2014年11月に急逝した高倉健さんと、18年間にわたって書簡のやりとりを続けてきた著者。ときには教鞭を執る大学での講義に健さんがお忍びで参加したりと、互いを大切な友人として温かな心の交流を続けてきた。
そんな二人の書簡、とくに単なる通信の手段を超えて人生・人間の作法を教えてくれる健さんからの手紙を軸に、名優の素顔に迫った本書。
数々の感動的なエピソードの中から、健さんの想いが伝わる話をダイジェストでお届けします(全4回)。
私は健さんのことを少しでも書いた新著はほとんど贈っていました。健さんも自ら書き下ろした本のほか、健さんのインタビューをまとめたライターの本なども贈ってくれました。そして互いにそのお礼と感想の手紙のやりとりを続けました。
健さんの本で、とりわけずしりと重い一冊は、『想 sou』(集英社)というタイトルのフォトエッセイ集です。二〇〇六年十一月の出版で「俳優生活五〇年」と副題があり、帯には「映画俳優初 平成十八年度文化功労者顕彰」とあります。
この『想 sou』に、健さんは「単騎、千里を走る。」(二〇〇六年)での中国ロケにふれて、こんな一文を載せています。
想いを届ける心がどういうものか、このロケで教えられた。僕なんかすぐ物を買って送って、それで終わりにしてしまいがちだ。何が美しいかということ、お金ではない、力でもない、まして物でもない。人を想うことがいかに美しいか。改めて教えてくれた監督やスタッフと出会えて、ロケの間、僕は幸せだった。
「単騎――」は中国の名監督であり、世界の映画界を代表する巨匠、監督の作品です。
文化大革命後の一九七八年に中国全土で公開された健さん主演の日本映画「君よ憤怒の河をれ」(一九七六年、佐藤純彌監督)は、中国人約十億人の心をつかんだと語り継がれていますが、張監督も感動して、いつか健さんを主役に撮りたい、と思い続けていたそうです。
物語は中国の仮面劇の研究者である病床の息子に代わって、健さんする漁師の父親が、雲南地方の仮面劇「単騎、千里を走る」をビデオに収めようと単身、中国に渡ります。雲南地方の自然と文化やロケ中の善意あふれる中国の人との交流は、映画でもたっぷり描かれています。
この「単騎――」から六年のブランクがあって、健さんは「あなたへ」に出るのですが、その公開前の私との対談でこんなやりとりもありました。
高倉 なぜ長い間仕事をしなかったのか……。俳優になって五十数年がたって、幸運なことに、僕は日本で一番高いギャランティーを取る俳優になったりして、えらそうなことを言うようになっていました。でも中国で、いろいろな出会いがありましてね。
中国で撮影中、僕の部屋の担当になってくれたヤンちゃんという女の子がいました。少数民族の族の子でね、かわいがっていたんです。旧正月も近い二月、いよいよ撮影が終わるって頃になって、ヤンちゃんが中国語で何やら訴えてきた。通訳に聞いたら、「私のお父さんとお母さんが、娘を大事にしてくれた人なんだから、今度のお正月に三年育てた豚を絞めて、ぜひ健さんにごちそうしたい、と言っている」というのです。
驚きました。こんな心のこもった招待なんて、生涯受けたことはないと思いました。ところが周囲は「行かないほうがいい」というふうに、心配そうに見ている。なんだか、日本は、いろいろなものを失ってしまったんだなあ、と思いました。
近藤 日本人が失ったものを、中国で見つけたのですね。
高倉 助監督のさんからは、日記をいただきました。最初のページには「健さんのために書いた日記です」と書かれていました。撮影中の僕の行動の記録でした。時には、あまりに疲れて二日間書けず、「健さん、申し訳ありません、疲れて書けませんでした」などと書いてある。眠い目をこすり、疲れた体にむち打って、書いてくれたんですね。撮影の最後には、スタッフ全員から寄せ書きもいただきました。
想いを届けるということがどういうことなのか、中国のロケで教えられました。日本では、お礼といえばモノを買っておしまい、というのが当たり前なのに。もう参りました、って感じです。そんなことをつらつらと考え始めたら、ぱたっと仕事ができなくなっちゃったんですね。
「単騎――」が公開された翌年七月に拙著『話術いらずのコミュニケーション』(宝島社)が出版されました。「聞かせる話ではなく、伝わる話をしよう」をテーマにした本ですが、その中で健さんの『想 sou』を読んだ感想と併せて次のようなことを書きました。
タイトルの「想」というのは優しさを表しているのだとぼくは思います。優劣という言葉があります。「優」は「劣」の反対ですから、優しさというのは強さでもあります。生きてきた中での強さです。その強さであり優しさが人を想う力になる。人生とは優しさの総量を増やしていく道のりだと思います。その遠く長い道のりを行く中で人は優しさを自分のものにしていく。それは人を「想う」ということ抜きにはあり得ないでしょう。
高倉健という生き方
以後、健さんとの間の手紙には「想」とか「優」といった言葉がよく交わされた気がします。
次に掲げる手紙もそんな一通です。「拝復」とありますから、やはり「想」や「優」についてしたためた私の手紙への健さんからの返信でしょう。
近藤 勝重 様
拝復
近藤さんのお人柄が滲んでいて、
こちらがじ~んと暖かくなるお手紙、
大変嬉しく拝読させていただきました。
お手紙にありました、
“人を想うことの量が人生なんでしょうか。”
という一文、
心に刻ませていただきました。
くれぐれもご自愛のうえ、
良き新年をお迎えください。
不一
2008年12月24日
高 倉 健
〝人を想うことの量が人生なんでしょうか〟と私は問いかける書き方をしましたが、健さんはすでにそのとき、そういう人生を歩いていたのです。それは「単騎――」の役柄を見れば、察しがつくように思います。そういう意味でも、「単騎――」は高倉健という生き方を印象付けた作品ではなかったでしょうか。
*第3回は3月2日(月)更新予定です