いま、改めて葛飾北斎が世界中から注目を集めています。
テレビではたくさんの特集が組まれ、すみだ北斎美術館や小布施の北斎館には、近年まれに見る大勢の人が押し寄せています。さらに、ロンドン大英博物館15万人、阿倍野ハルカス26万人、国立西洋美術館で開催中の北斎とジャポニズム展も連日大盛況と、その勢いは日本にとどまらない世界規模のものです。
北斎が「世界の北斎」となりえた背景には何があったのか。ノンフィクション作家・神山
典士氏が北斎の謎に挑戦。来年春発売予定『知られざる北斎』の執筆模様を一足先にお伝えします。
『知られざる北斎』の製作に参加できる!クラウドファンディング企画も進行中です。
北斎に夢中のノンフィクション作家神山典士です。
これまでは世界取材の成果をご披露してきましたが、今回は国内編。
9月から11月にかけて行った北斎ロード「墨田~小布施250キロ踏破」の模様をお伝えします。
北斎はなぜ世界の北斎になったのか?
国内にもその痕跡遺跡が残されています。
「北斎は船を漕いだわけじゃないっすよね~乗ってただけでしょ?なんでぼくら、こんなしんどい思いをしなくちゃならないんすか~」
カヌーの後方席から同行の安藤君が苦しげな声で尋ねてくる。
「そうだけどさ、いまはとにかく漕ぎきろうよ。頑張ろう~」
パドルを廻す手を休めずに、私は答える。
墨田区小松川公園沿いから二人乗りのカヌーで荒川に漕ぎだしてすでに2時間。2馬力のカヌーはなかなか前に進まない。それもそのはず。潮の満ち引きを考えずに漕ぎだしてしまった!! 漕ぎだしてすぐに引き潮にあたってしまったのだ。「これじゃ小布施まで辿り着かないよ~」のっけから愚痴ばかりのツアーになった。
江戸末期、住んでいた今の墨田区から長野県小布施町まで約250キロを80代の老体で4回往復したという葛飾北斎。
いうまでもなく天才絵師の名をほしいままにした、本邦史上最高の芸術家だ。その生涯を新たな視点で描き出し、世界に発信したい。世界と国内で取材を始めた私は、身体的にも北斎を把握することが必要だと考えた。
なぜ北斎は徒歩で250キロも歩いて小布施に向かったのか?
そこで北斎を待っていたのは何だったのか?
当時の小布施の価値を知るために、私も歩こうと考えた。
誰に頼まれたわけじゃないけれど、こんなことしたっていい文章が生れてくるわけじゃないけれど、少しでも北斎に近づくために。「北斎ロード」のスタートだ。
残暑厳しい9月13日早朝。まずは北斎が当時流行った疫病退治のための「須左之男疫神退治之図」を奉納(関東大震災で焼失)した牛嶋神社に参拝。北斎が利根川を高崎市倉賀野まで船で遡上したという説にちなんで、カヌーで約16キロ先の北区赤羽を目指した。
そこから上陸して中山道から北国街道、さらに大笹街道を約230キロ。目指す信州小布施は遠い西の空の下に霞んでいる。はたして平成の北斎はゴールまでたどり着けるのか?
旅は始まった!
みなさんもこの旅の乗船者になりませんか?クラウドファンディングという形で取材の成果を共有しながら、作品をともにつくっていくことが可能です。
参加をお待ちしています~。
知られざる北斎
「冨嶽三十六景」「神奈川沖浪裏」などで知られる天才・葛飾北斎。ゴッホ、モネ、ドビュッシーなど世界の芸術家たちに多大な影響を与え、今もつづくジャポニスム・ブームを巻き起こした北斎とは、いったい何者だったのか? 『ペテン師と天才 佐村河内事件の全貌』で第45回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した稀代のノンフィクション作家・神山典士さんが北斎のすべてを解き明かす『知られざる北斎(仮)』(2018年夏、小社刊予定)より、執筆中の原稿を公開します。
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