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近著『しずかなパレード』は、東京から長崎県佐世保市の老舗和菓子店に嫁いだ晶が、好きな人がいると夫に告げ、その男の別荘へ向かう途中で失踪することから始まる長編作だ。
残された夫の伸伍と当時4歳だった娘・結生。関係のあった脚本家の武藤とその妻・麻理恵など、周囲の人々が晶の「不在」を心に抱えたまま生きた12年もの歳月が綴られていく。晶は生きているのか、だとしたらどこにいるのか。なにがあったのか、帰ってくるのか。割り切れぬ感情に揺れ動く登場人物たちの日々を描いた作者・井上荒野さんの日常とは。(取材・文 藤田香織 撮影・古里裕美)
60歳をすぎて、山に家を新築して
――ここ、茅野市街から少し離れた別荘地には、いつからお住まいなんですか?
一昨年の3月に引っ越してきたので、そろそろ2年になりますね。
――こちらの前にも、長野県内にお住まいでしたよね。東京からどのような経緯でこちらに越して来られたのでしょう。
東日本大震災のちょっと後ぐらいから、当時住んでいた東京とは別にもうひとつ家があったほうがいいな、となんとなく思っていたんですよね。当時は猫を2匹飼っていたので、また地震があったときに連れて避難できるような場所が小さくてもいいから欲しいなと。
小淵沢にご飯の美味しいペンションがあって、夫と遊びに行ったとき、東京から車で2時間ぐらいだし、この辺もいいねってなって探してみたら、池のほとりに建ってる別荘が見つかって。すぐに決めちゃったんですよ。2016年のことです。
最初は別荘として通っていたんですけど、2週間滞在して東京帰って、みたいに行ったり来たりしているうちに、だんだん帰るのが嫌になって(笑)。それから数年経ったとき、車で15分くらいのスーパーへ行く道の途中で、畑や田んぼの向こうに八ヶ岳が見える景色を、すごく綺麗だと感じた日があったんです。いつも通っている道の、見慣れた場所なのに、急に強くそう思ったんですよね。で、そのときに、もうずっとこっちにいてもいいんじゃないかという気持ちになった。
――リフォームされた別荘に住み続けるのではなく、こちらに移られたのは、なにかきっかけがあったのでしょうか。
その池のほとりの家はもともと夏の別荘として建てられていたから、リフォームはしても冬すごく寒かったんですよね。あと、その工事をお願いした建築プランナーの女性と仲良くなったのも大きかった。その彼女のパートナーが基礎工事の専門家で、私と夫と4人で一緒に食事をする機会なんかも増えて。「絶対、俺たちが家建てたいから土地探しましょうよ」なんて言われることもあって、まあ最初は笑ってたんですよ。もうそのとき私は60歳を、10歳年上の夫は70歳を過ぎてて、いやいや、そんな、この歳で新築の家とか、何年住めるかわかんないじゃん! って。でもだんだんその気になってきて、その気になったら信用できる人がいると心強くて話が早かった。
それで、ここの土地を夫が見つけてきて、まだ木もたくさん植わっていたし、斜面なんだけど、すぐ下に川が流れていて「いいじゃん、ここ!」ってなって、あとは友人ふたりにお任せしたんです。
――家を建てるにあたって、これだけは譲れない、ということはありましたか?
まずひとつは、私、変な工夫がしてある家が嫌いなんですよ。よくある階段の下が物入になってるとか、こまごました隠し収納もいらないし、小上がり畳スペースも絶対にいらない。だから工夫はしないでってお願いしました。あと、合板とかビニールクロスの壁も嫌だということと、書庫を作って欲しいとは伝えたぐらいですね。
あ! もうひとつ。私、電気マニアというか、照明好きなので、集中管理のライトとかじゃなくて、ひとつひとつ、好きな照明がつけられるようにしてもらいました。
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朝食をここでとることも
――地方とはいえ、住宅街に住むのではなく別荘地に定住することを選ばれたのは、なぜでしょう。
まず、住宅街や管理の行き届いた綺麗な別荘地に住むなら、東京でいい。その点、ここは別荘地とはいえ、ワイルドでいいなと思ったんです。今は管理会社が変わって多少頑張ってくれているけど、別に道なんて舗装されてなくてもいいし、この荒々しさが好きなんですよ。
――『しずかなパレード』の武藤の別荘も物語のなかで重要な場所ですが、最近の井上さんの小説には、八ヶ岳や別荘地のエピソードがよく出てきます。『猛獣ども』(春陽堂書店)は、まさに別荘地が物語の舞台になっていますよね。実際には知らない場所や、架空の世界を小説で書かれる作家さんも多いですが、井上さんのなかでは、知っている場所を描くということは大切なのでしょうか。
仲のいい江國香織さんなんかが、海外を舞台にした小説をよく書いているので、かっこいいなと思って行ったこともないパリを舞台にしたこともあるんですよ。Googleearthで見て風景なんかを頭に入れて。その時は、うんまあ書けるもんだな、と。でもそれは、短篇だったからで、長編はやっぱり難しい。自分としては長編ほど細部が大事になってくる。
なのに私、あまりいろんなところに行かないので、知っている場所が少ないんですよ。だから今までも、東京の自分が住んでいた近辺と、みんなでご飯を食べに行くような街を書く事が多くて、最近は別荘地を知り始めたのでそれを書いている、みたいな。別荘地って、外から見るイメージと自分が住んでみた実感とでは全然違うんですよね。住んでみてわかった隣近所との空気感とか、目に入る風景なんかも住んでみないとわからないし、今はそれを書くのが楽しいんだと思います。
――『しずかなパレード』の舞台になっている佐世保は、ご両親の出身地ですね。
そうです。母方の実家の和菓子屋は今もあって、いとこが店主になってて、私も何度か行ったことがあって、ほかの街よりちょっとは知ってる(笑)。方言もわりとネイティブに身についてるし。
――小説のなかでも、佐世保の老舗和菓子店の若旦那、という立場にある晶の夫・伸伍が話す方言が物語にとても作用しているように感じました。
そう、方言ってやっぱり上手く使うとすごく効果があるんですよね。うちの父(井上光晴)の小説なんかは、ほぼ佐世保や長崎弁で書かれていて、あれが全部東京の言葉でやれっていわれたら、難しいものがあったと思います。
言葉はやっぱり風景の一部だから、それに寄与するんでしょうね。林芙美子賞を取った朝比奈秋さんの「塩の道」(朝日文庫『私の盲端』所収。文庫解説は井上荒野さん)は東京の医者が東北の寒村に赴く話で、医師の彼は東京弁で話すんだけど、土地の人たちの言葉がものすごく場所に合ってる、と印象的だった。地方のことを書いても、あまり方言を使わない小説もあるけど、使うことの効果って大きい。
別荘地で夫婦ふたりだけで暮らすということ
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――そろそろ2年が経つということですが、この別荘地での生活はいかがですか?
毎日8時か9時くらいに起きて、まず朝ご飯。コーヒーを淹れて、近くにある美味しいパン屋さんで買ってきたバゲットなんかを食べます。田舎ってパン屋さん多いんですよ。あとキャベツとソーセージを炒めたり。あったかいときは外のテラスで食べたりも。そのあと
別荘地の散歩に行きます。東京にいたときは1日50歩くらいしか歩いてなかったりもしたので、意識して歩く。でも、冬は地面が凍るし、ここで転んで骨とか折ると終わりだから危ないんですよね。そんなときは、置いてあるトランポリンで遊んだりします。
私ほんっとうに運動しないんですよ。もともとしなかったのに、年とってきて更にしなくなった。でも散歩は楽しい。自分がこんなことを言う人になるなんてびっくりなんだけど、歩いていると昨日咲いてなかった花が咲いてたり、その花の名前を覚えたり、遠くの山の色が変わってたり、そんな小さなことに喜びがある。
――別荘地の小さな変化にも敏感になりますね。
そうそう。あと、散歩で夫の病気が判ったこともありました。坂道をのぼっていて、この体力のない私がひょいひょい上がれるのに、夫は途中で休まないと息が切れるみたいな感じになって。それはおかしいよ、って検査したら肺気腫みたいなものになりかかっていたんです。で、吸っていた煙草も禁煙外来に通ってあっという間にやめて。そんなに簡単にやめられるんだ、って(笑)。
――どれくらいの時間、歩かれるんですか?
30分くらいかな。でも、起伏が激しいから時間のわりにはハードです。帰ってきたらお昼は昨日の残りものとか、夫は好きなラーメン食べたりして、6時ぐらいまでそれぞれ仕事して。買い物に行くときは車での往復入れて1時間半ぐらい。夜ご飯は、いま週に3日夫が作って4日私が作るから、自分が作るときは6時から作り始めて、彼が作るときは仕事したり本読んだりしています。夜ご飯が7時か7時半。夫は下戸だけど、私は大体お酒飲んじゃうから、飲みながらだらだら食べて、一緒に片づけて、Netflixとかで海外ドラマや映画を2時間ぐらい観たら、解散(笑)。
――Instagramで見る井上さんの「ご飯」は、シンプルに見えるのにゴリゴリに美味しそうです。毎日の献立は栄養面など意識されていますか?
買い物に行って、この辺で採れたちょっと珍しい野菜なんかがあれば、食べてみたいと思うし、お魚も能登から入ってくるので東京では見かけないものがあったりするんですよね。知らなくて興味は引かれるし、野菜も魚もやっぱり新鮮だと美味しそうだし、実際美味しい。今なら新豆もいっぱい出ていて、よく買います。インスタは、これ美味しかった! っていうときに写真を載せるから、美味しそうに見えるんだと思う。食べるのは好きだけど、料理はそれほど好きじゃないんですよ、実は。
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――以前、須賀さん(井上さんの夫)が豚しゃぶをするのに生姜焼き用の厚い肉を買ってきて、それにこだわりがなく、井上さんが悲しくなったというインタビューを読んだ記憶がありますが、最近は、インスタにあがる須賀さんのお料理も、とても美味しそうです。
レシピを見てきっちり作るので失敗は減ったけど、ある材料で何かを作るような応用力はまだまだですねぇ。あっさりしたものが食べたい、ってリクエストすると酢豚が出てきて「だってお酢が入ってるし」って言われたりする。考え方が根本的に違う(笑)。今日はイタリアンだーってなって茄子とトマトのカポナータみたいなものと、パスタは茄子のトマトパスタだったりして、これ一緒じゃん! ひとつ作ればよくない? みたいなこともあったりはします。
それでも、週に3回、食事を誰かに委ねられるって素晴らしいと思うんですよ。もちろん自分で作ったほうが自分の好みのものが出来るんだけど、作ってもらえるのは本当に助かる。週3回作るうち、とんかつと天婦羅はどっちかひとつにして欲しい気持ちはあるけど。
――さきほど、最初は猫を飼っていたこともあって別の拠点を持つことを考えた、とお話がありましたが、ふたりだけでの別荘地暮らしで、また猫を飼いたいという気持ちになったりすることは……。
それはかなり考えましたよ。2匹いた猫も、最後まで残った松太郎が去年の5月に亡くなってその寂しさがまだ全然癒えないんです。猫をもらってくれませんか? って言われたりもしたんだけど、マツは24年近く生きたから、それが20年だとしても私は83歳、夫は93歳になっちゃう。そんな歳になってたら動物病院に連れて行くのだって難しいじゃないですか。もちろん好きだから、じゃあ子猫じゃなくて保護猫を飼おうかとかも考えたんだけど、もう一回あの看取りをやるのは、もう無理。よくペットロスの話も聞いてて、みんな経験してることだし、耐えられるはずって思ってたけど、実際にはすごいダメージでしばらく眠れなくなっちゃって、体重も人が引くほど痩せちゃった。だからあれをもう一回やったら本当に私が死んじゃうかもしれない。
ここにふわふわな生き物がいたらいいな、とは思うけど、どこかにまだマツがいるような気もして、なかなか難しいかな。
「これから」のこと。そのための今年の「目標」
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――確かに。子猫を飼うとなると、これから先の20年を考えないわけにはいきませんよね……。個人的な話になりますが、私は50歳を過ぎて、こうあらねばならぬ、あるべきやもしれない、といった執着を手放すというか、縛られていたものから解放されたな、という自覚があるのですが、井上さんはご自身の歳の取り方というか「この先」のことで、なにか思うことはありますか?
私は女の子だからこうしなさいとか、いくつまでに結婚しなさいとか言われない、一般的な価値観がない家で育ったからなのか、今までも縛られるものがなかったんですよね。
だから年を取ったから楽になったとか自由になった、という実感はなくて、歳をとったから楽に生きたい、とも思わない。私は歳を取るほどアグレッシブに生きていたくて。なんかねぇ、歳を取ったって、中身の欲望なんかも一緒に老いて損なわれていくとは思わないんですよ。体力的に出来ることが減っていけばいくほど、心のなかにいろんな欲望みたいなものは残る気がする。それを隠す必要はないし、歳を取れば取るほどそういう欲望に忠実に生きていきたいなっていうのが私の理想なの。『照子と瑠衣』(祥伝社)や『キャベツ炒めに捧ぐ』(ハルキ文庫)みたいに、自分のなかで「やりたい放題老女もの」って名付けてるジャンルがあって。
これから年寄りを書くとしたら、傍目には枯れていってるのかもしれないけど、心のうちはそうじゃなくて、いけいけどんどんな人たちを描きたいと思ってる。
――あぁ、そうか、そうですね。「やりたい放題老女もの」は、女として、妻として、母としてといった呪縛に捕らわれている読者の救いにもなっているように感じます。「共感」ではないかもしれないけれど、井上さんの小説の大きな魅力です。
共感、されにくいんですよね(笑)。自分の本のレビューでも、登場人物の誰にも共感できなかった、とか書かれているのを見かけます。でも、その方がいいって思っちゃうんですよね。だって、共感するってことはもうその人が知ってることが書いてある、ってことじゃないですか。それだったら小説なんて読まなくてもいいじゃんって思うんですよ。
それよりも、こんな人がいるんだ、とか、そんなのあり得なくない? とか思ってもらったり、自分だったらどうだろう、こんな道もあり得なくはないのか、って考えてもらえたほうが嬉しいし、自分が読むときもそういう小説が好きなんです。時間が経って読み返したら、また違うことに気づけたりもするような小説。
――読書好きとしては、そうした井上さんの小説を、まだまだこれからも読み続けていけることが楽しみになります。では最後に、今年の目標、あるいや野望があれば教えてください。
自動車の運転免許を取りたいです。
少し前に、ふたりで別々の病院へ行く必要があって、車で上諏訪にある夫の病院へ寄って、私はそこから下諏訪のクリニックへタクシーで行って。夫の診察が終わり次第、ピックアップしてもらう予定が、いろいろあって予定どおりにはいかずに、それはもう大変なことになっちゃって。
夫は免許を持っていて、お酒も飲まないので、車が必要なときは、いつも運転してもらっていたんだけど、これから彼が運転できないときも来るんだって急に意識したんですよ。今まではそりゃ病気になることもあるだろうけど、それはいつか、であって実感としてなかった。でもそうなると、今の暮らしは車がないと最寄りの駅にも行けないわけで、これはもう免許を取るしかないと決意を固くしたんです。
――確かに。車の免許はあるにこしたことはないですよね。病院だけでなく、いつでも、どこにでも、ひとりで行けるのは大きいかと。
雪の時期になると道が……ってなっちゃうんだけど、この春には絶対取る! という目標。前にも免許取るって騒いでいたことがあって、そのときは角田光代さんとかに「やめてやめて絶対やめて!」って言われてたんだけど、今回の話をしたら「うん、そうだね。取りなよ」って同意してもらいました。ふつうだったら免許返納を考えだしてもおかしくない年齢だけど(笑)。
――教習所は通える距離にあるんですか?
ない。教習所の乗合バスみたいなのもあるんだけど、別荘地までは来てくれないの。なので、夫の車で送ってもらわないとなんですけどね(笑)。
【おまけ・薪ストーブで美味しい焼き芋を作っていただきました!】
しずかなパレード
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私はあの人と付き合うとるとよ。
あの人を好いとると。
そう言い残して、一人の女が姿を消した。
失踪したのか、死亡したのか――。
圧倒的な「不在」がもたらす感情を炙り出す、
不穏でミステリアスな物語。
誰にでも自分だけの神様がいるのかもしれない。
だとすれば、その神様は私の味方であるはずだ。
東京から佐世保の和菓子店に嫁ぎ、娘を育てながら若女将として生きる、晶。誕生祝いの夜、夫から贈られたエルメスのバングルを手首に巻きながら、好きな人がいる、その人のところへ行くと告げ、いなくなった。残された夫・伸吾の怒りと嘆き、愛人・武藤の不審と自嘲、捨てられたと感じながら成長する娘・結生……。「不在」の12年間を、さまざまな視点から綴る長編小説。