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愛の病

2025.01.24 公開 ポスト

風に言葉を書く狗飼恭子

X(旧ツイッター)に、入れなくなってしまった。

きっかけは分かっている。パスワードを変更したことだ。変更したパスワードはしっかり覚え、メモし、その1分後に入力した。それなのに変更したパスワードが正しくないと言われた。途方に暮れている。

わたしの打ち間違いか。書き間違いか。X側の何らかのトラブルか。分からない。同じアドレスの裏垢には入れているから、単純なパス間違いではないような気がしている。

 

裏垢といっても、気に入ったMVのyoutubeを貼っているだけの、裏でも何でもないやつだ。自分であとで見返せるようにメモ帳代わりに残していただけ。ついでにいえば0フォロー0フォロワーだ。

もともと、そんなに多く呟くほうではなかった。作品や書いたものを宣伝する場は必要だし、数少ないわたしの活動を楽しみにしてくれている人たちと繋がれているような気分でいられるのは嬉しかった。リアルでは疎遠になってしまった友人とも、X上ではまだ親しいような錯覚を覚えることもできた。

ネットでしか知りえないニュースや情報や知識なんかも重宝した。観逃さずに済んだ映画もあるし、新しく知った面白い小説もあった。時短でできる美味しいご飯なんかが流れてきたときは真似もした。切り抜きのお笑いを見て笑ったり、猫の画像に癒されたり。

それなりに楽しんでいたと思う。

でも入れなくなってしまった。わたしがこつこつフォローしたりされたりした結果できあがった居心地のいいTLは、わたしの裏垢にはない。0フォローだから、ただただ世の中でバズっただけの情報がさらさらとやってくる。そこにはなんの思想もなく、なんの嗜好もなく、なんの志向もない。眺めていて楽しくない。

どうしようかなあ、と考える。

なんかいろいろどうにかすればきっと元に戻れるのだろうけれど、なんかいろいろどうにかするのがとてつもなく面倒くさい。面倒くさいことをするのが嫌すぎる。嫌すぎてそのまま放置している。

昔、ある演出家が、

「演劇とは風に書いた墓標である」

と言っていた。

演劇は、どんなに心を込めて考えて演じてつくっても、それはただ流れていくものである、という意味だ。

それを初めて聞いたときわたしはまだ高校生で、その言葉にとてつもなく胸を打たれた。その、芸術というものの残酷な儚さに。最近では演劇も記録メディアに残され映画館で流されたりソフト販売されたりしているから、もう風に書かれたものではなくなってしまった。

Xも、以前は「風に書いた言葉」だったような気がする。すぐに流れて消えてもう戻らないもの。世界に残りようがないもの。今ではデジタルタトゥーなんて言われて、一生消えないと言われてしまっているけれど。

このエッセイが公開されるまでタイムラグ一か月程度。それまでにわたしはふたたび呟けるようになっているのだろうか。

誰か、わたしを探しているだろうか。

わたしが呟かないことで誰か困るんだろうか。

いったい誰に話しかけているんだろうか。

結局わたしもいつだって、風に言葉を書きつけているだけなのかもしれない、そんなふうに思いつつ。

関連書籍

狗飼恭子『一緒に絶望いたしましょうか』

いつも突然泊まりに来るだけの歳上の恵梨香 に5年片思い中の正臣。婚約者との結婚に自 信が持てず、仕事に明け暮れる津秋。叶わな い想いに生き惑う二人は、小さな偶然を重ね ながら運命の出会いを果たすのだが――。嘘 と秘密を抱えた男女の物語が交錯する時、信 じていた恋愛や夫婦の真の姿が明らかにな る。今までの自分から一歩踏み出す恋愛小説。

狗飼恭子『愛の病』

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狗飼恭子『ロビンソン病』

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愛の病

恋愛小説の名手は、「日常」からどんな「物語」を見出すのか。まるで、一遍の小説を読んでいるかのような読後感を味わえる名エッセイです。

 

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狗飼恭子

1974年埼玉県生まれ。92年に第一回TOKYO FM「LOVE STATION」ショート・ストーリー・グランプリにて佳作受賞。高校在学中より雑誌等に作品を発表。95年に小説第一作『冷蔵庫を壊す』を刊行。著書に『あいたい気持ち』『一緒にいたい人』『愛のようなもの』『低温火傷(全三巻)』『好き』『愛の病』など。また映画脚本に「天国の本屋~恋火」「ストロベリーショートケイクス」「未来予想図~ア・イ・シ・テ・ルのサイン~」「スイートリトルライズ」「百瀬、こっちを向いて。」「風の電話」などがある。ドラマ脚本に「大阪環状線」「女ともだち」などがある。最新小説は『一緒に絶望いたしましょうか』。

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