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白紙を歩く

2024.10.26 公開 ポスト

#4 17歳の天才女子高生ランナーが読書に興味を持ち始めた理由鯨井あめ(作家)

10月23日(水)に発売された鯨井あめさんの新刊『白紙を歩く』より、陸上ばかりしていた風香が「なぜ読書に興味を持ったのか」について語るシーンをお届けします。(はじめから読みたい方はこちら

*   *   *

わたしは尋ねる。「明戸さん、クラスは?」

タイピングが止まる。「何?」

「クラス」

「Aだけど」

A組は、普通科の文系クラスだ。教室棟の西端にある。クラスは西からアルファベット順に並んでいて、わたしのF組は東端。つまりAとFは、教室棟の端と端。生徒玄関の靴箱は離れているし、移動教室で使う渡り廊下や階段も別。そもそも学科が違うから、時間割や授業も被らない。

スポーツ科のF組は、同じスポーツ科のE組とだけクラス替えがある。合同授業もE組とだけだから、交友関係もその二クラスで収まりがちで、唯一の全校交流イベントである文化祭のときも、秋季大会や新人戦に集中している人が多い。わたしも去年はクラスの出し物に参加しなかった。

そういえば、蓼科先生が受け持っているのはDからFクラスだ。明戸さんのAクラスとは接点がないはず。

「蓼科先生と仲がいいの?」

「知り合い。あの人、司書だし、個人的にもちょっとつながりが」

「いいな」

「いいな? なんで?」

「蓼科先生が、小説に救われたって話をしていて、いいな、って思ったから」

春のこと。国語の授業で、蓼科先生が学生時代のことを話してくれた。そのとき零された言葉が、わたしのなかにこだましている。「現実に答えが見つからないときは、物語の世界に答えを探すのも、ひとつの方法です。虎になってしまう前に」─あれは何の授業だったかな。難しい文章だった気がする。

本を読むのは苦手だ。周囲にどれだけ勧められても、読めなかった。だからずっと、読書家に憧れている。クラスにひとりはいる、本を読んでばかりいる子。速読が得意で、難しい漢字の読み書きができる、物静かで思慮深い子。物語を楽しめないわたしは、そういう人をかっこいいなって思う。羨ましいな、って。

「明戸さんって、本のこと、詳しいんだね。『走れメロス』の内容、憶えてるの?」

「当然」

「面白い?」

「太宰の作品は、面白いとか面白くないとかじゃないから。すごい、だから。筆致と表現力で殴ってくるタイプの作家だから」

「そうなんだ」

眼鏡越しに、ジロ、と睨まれた。「これ、何の時間?」

「よかったら、おすすめの小説を教えてくれない? わたし、小説のこと詳しくなくて、文章を読むの苦手で、けど読書したいんだ」

「なんで?」

「走る意味が、わからなくなっちゃって」

「走ることに意味なんかあるの?」

「なかったから、困ってる」

「どういうこと?」

故障をして、休部してから、クラスで進路希望調査が行われた。スポーツ推薦を使うか、一般入試にするか、この先も走り続けるか、高校いっぱいで辞めるか、そのうち決めなくちゃいけないんだって実感した。そして気づいてしまった。

「わたし、ずっと、無心で走ってきたんだ。何も考えず、陸上を続けてきた。だから、わたしの内側のどこにも、走る理由がない。でも、走りたくない理由もないから、どうしたらいいんだろうって悩んでる」

「変な悩み。その答えが、小説のなかにあるかもしれない、って?」明戸さんは頬杖をついて、じっとわたしを見ている。見定めるような目つきだ。「読み始めたら寝ちゃうくらい、つまんないのに?」

「つまんないわけじゃないと思う。慣れてないだけで。小説って、きっとすごいんだろうなって、思うから」

「すごい?」明戸さんの頬杖をついた手の指先が、頬をとんとんと叩いている。「どういうふうに?」

「本を読んでる人って、賢いでしょ。読解力がある。考え方が柔軟っていうか、達観してるっていうか、悟ってる感じがする。視野が広い」

「ふうん……あたしはね、物語は人を救うって信じてるんだ」にやり、と明戸さんの口角が上がった。「だから、悩める定本さんが読書を試みているのは、最適解だと思う。小説は万能だから」

「万能」

「明日、ここに来てよ。『走れメロス』の文庫本、貸してあげる。でもどうして初手で全集に行っちゃったのかな。選書としては大間違いだよね。本の選び方を知ってたら、そうはならないでしょ。学校教育のせいだよ。図書室が機能してないから、間違いが起こる。生徒が読みたい本にスムーズにたどり着けるようにすべきだよね。図書委員が働くべきだし、専任の司書も雇うべきだよ。コストカットで必要な部分を削ぎ落としてミスを誘導するなんて、却って税金の無駄遣いだと思わない?」

つらつらと言われて、お礼を言いかけていたわたしは面食らった。

「明戸さんって、すごく上から目線だね」

彼女はぎょっとした。目線を下げて、気まずそうに顔を逸らして、口をもごもごとさせる。しまった。傷つけちゃった。わたしがごめんと言う前に、ポケットのスマホが震えた。取り出すと、親からだ。あと五分で着くらしい。

「そろそろ行かなきゃ。迎えだ」

「へえ、どっかのご令嬢なの?」

「膝を痛めてて、これから病院」

校門の前で車を長時間待たせるわけにはいかない。病院の予約もある。またね、と告げた。

生徒玄関に着いてから、謝り損ねたことに気づく。

*   *   *

類を傷つける言葉をつい口走ってしまった風香。

明日は風香が類に謝るシーンをお届けします。果たして類は許してくれるのでしょうか。早く続きが読みたい方はこちらをチェック

関連書籍

鯨井あめ『白紙を歩く』

天才ランナーと小説家志望。人生の分岐路で交差する2人の女子高生の友情物語。 ただ、走っていた。 ただ、書いていた。 君に出会うまでは――。 立ち止まった時間も、言い合った時間も、無力さを感じた時間も。無駄だと感じていたすべての時間を掬い上げる長編小説。 「あなたをモデルに、小説を書いてもいい?」 ケガをきっかけに自分には“走る理由”がないことに気付いた陸上部のエース、定本風香。「物語は人を救う」と信じている小説家志望の明戸類。梅雨明けの司書室で2人は出会った。 付かず離れずの距離感を保ちながら同じ時間を過ごしていくうちに「自分と陸上」「自分と小説」に真剣に向き合うようになっていく風香と類。性格も好きなことも正反対。だけど、君と出会わなければ気付けなかったことがある。 ハッピーでもバッドでもない、でも決して無駄にはできない青春がここに“在る”。

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白紙を歩く

天才ランナーと小説家志望。人生の分岐点で交差する2人の女子高生の友情物語。

ただ、走っていた。ただ、書いていた。君に出会うまでは――。

立ち止まった時間も、言い合った時間も、無力さを感じた時間も。無駄だと感じていたすべての時間を掬い上げる長編小説。

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鯨井あめ 作家

1998年生まれ。兵庫県豊岡市出身。兵庫県在住。2015年より小説サイトに短編・長編の投稿を開始。2017年に『文学フリマ短編小説賞』優秀賞を受賞。2020年、第14回小説現代長編新人賞受賞作『晴れ、時々くらげを呼ぶ』(講談社)でデビュー。他の著書に『アイアムマイヒーロー!』『きらめきを落としても』『沙を噛め、肺魚』(いずれも講談社)がある。

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