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日本の歴史はエロだらけ

2016.04.21 公開 ポスト

江戸時代の大人のおもちゃ下川耿史

古来、日本人は性をおおらかに楽しんできました。歴史をひもとけば、国が生まれたのは神様の性交の結果で(そしてそれは後背位でした)、奈良時代の女帝は秘具を詰まらせて崩御。豊臣秀吉が遊郭を作り、日露戦争では官製エロ写真が配られていたのです。――幻冬舎新書『エロティック日本史 古代から昭和まで、ふしだらな35話』(下川耿史・著)では、歴史を彩るこうしたHな話を丹念に蒐集し、性の通史としていたって真面目に論じてゆきます。

今回は第5章「花開いた大エロ文化 江戸時代」より、第3話「秘具の店・四つ目屋が大繁昌」の一部を試し読みとしてお楽しみください。川柳や浮世絵にも登場した名店で扱っていた、大人のおもちゃはどんなものだったのでしょうか!?

第3話 秘具の店・四つ目屋が大繁昌

浮世絵や川柳に登場する名店

第2章で、弓削道鏡が称徳天皇のためにヤマイモで作った張り形をプレゼントした話を紹介した。これが日本における秘具の第1号であった。奈良時代には中国で家畜として飼育されていた水牛の角が輸入されるようになり、朝鮮半島から渡来した工人によって、張り形が本格的に製作されるようになった。お湯にひたした綿を中に入れると、柔らかさも温かみもほどよい加減になったという。

その後の秘具の変遷については資料が乏しく、戦国時代に京都でいくらか秘具が作られていたというくらいしか分かっていない。これに対して江戸時代には百花繚乱といえるほどに秘具が盛んになった。

その頂点の存在が両国米沢町の薬研堀(現在の東日本橋1丁目)に店を構えていた四つ目屋であった。

 

店の「能書き」(薬の効能などを記した広告)によると、四つ目屋が創業したのは1626(寛永3)年で、最初は長命丸、帆柱丸、女悦丸、いもりの黒焼きなど媚薬の販売をメーンとしていたという。それから約60年後の貞享年間(1684年~1688年)には、すでに江戸の有名店として知れ渡っていた。

この時期に描かれた奥村政信の浮世絵「両国涼見三幅対」の背景に四つ目屋の商号(家紋)である「四つ目結い」が描かれていることから、そのことが推察される。夕涼みしている3人の美女の後ろに四つ目屋の家紋を入れることによって、店の繁昌ぶりをさりげなく示すと同時に、浮世絵の笑いの隠し味としたのである。

店が有名になるにつれ、川柳でも格好の材料とされた。

買ひにくい薬行燈に目が四つ

四つ目屋をつけてどくどくしくよがり

長局四つ目小僧が出ると泣き

この中で薬とはもちろん媚薬のこと。四つ目屋と四つ目小僧はいずれも張り形を指す。張り形は女性用で、秘具の象徴というべき商品である。四つ目屋が扱っている中でも、もっともポピュラーな商品だったから、四つ目屋と四つ目小僧という言葉が張り形の代名詞とされたのだ。

3番目の長局は宮中や江戸城の大奥などの女官のこと。彼女たちは天皇や将軍などのハレンチなセックスを目の前で見せつけられるのに、自分はまったく性交の機会がなかったから、欲求不満が募っていると世間では確信されていた。実際に化粧道具などを扱う小間物屋で大奥に出入りを許されていた業者は、張り形も用意していたといわれる。で、張り形を使ってよがり泣きをするというわけである。

江戸の秘具は百花繚乱

ところでこの頃、四つ目屋が販売していた秘具には、どんな種類があったのだろう?

四つ目屋の引き札(広告)には肥後瑞喜、吾妻形、京形、張形、互形、茶筌、革形などの商品が挙げられている。

その中の主なものについて紹介すると、肥後瑞喜は男子が植物の芋茎をペニスに巻き付けるもので、性交中に湿気を帯びてくるとオクラのようにヌルヌルになる。それが女性の内部にかゆみを感じさせて、こすられると気持ちいいというので、女性がさらに欲しがるとされた。

まれには現在でも販売している薬局がある古典的な秘具であるが、ペニスに巻き付けるのに高度なテクニックが必要で、途中で抜けてしまうことも多い。

 

吾妻形は男子がオナニーの際に用いるもの。四つ目屋の商品は格別人気があったらしく、小山田与清の『松屋筆記』にもその旨が記されている。なお吾妻形のことは1695(元禄8)年の『好色旅枕』に出ており、それ以前からあったことは確実である。

京形は京都製の張り形という意。四つ目屋の引き札には水牛製とあるが、ほかにべっ甲製もあり、べっ甲の方が表面に滑らかなひだが刻まれているなど、江戸製よりも精巧だった。

江戸の張り形は水牛製がほとんどだったから、牛とか角といい、御用の物という変わった呼び方もあった。

あれさもうもうと水牛で一人いい

お局は丑満の頃角が生え

お局のするは牛角姫初め

これらは女性が張り形を使っているシーンを詠んだもの。丑満は真夜中、現在の午前2時過ぎのことで、その頃にお局さまが角を用いているというわけである。

互形は女性が2人で使用する張り形で、現在でも需要が多いという。

茶筌は引き札によれば、吾妻形の口回りがすり切れたような形で、ペニスへより強い刺激が欲しいという男性向けに考案された。その姿が茶道で使用される茶筌に似ているところから、この名がある。

革形。引き札ではこう書いて「かぶとがた」と読ませ、吾妻形の小形のものとしている。実際に長さは2センチメートル前後で、男性の自慰用としては小さすぎて取り扱いが不便なところから、あまり喜ばれなかったらしい。むしろ避妊用に用いられることも多かったが、これまた途中でずり落ちるため、秘具としての評判はパッとしなかった。

 

もちろん秘具の種類はこれですべてではない。ペニスに腕輪のように付ける琳の輪や海鼠の輪から、半分だけ管状になった勢々理形や姫泣き輪などもあった。

琳の輪は小さな鈴を数珠のようにつなげたもので、ペニスのピストン運動の際に鈴がぶつかり合って音がするという仕組み。海鼠の輪の方は乾燥させた海鼠を輪切りにして用いる方式で、肥後瑞喜と同じ効果を狙ったものである。

琳の輪とよく似た秘具に琳の玉がある。こちらは琳の輪よりも大きめの鈴を2つか3つ、女性器の中に挿入し、ペニスで突くと鈴がぶつかって「りん、りん」と鳴るのだという。これらは1980(昭和55)年頃まで流通しており、筆者は試したことがあるという人に何人か会ったことがある。それによると「男の妄想の産物、何にも聞こえない」という人もいれば、「かすかな音が山向こうから聞こえてくる祇園精舎の鐘の声のようで、なかなか乙なものです」という意見もあった。

半分管状の勢々理形と姫泣き輪は女性の快楽増進用だが、同じく半管状の助け舩は勃起不全の男性を助けるというのが名称と用途の由来である。

関連書籍

下川耿史『エロティック日本史 古代から昭和まで、ふしだらな35話』

日本の歴史にはエロが溢れている。国が生まれたのは神様の性交の結果で(そしてそれは後背位だった)、 奈良時代の女帝は秘具を詰まらせて亡くなった。 豊臣秀吉が遊郭を作り、日露戦争では官製エロ写真が配られた。 ――本書ではこの国の歴史を彩るHな話を丹念に蒐集し、性の通史としていたって真面目に論じてゆく。 「鳥居は女の大股開き」「秘具の通販は江戸時代からあった」など驚きの説が明かされ、 性を謳歌し続けてきたニッポン民族の本質が丸裸になる!

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日本の歴史はエロだらけ

乱交、夜這い、混浴、春画、秘具……。イザナギの時代から昭和ごろまで、日本の歴史に散らばるHなエピソードを蒐集した新書『エロティック日本史 古代から昭和まで、ふしだらな35話』(下川耿史・著)。ここでは内容の紹介や無料での試し読みをお届けします。

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下川耿史

1942年、福岡県生まれ。著述家、風俗史家。著書に『日本残酷写真史』『盆踊り 乱交の民俗学』(ともに作品社)、『混浴と日本史』、林宏樹との共著『遊郭をみる』(ともに筑摩書房)、『死体と戦争』『日本エロ写真史』(ともにちくま文庫)、編著に『性風俗史年表(明治編/大正・昭和戦前編/昭和戦後編)』(河出書房新社)ほか多数。

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