昨年の春、実家を売ろうとついに決心した。
わたしの実家は神戸の中心街から山のほうに少し上った、平野という街の近くにある。家を売ることは、母の七回忌が終わった四年前から考えはじめていた。わたしの父は、かなり前にこの世の人ではなくなっていたので、母が亡くなってから実家に住むものはいなくなり、わたしは年に数回、家を見に行くためだけに神戸まで通っていた。
しかしそれは、「嫌々ながら」というわけではない。朝、家に到着し、窓を全開にして室内の空気を入れ替え、庭の草むしりを済ませれば、あとは特にすることはない。わたしは午後から街で買い物をしたり、以前に住んでいた場所の近くまで遊びに行ったりして、のんびりと神戸を楽しんだ。不思議なもので、両親の生前には疎遠だった街と、彼らが亡くなったあと再会することになったのだ。それは思いがけなく訪れた、あたたかくも親密な、踊り場のような時間であった。
しかし、街で豚まんや明石焼きを食べ、海や近所の温泉に行くためだけに、毎回高い交通費をかけて神戸に行くこともためらわれる。それにそうしているあいだにも、住むものが誰もいない家というのは、そこにあるだけでだんだんと傷んでくるものなのだ。居間の雨漏りがひどくなり、押入れ全体にカビが生えている惨状を目にしたとき、わたしは家を売ろうとようやく決意した。
ただそうするためには、家の共同名義人である兄を説得する必要があった。
彼も東京に住んでいるので、神戸の実家に立ち寄るのは年に数回、関西方面への出張が決まった時のみである。兄がこの先拠点を関西に移すという話も聞いたことがなかったので、話は簡単に進むかと思われたが、その返事ははかばかしいものではなかった。
「うーん、どうかなあ……」
兄には一人娘がいて、彼女のためのセーフティーネットとして、不動産を残すことも考えているようだ。あと、これは実際に彼がそう話したわけではないが、「やはりなんとなく手放し難い、自分が育まれた街との縁を切りたくない」ということもあったと思う(それはわたしも同じだが)。
もし兄がほんとうにそうしたいのなら、彼がわたしの権利を買い取ればよさそうなものだが、彼も忙しく、また差し迫った話でもないので、面倒なのかすぐに重い腰を上げようとはしない。それでは結局、埒があかないので、そのあとも折にふれ「それでどうする?」と何回か聞いたあと、ようやく彼も家を売ることに同意した。
それとは別の話で、去年末、画家のマメイケダさんの「神戸」をテーマにした展示を、店の二階にあるギャラリーで行った。マメさんは最近大阪から神戸に引っ越したので、そうした内容に決まったのだが、東京で神戸の展示を行ったとしても、人からどれだけ興味を持たれるか不安があった。
だからわたしはマメさんに提案した。「二人の共通の知人に声をかけ、我々を含め神戸にちなんだ文集をつくり、会場でそれを配ればどうだろう?」
声をかけた一人は料理家、文筆家の高山なおみさん。
そしてもう一人はマメさんと同じ絵描きの植田真さん。
二人はそれぞれ、何年か前から神戸に移り住んでいた。果たしてお二人からは、すぐによい返事をいただき、わたしは集めた文章を三輪舎の中岡祐介さんに送って、彼が経営に関わっている、横浜・妙蓮寺の「本屋・生活綴方」にあるリソグラフ印刷機で印刷してもらった。自分でも、いつになくはりきっていると思った。
わたしの心配をよそに、マメイケダ個展「神戸」にはたくさんの人が訪れた。期間中は、「神戸のご出身なんですね」と声を掛けられることも多かったし、初対面のかたとも神戸のローカルな話をすることができて、なつかしさに胸がふくらんだ。
文集のまえがきに、わたしは次のように書いている。
「四人のうち三人はほかの土地に生まれ、いまは神戸に住んでいる。そしてあと一人は神戸に生まれたんだけど、いまは別の土地で暮らしている」
わたしが神戸にいたのは、大学入学のため上京した年までだったから、いまでは東京やその他の街で暮らした時間のほうが長くなった。そしてその差は、これからも広がる一方だろう。
でも、たとえそこにいた時間が短くても、いまではそこに戻ることがなくても、自分を育んでくれた土地のなつかしさには格別なものがある。わたしは目をつぶればすぐ、須磨の海を思い出すことができるし、わたしの中にはいつでも、神戸のための場所が残されているのだ。考えてみれば、今回わたしのほうからマメさんに文集をつくることを提案したのも、集客ということもあったかもしれないけど、ほんとうは自分の惜別の思いを、何かかたちにして残したかっただけなのかもしれない。
いま実家は売り出し中で、それが売れてしまえば、神戸との縁は、今後は墓参り程度になってしまう。だが、それもよいだろう。わたしと入れ替わるようにして、誰か別の人が神戸に暮らすようになり、その街を好きになっているのだから。
そのことを考えると、ほんとうにありがとうという気持ちになる。
街とはそのように住む人を変え、続いていくものなのだろう。
今回のおすすめ本
『山と言葉のあいだ』石川美子 ベルリブロ
山には、人の言葉を誘うなつかしさやあこがれがある。アルプスの麓の村・シャモニーや、南仏のリヨンやグルノーブルなどを舞台に、記憶と本のあいだを縫うようにして綴られたエッセイ。
◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます
連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBS
◯2024年12月6日(金)~ 2024年12月23日(月) Title2階ギャラリー
2023年に絵本雑誌『さがるまーた』創刊号が刊行されて約1年。新たにVol.2が刊行されたことを記念して、原画展を開催します。vol.2のテーマは「わからない と あそぶ きもちいい と まざる」。創刊号以上にチャレンジのつまった一冊となっています。23人の作家たちが織り成す多種多様な世界を、迫力ある原画や複製原画などとともにお楽しみください。
◯2025年1月10日(金)19時30分スタート Title1階特設スペース
ポストトゥルースに向き合う
青木真兵×光嶋裕介『ぼくらの「アメリカ論」』刊行記念トークイベント
アメリカ大統領選ではドナルド・トランプが圧勝、国内でも選挙のかたちに変化が現れるなど、2024年はまさに「真実」が揺さぶられる1年でした。これからますます顕在化しそうなポストトゥルースに、私たちはどう向き合えばいいのか。大統領選直前に刊行された『ぼくらの「アメリカ論」』(青木真兵、光嶋裕介、白岩英樹著、夕書房)を媒介に、危機感を共有する著者のお2人が、本書のその先を熱く語り合う1時間半です。
【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】
スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。
『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』
著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト
◯【書評】
『決断 そごう・西武61年目のストライキ』寺岡泰博(講談社)ーー「百貨店人」としての誇り[評]辻山良雄
(東京新聞 2024.8.18 掲載)
◯【お知らせ】
我に返る /〈わたし〉になるための読書(3)
「MySCUE(マイスキュー)」
シニアケアの情報サイト「MySCUE(マイスキュー)」でスタートした店主・辻山の新連載・第3回が更新されました。今回は〈時間〉や〈世界〉、そして〈自然〉を捉える感覚を新たにさせてくれる3冊を紹介。
NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて毎月本を紹介します。
毎月第三日曜日、23時8分頃から約1時間、店主・辻山が毎月3冊、紹介します。コーナータイトルは「本の国から」。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
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本屋の時間
東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。