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どこでもいいからどこかへ行きたい

2024.11.16 公開 ポスト

“古びた中華料理屋”“崩れそうなアパート”“夜中の校舎”近所にある「知らない場所」の魅力pha

このたび、第15回エキナカ書店大賞にphaさん著『どこでもいいからどこかへ行きたい』が選ばれました。ふらふらと移動することをすすめる本書より、受賞を記念に、抜粋記事をお届けします。また、11月29日(金)、よしたにさんとのトーク「中年が孤独と不安をこじらせないために」を開催します。ぜひご参加ください。

こうやって歩く(世界・町内・体内)

感情が不安定なときはいつも外を歩くようにしている。

家の中で一人でものを考えているとネガティブな方向にしか行かないようなときでも、家から出て外の空気を吸うだけで少しだけ思考がマシになる。心がどんより曇ってきたときにシームレスに外出ができるかどうかが精神状態をかなり左右するので僕はできるだけ1階に住むようにしている。

頭の中に鉛が詰まったような気分でも、それとは関係なく体は動くし、足を前に踏み出す動作を交互に行えば少しずつ視界に映る映像が変わっていく。地面を踏むたびに一定のリズムで体に伝わってくる振動は精神を少し落ち着かせてくれるような気がする。動くことで体がほぐれるとそれに連動して頭の中もほぐれてきたりするのだろうか。

ずっと部屋にこもってパソコンのモニタを見続けていると、久しぶりに外に出て遠くを見たときに「このゲームはなんて解像度が高いんだろう」と感動する。「こんなに大勢の人や車が動いているのに処理落ちしないなんて、なんてハイスペックなマシンなんだ」とか思ったりする。そんなどうでもいいことを考えながらひたすら1時間くらい歩くと少しだけ気分がマシになっている(ならないときもある)。

何かアイデアに詰まったときにも歩く。

腕を組んで机に向かっているだけでは解決策が見えなかったようなことでも、なんとなく歩きながらぼんやりと考えていると、固まってほどけなくなった思考のもつれが歩くことによる振動でだんだんゆるんでくるのか、もつれをほぐすきっかけの糸口が見えてきたりする。洗濯機の渦の中に放り込まれた糸くずが自然にまとまって塊になるように、歩行で脳を揺さぶっているうちに漠然とあちこちに浮かんでいたアイデアの断片がだんだんと集合して形を成してくる。

京都に「哲学の道」という小さな川沿いの雰囲気のよい道があるのだけど、その道の名前の由来は哲学者の西田幾多郎らがよくその道を歩きながら思索をしていたかららしい。

歩くことには何か考えを促進するものがあるのだろう。体が止まった状態で考えるよりも体を動かして意識に流れを作ってやったほうがポッとよい発想が湧いてくる。僕はじっとしているときよりもなんとなく歩いているときや風呂に入っているときによいアイデアを思いつくことが多い。

というか、別に情緒不安定なときや考えに詰まったときでなくても、普段から毎日一定の時間を歩いている。暇だと特に理由もなく1時間くらい歩く。多分歩くのが好きなんだろう。

外をふらふら歩くことが生活の中心としてあるので、思うように歩けないときは不調になる。外を歩くのがためらわれるような寒い冬や暑い夏や雨の日は大体調子が悪い。

「散歩が好き」と言うとそれだけではあまりにも退屈そうな趣味のように思われるのか、「近所にいい散歩コースでもあるんですか」などと聞かれたりするけれど、別にそんなものはなくて家の近くの普通の住宅地をただ歩いているだけだ。

でも、結構どんな道でも歩いていると楽しいものだし、歩くたびになんらかの発見がある。

古い家、新しい家、道端の鉢植えの花、崩れ落ちそうなアパート、工事中の新築の家がだんだんできていく様子、古びた中華料理屋、夜中にそびえ立つ中学校の校舎、自動販売機のボタンが一定の法則で点滅するところ、犬の散歩をする人、道を横切る猫、警官に問い詰められている人、電動自転車に乗る人、など、見知った道でも時間帯や季節や自分の精神状態によって見えるものは毎回変わる。

人間の視界は意外と狭くて、わりといろいろなものを見落としながら生きている。何年も住んでいる場所でも、普段入らない路地になんとなく入るとこんな場所があったのかという気づきがあったりする。

普段立ち止まらない場所で立ち止まってみたり、普段上を見ないところで上を見てみたりするだけで新しい世界が見えてくるので楽しい。

近所を歩くだけでいろいろな気づきがあるということを普段から感じていると、「新しいものを見たいとしても別に遠くに行く必要はない」とよく思う。

遠くまで海外旅行をしたとしても、物を見る姿勢に新しさがなければガイドブックに載っている情報をなぞるだけで何も新しい気づきを得ずに終わるだろう。

逆に、細かい場所に面白さや新しさを見出せる視点さえあれば、家の近所を散歩しているだけでも毎日新たな発見がある。既知と思っていることの中にもいくらでも未知は隠れているものだ。

僕は大体いつも一人で歩くことが多いけど、ときどき誰か他人と歩くのもよい。一人で歩くときとはペースや視線の動かし方も変わってくるし、他人は自分が普段見ていないようなものを見ていたりするし、一人で歩いているのとはまた別の気づきがあることが多い。

ただ普通に歩くのが退屈なときはイヤフォンで音楽を聴きながら歩くとはかどる。曲のBPMに合わせて歩くのも楽しいし、BPMと少しずらして歩くのもポリリズムが生まれるので楽しい。

15分くらい歩いていると股関節のあたりの筋肉がほぐれてきて、体幹の芯のほうから足を前に出せるような感じがしてくる。そのあたりからが本番で、そのあと30分くらいは楽しく地面を踏んでいける。

普通に歩くのに飽きてきたら、歩き方をちょっと変えてみたりもする。ずっと同じ歩き方をしていると使う筋肉が固定されてしまうので、歩き方を変えることで普段使わない筋肉を刺激するようにする。

足脚腰背肩首腕手、歩くときに使う全ての筋肉や関節を一つ一つ意識してみる。そうすると人間の体には思った以上にいろんな筋肉や関節があるということに気づく。普段使わない筋肉を意識して使うようにしながら歩くと、歩いてるだけでマッサージをされてるみたいに体がほぐれていって気持ちいい。

変わった歩き方の例としては、以下のようなことをイメージしながら歩いたりする。

・地面がすごくねばねばしていて靴の裏が地面にくっつくのを剝がしながら進んでいるイメージで歩く

・頭のてっぺんから糸が出ていてその糸で天から吊つられているのをイメージしながら歩く

・地面から湧き出してくる妖怪を聖なる靴の裏で一歩一歩踏みしめて鎮めていくイメージで歩く

・右手と右足を同時に前に出して左手と左足を同時に前に出して歩く

・普通の3分の1くらいのスピードで体をゆっくり動かして歩く

・肩甲骨をグリグリ回して背中の筋肉をミシミシほぐしながら歩く

体の細かい感覚を意識しながらこんな風にいろんな歩き方をすると楽しいんだけど、周りから不審者として見られる可能性があるので人の少ない夜中にやるのがいいかもしれない。

他には履き物によっても歩き方や使う筋肉が変わってくるのでときどき変えるようにしている。僕は飽きないように以下の履き物をローテーションしている。

・普通の靴

・クロックスっぽいサンダル

・かかとをベルトで固定するタイプのサンダル

・足の裏のツボを刺激する健康サンダル

先ほど、海外旅行なんてしなくても近所の町内でも知らない場所はたくさんあると書いたけれど、それはさらに狭い範囲でも言えるかもしれない。

つまり、町内まで行かなくても自分の体内でも知らない場所はたくさんある、ということだ。

一番身近な自分の体でも普段なんとなく見過ごしている部分は結構多い。

以前、体の使い方について書かれた本を読んで気づきがあったのは、スポーツなどをやらない多くの人は、腕は肩で肋骨につながっていると思っているけれど、そうではないということだ。

実際は腕の骨というのは、胴体につながっているのは鎖骨の部分だけなのだ。首の下あたりで肋骨と鎖骨がつながっていて、その鎖骨に肩の骨がつながっている。だから鎖骨が折れると腕を上げることができなくなる。背中にある肩甲骨も肩の骨とつながっているけれど、これは肋骨には接続していなくて筋肉に包まれて浮いているだけだ。

自分の体がそんな風になっているとは意識したことがなかったので、初めて知ったときはびっくりした。そうした構造を知って意識するだけで、体の動きというのは変わってくるものらしい。

体には他にもまだまだ「こんな骨があったのか」「こんな仕組みになっているのか」という部分があるのだろう。知っているようで知らないことはまだまだ多い。

そうした普段見過ごしがちな体の部分を一つ一つ探検して、曲げたり伸ばしたりしているだけで新しい気づきがあって毎日暇が潰せそうだ。ヨガとかやってる人はそういうことをずっとしているのかもしれない。

目の位置を少し変えるだけでどんな場所にも楽しみは見出せるものだし、どんな問題でも解決する糸口は見つかるものだ。そんなことを考えながら今日もまた散歩に行ってこようと思う。

11月29日(金)pha×よしたに「中年が孤独と不安をこじらせないために」トークを開催!

人生の迷いや不安なども率直に語り合いながら、今後の展望へとつながる知恵やコツを交換しする場にしたいと思います。申し込み方法は幻冬舎カルチャーのページをご覧ください。
 

関連書籍

pha『どこでもいいからどこかへ行きたい』

家にいるのが嫌になったら、突発的に旅に出る。カプセルホテル、サウナ、ネットカフェ、泊まる場所はどこでもいい。時間のかかる高速バスと鈍行列車が好きだ。名物は食べない。景色も見ない。でも、場所が変われば、考え方が変わる。気持ちが変わる。大事なのは、日常から距離をとること。生き方をラクにする、ふらふらと移動することのススメ。

pha『できないことは、がんばらない』

他の人はできるのに、どうして自分だけできないことが多いのだろう? 「会話がわからない」「服がわからない」「居酒屋が怖い」「つい人に合わせてしまう」「何も決められない」「今についていけない」――。でも、この「できなさ」が、自分らしさを作っている。小さな傷の集大成こそ人生だ。不器用な自分を愛し、できないままで生きていこう。

pha『パーティーが終わって、中年が始まる』

定職に就かず、家族を持たず、 不完全なまま逃げ切りたい―― 元「日本一有名なニート」がまさかの中年クライシス!? 赤裸々に綴る衰退のスケッチ 「全てのものが移り変わっていってほしいと思っていた二十代や三十代の頃、怖いものは何もなかった。 何も大切なものはなくて、とにかく変化だけがほしかった。 この現状をぐちゃぐちゃにかき回してくれる何かをいつも求めていた。 喪失感さえ、娯楽のひとつとしか思っていなかった。」――本文より 若さの魔法がとけて、一回きりの人生の本番と向き合う日々を綴る。

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どこでもいいからどこかへ行きたい

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pha

1978年生まれ。大阪府出身。京都大学卒業後、就職したものの働きたくなくて社内ニートになる。2007年に退職して上京。定職につかず「ニート」を名乗りつつ、ネットの仲間を集めてシェアハウスを作る。2019年にシェアハウスを解散して、一人暮らしに。著書は『持たない幸福論』『がんばらない練習』『どこでもいいからどこかへ行きたい』(いずれも幻冬舎)、『しないことリスト』(大和書房)、『人生の土台となる読書 』(ダイヤモンド社)など多数。現在は、文筆活動を行いながら、東京・高円寺の書店、蟹ブックスでスタッフとして勤務している。Xアカウント:@pha

 

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