いま、改めて葛飾北斎が世界中から注目を集めています。
テレビではたくさんの特集が組まれ、すみだ北斎美術館や小布施の北斎館には、近年まれに見る大勢の人が押し寄せています。さらに、ロンドン大英博物館15万人、阿倍野ハルカス26万人、国立西洋美術館で開催中の北斎とジャポニズム展も連日大盛況と、その勢いは日本にとどまらない世界規模のものです。
北斎が「世界の北斎」となりえた背景には何があったのか。ノンフィクション作家・神山
典士氏が北斎の謎に挑戦。来年春発売予定『知られざる北斎』の執筆模様を一足先にお伝えします。
『知られざる北斎』の製作に参加できる!クラウドファンディング企画も進行中です。
北斎に夢中になっているノンフィクション作家・神山典士です。
「林忠正は無名ですか?19世紀ヨーロッパ美術とは切っても切れない巨星です。ジャポニスムを牽引した人物の一人で、印象派からアール・ヌーヴォーまで大きな影響を与えました。印象派や後期印象派の画家たちの研究をしていると、林忠正が当時どんな浮世絵をフランスで展示販売していたかが重要な背景になったりします。私たちの頃は直接、展覧会リストを手に取る事ができなかったので、フランスの美術研究誌で見たりしました。林忠正についてはお孫さんが本を書いてます」
前回の投稿に、読者の方からこんなメールをいただきました。
ありがとうございます。この方は芸術大学で美術史を学ばれたのでしょうね。
おっしゃる通り忠正は、「知ってる人は知っている、でも知らない人は全く知らない」という存在。国立西洋美術館が松方コレクションから派生したということは比較的知られていても、忠正のことは全く聞いたことないというのが一般の感覚だと思います。ましてオルセー美術館の59番ルームに行く人は皆無、、、、ではないでしょうか。あの美術館に日本人の作品があるということすら、ぼくのパリの友人たちでもしりませんでした。
忠正はただ日本美術品や浮世絵を販売していたわけではありません。ジャポニズムに沸くフランス、いやヨーロッパに向けて、日本の美術史、日本の歴史風土、日本人の気質というものを、極めて詳細に正確に伝えた人でもあります。
たとえば「イリュストレ」という雑誌の日本美術特集や、1900年 万博の日本館にできた古美術館、その後発行された「日本時美術史」等々。忠正は美術商としてよりも、美術評論家、美術史家として、西洋人に対して日本の美術のなんたるかを説きました。
さらに日本人に対しては「このまま放置していたら日本の浮世絵はすべて海外に流出してしまうぞ」と諭したり、政府に対しては「芸術を国家戦略にするのが列強のやりかた」といった警告も発しています。
伊藤博文は忠正のことを、「民間外交官」と呼んでいたとか。忠正の最晩年に生まれた娘には、自分の名前をとって「文子」と命名してもいます。
つまりパリの邦人が20数名しかいなかった明治初期から、約30年間もその地に留まって日本のために尽くした忠正のことは、もっと評価されていい。その業績をもっときちんと伝えたい。彼の存在こそが、北斎を北斎たらしめた原動力でもあったのだから。
そんな思いでこれから執筆に取りかかります。
知られざる北斎
「冨嶽三十六景」「神奈川沖浪裏」などで知られる天才・葛飾北斎。ゴッホ、モネ、ドビュッシーなど世界の芸術家たちに多大な影響を与え、今もつづくジャポニスム・ブームを巻き起こした北斎とは、いったい何者だったのか? 『ペテン師と天才 佐村河内事件の全貌』で第45回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した稀代のノンフィクション作家・神山典士さんが北斎のすべてを解き明かす『知られざる北斎(仮)』(2018年夏、小社刊予定)より、執筆中の原稿を公開します。
- バックナンバー
-
- 時は明治。東大のエリートはパリへ渡った
- シーボルトは北斎に会ったのか?
- 「国賊」と蔑まれ…天才画商の寂しい晩年
- オルセー美術館の奥に佇む日本人のマスク
- 80すぎたお爺ちゃんが250kmを歩いて...
- 江戸時代に「芸術」はなかった!? 欧米輸...
- ゴッホを魅了した北斎の「不自然な色使い」
- 世界中があの波のことは知っている
- 新しい感性はいつの時代も叩かれる
- ロダンが熱狂した日本初の女優
- 美を通して日本を飲み込もうとした西洋資本...
- モネと北斎、その愛の裏側
- モネの家は「日本愛」の塊だった
- 2017年最大の謎、「北斎展」
- 作品数は約3万4000点!画狂人・北斎の...
- 唐辛子を売り歩きながら画力を磨いた
- 北斎のギャラは3000~6000円だった
- 天才・葛飾北斎が歩んだ数奇な人生 その(...
- 「考える人」のロダンは春画の大ファンだっ...
- ジャポニズムが起きていなければ「世界の北...
- もっと見る