
2014年11月に急逝した高倉健さんと、18年間にわたって書簡のやりとりを続けてきた著者。ときには教鞭を執る大学での講義に健さんがお忍びで参加したりと、互いを大切な友人として温かな心の交流を続けてきた。
そんな二人の書簡、とくに単なる通信の手段を超えて人生・人間の作法を教えてくれる健さんからの手紙を軸に、名優の素顔に迫った本書。
数々の感動的なエピソードの中から、健さんの想いが伝わる話をダイジェストでお届けします(全4回)。

健さんは「幸福の黄色いハンカチ」のロケ中、山田洋次監督に「愛するということはどういうことでしょうか」と尋ねたそうです。
「愛するということは、その人と自分の人生をいとおしく想い、大切にしていくことだと思います」
監督のその言葉は、健さんの『あなたに褒められたくて』の中に紹介されています。
山田監督のおっしゃる愛は、自分もその人も同じ想いで人生の時間を心に刻んでいる、と解釈できるでしょうか。
やっと着いた。やっと会えた。そしてその日に、変わらぬ想いを確認できたとすれば、それまでの時間は愛と感動を呼ばずにはおかないでしょう。「幸福の黄色いハンカチ」の喜びに震える数えきれないほどのハンカチは、そんな想いの深さと心の波動を伝えて余りありました。
それでは「幸福」あるいは「幸せ」ということについて、健さんはどんな想いを抱いていたのでしょうか。
『想 sou』で「単騎、千里を走る。」のロケ中は「毎日が幸せの連続だった」と書いていますが、「幸せとは?」に作家のテネシー・ウィリアムズがしばらく考えたあとこう答えた、とやはり『想 sou』で紹介しています。
「あるとき感じる、人と人との優しさ」
あるテレビ番組でインタビュアーに質問されての言葉だったそうです。
そういう幸せは、健さんからの手紙にもよく感じられます。ただし今回紹介の手紙はと一緒に届けられたものです。
健さんもパクッと食べた最中の美味に幸せを感じて、近藤さんにも、とこんな一文を書き添えて贈ってくださったのだと思います。
近藤 勝重 様
梅雨明けが待たれる頃となりました。
ペンギンレター、嬉しく拝読いたしました。
次回作決定、難航中です。
応援団長にご依頼できるよう、
確かな目を持ち続けたいと思っております。
最近出会った幸せを感じる最中を
届けさせていただきます。
お口に合えば嬉しいです。
2013年7月2日
高 倉 健
薄く焼いた皮の二片の風味とがとろけ合うとき、いやほんとに幸せを感じました。
ところで文面の「ペンギンレタ—」ですが、私は健さんの書かれた『南極のペンギン』という本が好きで、健さんにはよくペンギンを撮ったポストカードを出していました。
と書いて、思い出すのですが、健さんが「あなたへ」をはじめとする五十有余年の映画俳優としての活躍で菊池寛賞を受賞したときは、パンダがマフラーをなびかせて赤のオープンカーに乗っているポストカードでした。これは健さんも喜んでくれ、「いや、何か、いいのいただいちゃってー」と弾んだ声で電話がありました。
パンダを選んだのは、ビートたけしさんが健さんのことをパンダだ、とこんなことをテレビで言っていたからです。
「存在感っていうか、おサルやなんかは(手を上げ下げして)いろいろやんなきゃ注目されないけど、パンダはいるだけで『パンダだ』ってみんな集まってくるからね」
ついでながら、パンダのポストカードには菊池寛のこんな言葉も書き添えました。
「私には、小説を書くことは、生活の為であった。――清貧に甘んじて立派な創作を書こうという気は、どの時代にも、少しもなかった」
健さんが俳優になったときの心境と重なるように思われたからですが、健さんは、こういったこちらの想いや、ちょっとした遊び心もしっかり受け止めてくれる人でした。
健さん用に買っておいたフォトカードはまだ何枚か机の引き出しに入っています。右目でウインクしているペンギンの顔のアップ。何とも可愛いのですが……。
*ダイジェスト最終回は3月4日(水)更新予定です