X(旧ツイッター)に、入れなくなってしまった。
きっかけは分かっている。パスワードを変更したことだ。変更したパスワードはしっかり覚え、メモし、その1分後に入力した。それなのに変更したパスワードが正しくないと言われた。途方に暮れている。
わたしの打ち間違いか。書き間違いか。X側の何らかのトラブルか。分からない。同じアドレスの裏垢には入れているから、単純なパス間違いではないような気がしている。
裏垢といっても、気に入ったMVのyoutubeを貼っているだけの、裏でも何でもないやつだ。自分であとで見返せるようにメモ帳代わりに残していただけ。ついでにいえば0フォロー0フォロワーだ。
もともと、そんなに多く呟くほうではなかった。作品や書いたものを宣伝する場は必要だし、数少ないわたしの活動を楽しみにしてくれている人たちと繋がれているような気分でいられるのは嬉しかった。リアルでは疎遠になってしまった友人とも、X上ではまだ親しいような錯覚を覚えることもできた。
ネットでしか知りえないニュースや情報や知識なんかも重宝した。観逃さずに済んだ映画もあるし、新しく知った面白い小説もあった。時短でできる美味しいご飯なんかが流れてきたときは真似もした。切り抜きのお笑いを見て笑ったり、猫の画像に癒されたり。
それなりに楽しんでいたと思う。
でも入れなくなってしまった。わたしがこつこつフォローしたりされたりした結果できあがった居心地のいいTLは、わたしの裏垢にはない。0フォローだから、ただただ世の中でバズっただけの情報がさらさらとやってくる。そこにはなんの思想もなく、なんの嗜好もなく、なんの志向もない。眺めていて楽しくない。
どうしようかなあ、と考える。
なんかいろいろどうにかすればきっと元に戻れるのだろうけれど、なんかいろいろどうにかするのがとてつもなく面倒くさい。面倒くさいことをするのが嫌すぎる。嫌すぎてそのまま放置している。
昔、ある演出家が、
「演劇とは風に書いた墓標である」
と言っていた。
演劇は、どんなに心を込めて考えて演じてつくっても、それはただ流れていくものである、という意味だ。
それを初めて聞いたときわたしはまだ高校生で、その言葉にとてつもなく胸を打たれた。その、芸術というものの残酷な儚さに。最近では演劇も記録メディアに残され映画館で流されたりソフト販売されたりしているから、もう風に書かれたものではなくなってしまった。
Xも、以前は「風に書いた言葉」だったような気がする。すぐに流れて消えてもう戻らないもの。世界に残りようがないもの。今ではデジタルタトゥーなんて言われて、一生消えないと言われてしまっているけれど。
このエッセイが公開されるまでタイムラグ一か月程度。それまでにわたしはふたたび呟けるようになっているのだろうか。
誰か、わたしを探しているだろうか。
わたしが呟かないことで誰か困るんだろうか。
いったい誰に話しかけているんだろうか。
結局わたしもいつだって、風に言葉を書きつけているだけなのかもしれない、そんなふうに思いつつ。
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愛の病
恋愛小説の名手は、「日常」からどんな「物語」を見出すのか。まるで、一遍の小説を読んでいるかのような読後感を味わえる名エッセイです。