
1980年代末から90年代にかけて、日本のお笑いマンガでは、「不条理ギャグ」というジャンルが一世を風靡しました。
具体的には、相原コージの『コージ苑』と吉田戦車の『伝染(うつ)るんです。』の大ヒットが発火点となり、そのあとに、中川いさみや和田ラジヲなどが続きました。
今回、ご紹介する榎本俊二も、『GOLDEN LUCKY』で、不条理ギャグを担う重要なマンガ家となりました。
その後も、『えの素(もと)』で中堅作家として知られるようになるのですが、持ち前の純粋なナンセンスに加えて、下ネタや暴力など、エログロ色が強いこともあって、一般的な人気の獲得には至っていませんでした。
ところが、近作『ザ・キンクス』(講談社)は、不条理な超現実や悪趣味な下ネタを封印して、家族ものに挑戦しています。これがまた、素晴らしい出来栄えなのです。
英国の有名なロックバンドと同じ題名は、「錦久(きんく)家の人々」という意味で、小説家の錦久隅夫(すみお)、妻の栗子(くりこ)、高校生の娘の茂千(もち)、小学生の息子の寸助(すんすけ)の4人家族が主人公です。
父母が奇人で、子供たちが繊細な良識人という古典的なコントラストに基づいた非常に巧みなキャラクター構成です。これに、栗子の両親が加わって、毎回16ページで、様々な出来事を起こしていきます。
ちなみに、16ページという枚数は、4コマとか、4~6ページの不条理マンガを得意とする榎本俊二にとっては、手法上の冒険だったと察することができます。しかし、この冒険に、作者は見事に成功しました。
ただし、家族ものといっても、そこは榎本俊二のこと、シュールでマニアックな味わいは捨てず、読者があっと驚くような奇想を交じえて、この家族の日常生活の冒険を描きだします。
例えば、一部のマンガファンのあいだで話題を呼んだ第1作は、妻の栗子が高校の同窓会に出たことをきっかけに、夫の隅夫が、栗子の高校時代の演劇部のOB会のために芝居の脚本を書き、それを栗子と同窓生たちが上演するという話です。
この芝居で、世の中に充満する呪いや怨みを祓う言葉として「うれいらずたのぼー」というセリフが連呼されるのですが、その言葉の意味と、オチのつけかたには、唖然とさせられると同時に、深く感動させられました。
ネタバレがほとんど不可能なので(言葉と絵が不可分に絡みあった複雑な仕掛けをもっているので)、どうか実物を読んでみてください。
そして、こうした大胆な奇想と巧みなオチから滲みでてくるのは、家族への情愛と、人間への信頼なのです。その感動に嘘くささがないことも特筆しなければなりません。
さらに、毎回、「ザ・キンクス」という題名が出てくる1ページ、もしくは見開き2ページの視覚的アイデアの斬新さには、目を瞠らされます。よくもまあ、こんなに独創的な絵柄を、こんなに丹念な手仕事で描きあげたものだと、心から感心するほかありません。
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