
わたしの住む山の上の家には個人ポストがない。その一帯の郵便物はすべて管理人室に届けられるシステムになっている。
その集まった郵便物を、管理人さんが各家庭ごとに仕分けしてくれる。仕分けされた郵便物は、管理人室にほど近い専用の棚にそれぞれわけて入れられる。だからわたしたち住人は、その自分専用の棚に一日一回、郵便物を取りに行く。
わたしの家からその郵便物の棚へは、建物を出て外を通り徒歩三分程度の距離である。外出したときはついでに取りに行けばいいが、そうじゃない日は郵便物のためにだけ家を出ることになるのでほんの少しだけ億劫だ。特に、こんな寒い時期には。
配達の人が何時に来るかは分からないし、管理人さんが何時に仕分けするかもわからない。確認に行く手間を惜しむから、郵便棚へ行くのはだいたい夜になる。着替えるのも面倒なので部屋着の上にもこもこにコートを羽織り、鍵と携帯電話だけ持って家を出る。
避暑地にある別荘地だから、冬にはほとんど人がいない。家々はほぼ空き家で明かりもつかず、人の気配もない。地域一帯、眠っているように静かだ。特に夜はわたし以外の生き物がすべて息絶えてしまったように思える。そんな中、一人歩いて郵便棚へ向かう。息が白い。気温は零度を下回っているだろう。
空に星が見える。
冬の夜は常に静かだ。霧が出ていることも多く、そうなると5メートル先が良く見えない。
ふいに、今、ゾンビが出てきたらどうしよう、と思う。
リアルに考えれば熊との遭遇のほうがよほど確率は高いのに、いつもいつもゾンビと会うことを想像してしまう。
霧に紛れ、ゾンビが向こうからやってくる。
そうしたらまず左手にあるこの携帯を投げつける。右手でこぶしを握り、鍵を指の間に挟んで簡易武器を作る。そうしてこの右手で頭部を殴りつける。ゾンビの頭は柔らかいから、これで充分えぐれるはず。頭部を破壊しないとゾンビが死なないというのは常識である。数年間空手を習っていたことがあるので正拳付きには自信がある。でも背の高いゾンビがいたら頭までこぶしが届かないかもしれない。歯に手を当ててしまわないよう気を付けないと。噛まれてしまったらわたしもゾンビウィルスに感染してしまうだろう。そうしたら家に帰れなくなる。大好きな人にももう会えない。それは嫌だ。もし背が高いゾンビだったら脚で蹴り飛ばそう。あんまり自信がないけれど。大抵のゾンビは動きが鈍いからそのすきに逃げるのでもいい。スピード系のゾンビもまれにいるから、そのときは、とにかく見つけた瞬間建物に逃げ込む。とにかくまず距離をとらなきゃ。
ゾンビはどうして生きている人間の脳を食べたがるのだろう。死んだ者には栄養は不要なはずだ。純粋な食欲なのか。死んでも欲望は残るのか。
もし現れたゾンビが知り合いだったらどうしよう。大切な人だったらどうしよう。わたしはその人を怖いと思うのかな。
そんなことを考えながら郵便物の棚を見る。だいたい連絡はメールで来るから、郵便が届くことはそんなにない。大抵はまた手ぶらで帰る。
ほの暗い道を、ゾンビを警戒しながら、自分の家へ。
星が綺麗だな、なんて感想をその間に挟みながら。
ゾンビが集団で来た場合の対処法はまだ考えていない。
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愛の病

恋愛小説の名手は、「日常」からどんな「物語」を見出すのか。まるで、一遍の小説を読んでいるかのような読後感を味わえる名エッセイです。