「意識不明の重体です」「全治3カ月の大怪我です」
ドラマやニュースでよく聞くセリフですが、実際の医療の現場ではほとんど使われないそう。
現役医師である「外科医けいゆう」こと山本健人さんが、医者と患者の「誤解の素」になりそうな言葉を解説する新書『がんと癌は違います』より、一部を抜粋してお届けします。
「治った状態」を医学的に定義するのは難しい
ニュースで「全治3カ月」のような言葉を聞くことが多いためか、病院で患者さんから「全治何カ月ですか?」と聞かれることがよくあります。
一方、私たちは医療現場で「全治」という言葉を使うことはありません。その理由は単純で、「全治=病気や怪我が完全に治った状態」を定義するのが難しすぎるからです。
例えば、骨折などの大怪我をして手術を受け、退院して日常生活に戻れたら、その時点で「完全に治った状態」と言っていいでしょうか?
もちろんそんなことはないでしょう。退院後も定期的に通院し、医師の診察や、レントゲンなどの検査を受けなければなりません。この状態を「完全に治った」とは言えないはずです。定期的な診察や検査が必要だということは、その結果として異常が判明すれば何らかの治療を追加する可能性がある、ということを意味するからです。
そのうち、「1年後にMRI検査を予約しましょう」と指示されるかもしれません。1年間も通院しなくていい状態ではありますが、MRI検査の結果次第で何らかの治療を追加する可能性があるなら、やはり「治った」と言い切ることはなかなかできません。
では、どのくらいの時間が経ち、どんな状態になれば「治った」と言っていいのでしょうか? そう考えると、「治った状態」を医学的に定義することが、いかに難しいかが分かります。
もちろん、これは外傷に限った話ではありません。
例えば、がんの患者さんが手術を受け、がんを体から取り去ることができても、医師はその時点で「治りました」とは伝えません。一定の確率で再発が起こるため、それ以後5~10年といった長いスパンで再発が起こらないかどうかを慎重に見ていかなければならないからです。
あるいは、術後に再発の予防を目的に、抗がん剤治療を受けていただくこともあります。「予防」とは言え、あくまで「がん治療」の一環ですから、「治った」どころか、むしろ「治療継続中」でしょう。
糖尿病や高血圧などの生活習慣病も同じです。生活習慣病の多くは、長期的に通院し、薬を飲み続けなければならない病気です。もし病状が改善して薬を飲む必要がなくなったとしても、適度な運動や節制を続ける必要があります。
多くの病気が、治療を継続しながら長期的に「付き合っていく」タイプの病気であり、どこかで「治る」ものではない、と言えます。
便宜的な「社会復帰までにかかる期間の目安」が「全治○カ月」に変換されている
しかし、誰もが社会生活を送っている以上、少なくとも「社会復帰できるタイミング」はどこかに設定しなければなりません。医学的に「治癒」を定義できなくとも、社会的に「治癒」を定義しなければ社会が立ち行かない、ということです。
ここで言う社会的な「治癒」とは、具体的には「職場に復帰できること」や「日常生活に戻れること」などを意味します。
例えば、私たちは交通事故で怪我をした患者さんに診断書を書く機会が多いのですが、ここには「治療期間の目安は◯日」といった記載をするのが一般的です。治癒までの期間を正確に予想することはできませんが、「社会復帰までにかかる期間」は便宜上数字で示さないと、職場も役所も保険会社も困るからです。
そこで、医師はあえて(社会からの無言の要請に応える形で)「このくらいになれば何とか社会生活が可能になるだろう」というタイミングを漠然と予測し、これを患者さんに伝えることになるのです。
報道などで言われる「全治○カ月」は、このような背景で医師がやむを得ず口にした数字が使われている、と考えるとよいでしょう。
むろん、医学的には治癒までの期間を明言すること自体に無理があるのですから、経過次第でこの期間は変わりえます。全治3カ月程度だと予測していた患者さんに、思わぬ病状の変化が起き、さらに1カ月社会復帰が遅れる、といったことは少なくありません。
病状がどのように変化するかは、どんな名医であっても正確に予想できません。したがって、病院で医師に「全治何カ月ですか?」と尋ねても、決して「3カ月ですよ」といったシンプルな答えは返ってこないのです。
なお、脳卒中の後遺症などで手足に麻痺が生じたケースでは、一定期間が経過すると症状が固定し、どうしても回復が見込めなくなります。この場合は、診断書に「症状は固定しており、これ以上の回復は困難と思われる」といった形で記載することになります。
リハビリをして社会復帰ができるようになっても麻痺は残っている、つまり、到達地点が「全治=完全に治った状態」ではない場合もあるということに注意が必要なのです。
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