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カレー沢薫の廃人日記 ~オタク沼地獄~

2024.11.27 公開 ポスト

30年越しに知って報われたスーファミ版グルグルの評価 ~私と推しの歴史~カレー沢薫

思えば私は、未就学児時代にメジャー中のメジャーであるドラゴンボールの悟空に落ちたことを皮切りに少年ジャンプという正道へ向かい、その後これまた当時の覇権であったKOFにハマるも、推しが怒りチームだったあたりから風向きが変化、高校入学と同時に乙女ゲーという修羅道に進み、そこから長い空白の東口を出て大遊戯場刀剣乱舞に到達、FGOの土方さんに17万使い、現在元々自分のものじゃなかった猫を失い人を廃している有様だ。

 

これらの歴史については、聞かれてもないのに何回も語っていたが、最近ドラクエIII のリメイクが出たことで、私の歴史の中には「エニックス期」がはずせない時代があったことに改めて気づいた。

エニックスではなくスクエアエニックスだろう、と今回はじめてドラクエ3に触れ「ザオ」なる俺たちが知らない呪文を連呼しているキッズは思うかもしれないが、その昔、スクエアエニックスはスクエアとエニックスという二つの会社だったのだ。

よってその当時「スクエニ」などと呼ぼうものなら「公式じゃないカップリング名を表で言うのはマナー違反だ」と怒られ、それ以前にエニスク派に殺されても文句が言えなかった。

エニックスはドラクエ、スクエアはドラクエと並ぶ日本のRPGのファイナルファンタジーのメーカーである。

ドラクエとFF、エニックスとスクエアは勝手にライバル関係だと思っていたので、当時の私に海原雄山と山岡は和解するよと言ってもそんなに驚かないと思うが、スクエアとエニックスが合併すると言ったらその場で絶命して、今これを書いている私も消滅するだろう。

よって当時はビアンカ派かフローラ派か以前に、ドラクエ派かFF派かという問題があったのだが、それを問題視して語彙がドラクエとFFしかなかった私の存在が一番問題だった気もする。

私がはじめてプレイしたファミコンソフトは「ドラゴンクエストII」である、ファミコン版ドラクエII は未だに「子どもへのサディズムが強い」と評される作品であり、当時小学校低学年だった私はクリアできるはずもなかったのだが、何せキャラデザが鳥山明先生だったので、何回マンドリルに回り込まれて惨殺されようがドラクエが好きだったのだ。

その後、私も成長し、ゲームメーカーも「ゲームってクリアさせた方がいいんじゃないか?」と気づき、まともにプレイできるようになったため、本格的にドラクエキッズになるのだが、小学校高学年になったころFFにハマり「天野喜孝絵の良さがわかる小学生は自分ぐらいのものだろう」という全国に5億人はいそうな小学生の1人になった。

このように私の歴史はかなりエニックスとスクエア、そしてドラクエとFFに支えられているのだが、この二つを思い出す時、まず最初に出てくるのがFFX -2への怒り、その次に飛び出てくるのがいただきストリートでフローラを嫌味な金持ち令嬢にした悪意丸出し制作陣への怒りなため、この2つが好きな人もいると思うのでこの蓋は堅く閉ざすしかなかった。

何かを思い出す時、いい思い出を差し置いて嫌な思い出が出てくる人間は何をやっても幸せになれない。

ちなみに私はフローラ派だがビアンカ派と争うつもりはない、現実世界でも男VS女や、若VS老など、様々な対立があるが、真の敵はそれらが断絶せざるを得ないような状況を作っている政治である。

同じようにフローラの敵はビアンカではなく、30年も「フローラを選ぶ奴は人の心がない」と言われるようなシナリオを作った制作陣だ。

そんなわけで、小学校高学年からFF派になり、書店で「何か薄いのに高いFFキャラの漫画があるぞ!」と見つけて「事故る」経験をしたのもこの時期だが、ドラクエを嫌いになったわけではなく、当時はジャンプではなく、エニックスが刊行していたガンガンが愛読書であり、その後創刊し短い生涯を終えたギャグ王のうめぼしの謎を好きだった奴は全員友達だったと思っている。

当時のガンガンの看板作品はパプワくんや魔法陣グルグルなどであり、未だかつて誰も気づいてくれたことはないが柴田亜美先生の影響はかなり受けている。

このころはキャラゲーにも果敢に挑んでおり、デビルメイクライを2面で諦めた私だが、パプワくんはガッツでクリアしたし、アクションゲームをクリアできたのはこれが最初で最後である。

何故クリアできたかというと、当時キッズだったからだと思う。

これは現在お亡くなりになられている動体視力が存命であり手も震えてなかったから、という意味ではなく「経済」の問題である。

当時小学生だった私が買えるゲームは年に2.3本程度だったのだ。

しかも当時のスーパーファミコンソフトは今のゲームソフトより高く、ドラクエ6が一万を超えていたのははっきり覚えている。

1万を超えると、誕生日の5千円とクリスマスの3千円を足しても足りないため、ゲームソフトを新品で買えることはほぼなく、ほとんど中古でプレイしていた。

よって、新作を発売してすぐプレイすることは実質不可能だったのだが、時にどうしてもすぐにやりたいゲームが出てくる。

その場合はそのゲームが発売するまであらゆる資金を「温存」するしかない、11月の誕生日、12月のクリスマス、そしてお年玉がもらえる正月全てを「虚無」で過ごし、ゲームの発売日まで耐えるのだ。

待つということができない自分がこれだけ辛抱強くなれたのも推し漫画のゲームをすぐにプレイしたかったからだ、やはり推しは人間の潜在能力をないところから出す力を持っている。

そうやって買ったゲームを「そういやアクションゲームできなかったわ」などという理由で投げ出すわけにはいかないのである。

現在、小学生の時よりは自由にゲームを買うことができるようになったが、その分ゲームへの向き合い方が雑になっているとも感じる。

しかし、あの時の情熱を取り戻そうと思ったら小学生よりも困窮する必要があり、明らかにゲームをしている場合ではないため、もうあの熱中を体験することはできないのだろう。

しかし、パプワくんはアクションができなかったおかげで長時間楽しむことができた。

対照的に1日でクリアしてしまったのが魔法陣グルグルのゲームだ、こちらも我慢を重ね1万以上で発売してすぐに買ったはずである。

だが当時の私は、少なくとも内容量的に1万ではないこのゲームのことを悪く言わなかった、私が何か月も我慢して買ったゲームがクソなわけがないと思っていたからだ。

ネットにより、すぐにゲームの評判を知ることができるように現在ですら、未だにこのスーファミ版グルグルの世間評価を調べることができないでいたのだが、さっき意を決して調べたところ、内容不足感は否めないがグルグルファンなら買っていいという評価であり、クソゲーとは言われていなかった。

私があのとき1万出して買った物はクソではなかったのだ、30年越しに報われることができた。

関連書籍

カレー沢薫『人生で大事なことはみんなガチャから学んだ』

引きこもり漫画家の唯一の楽しみはソシャゲのガチャ。推しキャラ「へし切長谷部」「土方歳三」を出そうと今日も金をひねり出すが、当然足りないのでババア殿にもらった10万円を突っ込むかどうか悩む日々。と、ただのオタク話かと思いきや、廃課金ライフを通して夫婦や人生の妙も見えてきた。くだらないけど意外と深い抱腹絶倒コラム。

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カレー沢薫

漫画家。エッセイスト。「コミック・モーニング」連載のネコ漫画『クレムリン』(全7巻・モーニングKC)でデビュー。 エッセイ作品に『負ける技術』『もっと負ける技術』『負ける言葉365』(ともに講談社文庫)、『ブスの本懐』(太田出版)がある。

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