社会現象となるのは自明のことになっていたが、「アンノン族」が『アンアン』『ノンノ』という二誌を区別せずファッション誌に影響を受けた若い女性という括りだったのに対し、80年代以降は、各雑誌の生み出す読者像が一つのトライブを形成し、社会的に認知されていくようになる。
例えば「JJガール」「オリーブ少女」などは、雑誌の域を超えて幅広く使用され、たとえその雑誌が休刊になったとしてもその名は風俗史、ファッション史において今なお燦然と輝いている。
ここでは、80年代の少女たちに大きな影響を与えたファッション誌『オリーブ』とサブカルチャー誌として絶大な人気を誇っていた『宝島』を取り上げ、それぞれの読者であるオリーブ少女、宝島少女像を通して当時の少女たちの意識を探っていく。
SNSが台頭し、紙からデジタルへの流れが止まらない今となっては、ファッション誌が女性たちの人生を左右していたことなど考えられないかもしれない。だが、20世紀の後半から21世紀の初頭まで、およそ半世紀にわたってファッション誌は女性たちのファッションだけでなく、ライフスタイル、生き方に深く関わってきた。
とりわけ80年代は、新たな雑誌が次々と創刊され、まさに百花繚乱の様相を呈していた。そのなかにあっても70年代に創刊された『アンアン』と『JJ』は双璧であり、ファッションやセンスの違いはあるものの、ともに強い影響力を誇り、それぞれが「派閥」と呼べるほどの一大勢力となっていた。
アヴァンギャルドなDCブランド派の『アンアン』とコンサバティブなニュートラ派の『JJ』。そのファッションの差異はそのまま革新か保守かという生き方の違いにまで直結していた。自立する女か結婚する女か。キャリアウーマンか専業主婦か。カリアゲショートとワンレンロングを両立することができないように、どちらかの選択を迫られた80年代。カリアゲかワンレンか、それは今後の人生につながる大問題であった。
そんな80年代前半にカリアゲ自立派『アンアン』の流れを汲みながらも、「ポパイ少年」の彼女としてマガジンハウス(当時は平凡出版)に誕生したのが伝説のファッション誌『オリーブ』である。82年に創刊された『オリーブ』は、シティ・ボーイ派の『ポパイ』のように当初はアメリカ西海岸のスタイルをお手本とし、ファッションもアメリカン・カジュアルを標榜していた。しかしこの路線はあまり支持されず、早くも83年にターゲットを女子大生から女子高生に鞍替えして「リセエンヌ」をコンセプトにリニューアルされる。ここから『オリーブ』の快進撃が始まるのである。
「83年〜87年、ティーンズの女の子たちは皆『オリーブ少女』になった」(アクロス編集室1995:206)と言わしめた新生『オリーブ』は、それまでの少女向けファッション誌とは明らかに異なっていた。そこには老舗の『mc Sister(エムシーシスター)』や『セブンティーン』を寄せ付けない独自のファッションセンスに基づく世界観が展開されていたからである。
この雑誌の物語の主人公になりたい。
13の時、初めて「オリーブ」を読んで、そんな風に思った。
ここに載っている服が着たい、欲しいというよりもずっと強い気持ちで。雑誌の中で「オリーブ少女」と呼ばれているような女の子になりたかった。
(山崎2014:10)
1970年生まれの山崎まどかは著書『オリーブ少女ライフ』(2014)の冒頭でこのように当時を述懐する。『オリーブ少女ライフ』は、中学2年生だった山崎の『オリーブ』との出会いから、高校3年生で『オリーブ』を卒業するまでの回想録である。山崎が読んでいたのは80年代全盛期の『オリーブ』であり、「ティーンズの女の子たちは皆オリーブ少女になった」時期とぴったり重なっている。
アメリカ西海岸からヨーロッパ、しかもパリにテイストをがらりと変えた新生『オリーブ』に付けられたキャッチフレーズは、「Magazine for Romantic Girls」であった(アクロス編集室1995:206)。80年代の日本の少女たちに「この物語の主人公になりたい」と思わせるには、遥か遠くフランスのパリに住む女子高生「リセエンヌ」をコンセプトにせねばならなかったのだ。
今の女子高生ならば、いきなり、おしゃれライバルをリセエンヌに設定し、「リセエンヌにはまけないよ!」(86年11月3日号)と言われても戸惑うだろう。しかし、そこはインターネットもSNSもない80年代である。当時の雑誌には読者をその世界に引き込み、啓蒙するだけの力が十分に備わっていた。まさに雑誌は正義だったのである。『オリーブ』に載っているから、『アンアン』が選んだから「おしゃれ」なのだ。アニエス・ベーの服やカフェオレボウルだけでなく、スタイリストという職業やチープシックという概念まで、80年代の日本の少女たちに『オリーブ』が教えたものは数知れない。
* * *
つづきは、『小泉今日子と岡崎京子』でお楽しみください。