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ミサキア記のコソダテ記

2017.08.10 公開 ポスト

vol.71

ヤクルトレディー(誕生から十一か月と四週間)三崎亜記

 キッチンの横に、三段の大きな収納棚がある。

 ノホホンが生まれる前は、そこには、テーブルクロスだとかコースターだとかキッチンまわりの小物を入れるワゴンを置いていた。

 だけど、このままワゴンを置いていたらノホホンがつかまり立ちして、ワゴンごとぶっ倒れてしまうんじゃないかって危惧があった。それで、ワゴンを撤去して、そこに収納棚を置くことにしたんだ。小さなワゴンから比べると、収納力は実に三倍にアップした。

 棚を買った頃は、まだノホホンは、支えてあげてやっとおすわりができるくらいの頃だった。

「三段あるから、ノホホンの手が届かない上の二段に、ワゴンに乗っていた小物を移して、一番下の棚は、ノホホンのおもちゃ入れにしよう」

「そうしよー!」

 一番下の棚にノホホンのおもちゃをつめて座らせると、ノホホンは喜んで引っ張り出して遊んでいた。

 夫さんと妻ちゃんにとっても、ノホホンにとっても都合のいい、ウィンウィンの関係だった。

 ところが……。

 お座りしかできなかったノホホンが、つかまり立ちができるようになり、棚の二段目まで手が届くようになった。ノホホンは、二段目に置いたテーブルクロスを、帽子からいろんなものを出す手品師みたいな鮮やかな手際で、片っ端から引きずり出している。

「仕方がない。二段目の小物は一番上に詰め込んで、二段目までおもちゃ入れにしよー」

「そうしよー!」

 新たなおもちゃ領土を獲得したノホホンは、つかまり立ちで、手探りで二段目の棚からおもちゃを引きずり出すのが大好きになった。

 ところがところが……。

 もうすぐ一歳、ノホホンはどんどん背が伸びて、今では三段目にも余裕で手が届くようになったんだ。

 夫さんと妻ちゃんは、緊急首脳会談を開いた。

「仕方がない……」

「決断の時が来たみたいね……」

 そうして、収納棚の一番上の棚までが、ノホホンのおもちゃ入れと化した。

「ノホホンは、大きなおもちゃ入れを手に入れた」んだ。

 収納が増えるからおもちゃが増えるのか。それともおもちゃが増えるから収納が増えるのか……。タマゴが先かニワトリが先かってくらい難しい哲学的命題だ。なにはともあれ、生まれて一年で、すっかりおもちゃが増えた。

 よく聞く話だけれど、子どもが興味を持つものは、大人の思惑どおりにはいかないもんだ。おもちゃを買ってあげても、おもちゃよりもその包装だとか空き箱だとかの方でばっかり遊ぶなんてことはよくある話だ。

 ノホホンも、そんな「赤ちゃんあるある」をきっちり踏襲してくれる。三段になって、余裕ができたノホホンのおもちゃ棚は、そんな予想外の「おもちゃ」が満載だ。

 ペットボトル。ヨーグルトの空き容器。ヤクルトの空き容器。家電を買った時に入っていた頑丈なプチプチだとか梱包材。ニベアの空き缶。保湿用アトピタの空き容器……。

「正規のおもちゃ」と、「ノホホン認定おもちゃ」の比率は、ほぼ半分半分ってところだろう。

「さて、来週はノホホンのお友達が遊びに来るから、お部屋をかたづけなくっちゃー」

 妻ちゃんがそう言って、部屋を片付けだす。赤ちゃんがいると、前日一日で大掃除ってのは無理があるので、一週間前くらいから、今日はキッチン、今日は窓拭きって計画を立てて掃除をしている。

「さて、いよいよ、おもちゃの棚ね」

 おもちゃの棚の片づけは、単に整理するってだけじゃない。

 まずは、「正規おもちゃ」をぜんぶ、ノホホンの前から隠して、押入れに入れてしまうんだ。おもちゃの棚は、ペットボトルやプリンの空き容器の「ノホホン認定おもちゃ」だらけになってしまう。

 ノホホンは、

「なんだか、おもちゃが減っちゃったわねー」

 って不満顔で、ペットボトルをカンカン打ち鳴らしている。

 妻ちゃんは、ノホホンが夜、眠ってしまってから、押入れから「正規おもちゃ」を取り出してくる。そうして、一個一個、ノホホンのよだれの汚れを拭き取っていくんだ。

 そうして、お客さんが来る当日の朝、今度は妻ちゃんは、棚の「ノホホン認定おもちゃ」を、全部段ボール箱に突っ込んでしまう。すっからかんになった棚に、「正規おもちゃ」を、さも「ノホホンは、いつもこんなおもちゃでばっかり遊んでますよ」って言わんばかりに並べて、偽装工作を施すんだ。

 お友達も帰ってからも、妻ちゃんは棚に「認定おもちゃ」を戻さない。そうするとノホホンは、「なんだか物足りないわねー」って顔で、別室にトコトコ歩いて行って、段ボール箱の中の「認定おもちゃ」を抱えてやって来る。「正規おもちゃ」に「認定おもちゃ」が少しずつ混じり合い、そうしていつの間にか、棚は再び正規おもちゃと認定おもちゃが共存するごちゃまぜの空間になってしまう

 ノホホン認定おもちゃのうち、一番数が増えるのは、ヤクルトの空き容器だ。何しろパパが毎日飲んで増やしていってるんだから。

 なので、棚の中にカゴを一つ置いて、そのカゴはヤクルト容器専用にしている。

 そうすると、よちよち歩きをしだしたノホホンは、そのカゴを棚から引っ張り出して、よろよろしながら持ち運ぶのがお気に入りになった。

「おっ、ヤクルトレディー。ヤクルト一本ちょうだい」

 ヤクルトレディーは、道端で出逢って呼び止めたら、笑顔でヤクルトを売ってくれるんだけど、ノホホンは見向きもしないんだ。

 そうして、カゴを歩行器に乗せて、歩行器を押して歩きだす。ますますヤクルトレディーだ。

 でもやっぱり、ノホホンはパパにヤクルトをくれようとしない。

 最終的には、カゴをひっくり返してヤクルトの容器を散乱させ、それを片付けるのはパパの役目なんだけれど……。

   ◇

 そんな「認定おもちゃ」まみれのノホホンに、妻ちゃんが、ペットボトルの中に使わないボタンを入れて、マラカスをつくってあげた。

 ノホホンはそれを気に入って、両手に持ってずーっと、「カンカンカンカンカンカンカンカン……」って言わせてるんだ。お腹の上の貝がなかなか割れないラッコみたいだ。

 うまく打ち鳴らせたときは、拍手して褒めてあげる。

「カンカンカンカンカンカンカンカン!」

「あらーノホホンじょうずー!」

「ぱちぱちぱちぱち!」

「カンカンカンカンカンカンカンカン!」

「じょうずー、じょうずねー」

「ぱちぱちぱちぱち!」

「カンカンカンカンカンカンカンカン!」

「うまいなー 天才だな」

「ぱちぱちぱちぱち!」

「カンカンカンカンカンカンカンカン……」

 もうね、キリがないんだ。

 ノホホンは褒められると、うれしくって足をもじもじさせる。そのせいか、お座りしたまま、なぜか時計回りにぐるぐる回転する。オルゴールでも見てるみたいだ。

 それ以来、ボールだとか、積み木だとかを両手に持ってうまく音が出ると、ノホホンは、「いい音したでしょ? あれ、拍手は? 拍手しないの?」って顔で、パパやママを覗き込むんだ。

「あらーノホホンじょうずー!」

「ぱちぱちぱちぱち!」

「カンカンカンカンカンカンカンカン!」

「じょうずー、じょうずねー」

「ぱちぱちぱちぱち!」

「カンカンカンカンカンカンカンカン!」

「うまいなー 天才だな」

「ぱちぱちぱちぱち!」

「カンカンカンカンカンカンカンカン……」

 もうね、やっぱりキリがない。なので、お散歩に連れ出すことにした。ノホホンの好きな、玉砂利が敷き詰めてある場所を通りかかる。

 そこに行くと、ノホホンは喜ぶけれど、夫さんは目が離せない。

 乳児が誤飲しない最小の大きさは、約四センチだ。なので、ノホホンの遊び道具も、積み木セットからも、直径四センチ以下のものは排除して、しまい込んである。

 でも、この玉砂利コーナーは、四センチ以下だ。ちょっとでも目を離したらノホホンは飲み込んでしまうかもしれない。

 何度も口にもっていこうとしては怒られるので、ノホホンも、「この石は食べちゃダメなのよねー」ってわかってるみたいだ。

 そんなノホホンが、玉砂利を両手に一つずつつかんで、器用に打ち鳴らした。ペットボトルではやっているけれど、こんな小さな石でもできるようになっていたなんて! 今まで、そんなに器用な手の動きは見せたことがなかった。

「カンカンカンカンカンカンカンカン!」

「あらーノホホン、上手だねー」

 そう言って、夫さんは「ぱちぱちぱちぱち」って拍手したんだ。

 その途端、ノホホンは、喜色を満面に表したのち、急いで玉砂利の一つをつかんで、パクッと口に入れた。

 どうやら、「褒められた=特別に食べていい」って脳内回路が働いたみたいだ。

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三崎亜記

1970年福岡県生まれ。熊本大学文学部史学科卒業。2004年「となり町戦争」で第十七回小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。直木賞、三島賞の候補ともなった同作は、映画化もされベストセラーに。著書に『バスジャック』『失われた町』『廃墟建築士』『コロヨシ!!』『海に沈んだ町』『逆回りのお散歩』『ターミナルタウン』『手のひらの幻獣』『メビウス・ファクトリー』などがある。最新作は『チェーン・ピープル』。

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